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ADHDと行動経済学は相性がいい


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前回からの続きです。行動経済学は、あたらしい経済学の考え方で、とてもADHDと相性がよいのではないか、という話です。

で、行動経済学はなにがどうあたらしいのでしょうか?


経済学と行動経済学の違い

近代から発展してきた経済学は、「ヒトは経済合理性に基づいて行動して利益を追求する存在/ホモ・エコノミクス」であると定義されていました。つまり、とても合理的なロボットのような人間です。

時は流れて、さまざまな研究で「ヒトって全然合理的じゃないよね」という証拠がたくさん見つかるようになりました。「人間は非合理的なロボット」だったのです。というわけで、リアリティのある経済学をつくろう、というコンセプトのもと、20世紀後半から行動経済学が発展しました。
経済学と行動経済学の違い
実際には、合理的で立派なひとはなかなかお目にかかれません。大多数のひとはしょうもない間違いや失敗だとか不合理さを抱えていて、だからこそ愛すべき人間らしさがあらわれたりします。

つまり、行動経済学は人間が抱える不合理な判断や行動=人間らしさを説明してくれる理論になっています。


それぞれの人間観と精神疾患観

経済学に限らず、近代の人間観は「人間は合理的である」というコンセプトだったので、合理性=正常=人間らしさ、であると考えられていました。なので逆に、合理性を失ってしまうような精神疾患は「正常からの逸脱である」と考えられてきました。

これに対して行動経済学は「人間は非合理的だしけっこうデタラメである」というコンセプトなので、非合理性=人間らしさ、であると考えられています。そうすると、精神疾患は人間らしさがストレートに表現されている、と考えることができます。つまり、精神疾患は「人間らしさの過剰」であると考えられます。

精神疾患は人間らしさの過剰である

精神分析や現象学も人間の非合理性を指摘したりするのですが、あくまでも精神疾患は正常からの逸脱であるというコンセプトからは抜け出せていないようです。


ADHDの過剰な人間らしさ

ここで、ADHDの特性を具体的にみてみましょう。「不注意症状」についての国際的な診断基準をぼくなりに概略したものです。
a. うっかりミス
b. あきっぽい
c. うわの空 
d. 途中で投げ出す
e. とっ散らかす
f. めんどくさがる
g. ものをなくす
h. 気が散る
i. 忘れっぽい 
誰だって覚えがあることばかりで、まさに人間らしさのオンパレードだったりします。少なくとも逸脱していたり異質なものではありません。つまり、ADHDこそ人間らしさの過剰といえます。そもそも、ADHDの特性は程度問題なので、逸脱とか異質かどうかよりも、その過剰さが問題になります。


人間らしい人間のリアリティー「闇金ウシジマくん」

かつてADHDは「のび太ジャイアン症候群」として紹介されていましたが、ドラえもんの世界は時間が止まっているのでいつまでも小学生のままです。実際の臨床現場で重要であるADHDの特性をもったまま二次障害を抱えて成人したケースは描かれないので、臨床上はあまり役に立たなかったりします。

一方、ADHDをもつひとのリアリティーが身も蓋もなく表現されている漫画といえば「闇金ウシジマくん」です。ADHDの「衝動性」つまり「目先の誘惑をガマンできない」特性のために多重債務者となり身を持ち崩すひとがたくさん登場します。

債務者
とても人間らしくてリアリティーがある生き生きとした描写がなされていて素晴らしいです。


衝動性 と 満足遅延耐性/時間割引率

ADHD特性のひとつである精神科用語「衝動性」を行動経済学で説明すると、満足遅延耐性の低さ とか 時間割引率の高さ と定義されます。

満足遅延耐性とは、自制心/セルフコントロール能力であり、これが低いと、
  • 将来の報酬のために目先の小さな報酬を我慢できない
  • 目先の利益や損失を過大評価する
  • 将来の損失を過小評価する
時間割引率とは、心理的な価値が待つ時間によってどれだけ失われるか、という割合です。
時間割引率
  • 時間割引率が低いと、将来の報酬を考えて目先の報酬をガマンできる
  • 時間割引率が高いと、目先の報酬しか考えられないので「まてない」

衝動性=時間割引率の高さはさまざまな行動と相関することが知られています。
  • 多重債務
  • 低収入
  • 肥満
  • 喫煙
  • 離婚率
どれも合理性には程遠いことなのですが、ついついヒトはコレをやってしまいがちなわけで、とくにADHDをもつヒトはコレをやってしまう確率が高くなっています。

つまり、行動経済学はADHDの理解を深めたり支援のヒントを学ぶうえでとても示唆に富むので、勉強する価値があると思う今日このごろです。


闇金ウシジマくん(1) (ビッグコミックス)
真鍋昌平
2012-09-25


次回は、現在バイアスについてまとめてみます。


ひきこもりのメリットその3「欲望を他人に利用されない」


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ひきこもりのメリットについてまとめてきました。



今回は、3つめのメリットをかなり偏った視点から考えてみようと思います。


欲求と欲望

限りない要望

欲求と欲望は似たような言葉ですが定義が違います。

動物的な欲求(睡眠欲・食欲・性欲)は、いったん満たされればとりあえず解消されます。

一方で、人間の社会的な欲望には限りがありません。友だちをつくりたい、目立ちたい、注目を集めたい、高い地位につきたい、尊敬されたい、評価されたい、チヤホヤされたい、他人がうらやむモノを手に入れたい、自慢したい、他人を支配したい、などなど。

ひきこもり状態が長期化しているひとは欲望をもたなくなります。欲望をあきらめているか、もしくは、興味を失っているようにみえます。誰にも会いたくないし、他人の評価なんてどうでもいいようにみえたりします。

まるで徳の高い修行僧のように世俗を離れてストイックな生活をして「ありがたい」雰囲気を身にまとっていることもめずらしくありません。


欲望は他人の欲望?

ジャック・ラカンという精神分析の巨匠がこう言いました。要するに「他人の欲望するものをひとは欲望する」ということです。

ひきこもり専門家の精神科医である斎藤環はジャック・ラカンを紹介しつつ、「ひきこもり状態にあるひとは他人と接触しなくなるため自分の欲望を見失ってしまう」という問題を指摘しました。

そのため、ひきこもりの支援においては、欲望をもたらしてくれる「第三者」と接触することを重視しています。

これは臨床上はとても有効です。とりあえずアカの他人つまり「第三者」である支援者が定期的に接触して対話を続けることで、ひきこもり状態が解消されていくことがあるからです。


「第三者」ってどんなひと?

でも、なんとなく腑に落ちないのがこの「第三者」という存在です。

斎藤は「第三者」について、
  1. 親のように愛情と熱意をもって接触する者ではなく
  2. 利害関係のある者でもなく
対等でフラットに対話が続けられる存在であるとしています。

実際には、そんなひとはいるわけがありません。一時的にそんな存在になれることがあるかもしれませんが、たいていは長続きしません。

というのも、支援者も人間だからです。時には情熱を抱いてしまうし、あらかじめ利害関係が存在しているか、後になって必ず生じてしまうからです。

とりあえずの指針としては役に立つこともありますが、臨床現場はなにかとカオスなので理論を信奉するだけではうまくいきません。


なぜ欲望をもたなくなるのか?

そもそも、「欲望をもたらす他者と接触しなくなることで二次的に欲望をもてなくなる」という説明は、ひきこもりの持続要因に過ぎません。

この点について、評論家の岡田斗司夫が、哲学者の内田樹との対談のなかでリアリティのある説明をしています。
いま、若い男子が一番嫌なことっていうのは、誰かにいいように利用されるっていうことなんですよ。利用されたり、いいようにされたり。

だから草食系になっちゃうのはなぜかというと、欲望というものを持ってしまったり、それが他人にばれたら、巧みに利用されてしまうと思っているから。

欲望を逆手にとって操られるのが怖いから、欲望に背を向けようとしているんですね。欲望というのを意識したくないし、できれば持ちたくない。

そうすると女の子のほうはイライラしてくる。欲望あるでしょ、と。
他者と接触しなくなった結果、欲望をもたなくなるその前に、積極的に欲望から背を向けているというわけです。

これは、欲望を見透かされた瞬間に負けが決定するゲームがあちこちで展開されていて、ストレートに欲望を表に出してしまうひとはカモにされるルールが存在している状況では、とても合理的な行動と言えます。

たとえば、ひきこもりがちだった自閉スペクトラム症をもつひとが、なまじソーシャルスキルを身につけて社会に出てしまったがゆえに、詐欺にひっかかってしまう悲劇はめずらしくありません。


[理想の自分]ー[現在の自分]=[利益]

日本は世界的には豊かな国なのに幸福度が低いようです。これは、自分よりもキラキラ幸福なひとがメディアに露出していることが一因です。上をみあげることで欲望に火がともされて、今の自分に満足することができずに、夢・やりがい・自己実現を求めてしまうようになります。

そして、欲望を達成した[理想の自分]と[現在の自分]の「差分」が、かけはなれていればいるほど大きな利益を発生させることができる仕組みがあちこちに存在しています。

美容・健康・ダイエット・ギャンブル・アイドル・SNS・自己啓発・やりがい搾取・情報商材・スピリチュアル、などなど。さまざまな産業がそんな欲望に狙いをさだめています。いったん欲望に火をともすことさえできればあとは勝手に利益を生み出すことができます。

さらに、それを持続可能にするシステムとして消費者金融が機能しています。闇金ウシジマくんの世界です。



うっかり欲望をもってしまったがゆえの「代償」はウシジマくんによってキッチリと回収されます。[理想の自分]から[現在の自分]へ反転する瞬間のカタルシスに向かって物語は進行します。

  

手を差しのべておいて出しぬく

そして極めつけがコレです。肥大した欲望のせいでお金を巻き上げられてスッカラカンになるだけならまだしも、「手を差しのべておいて出しぬく」裏切り行為には耐えがたいものがあります。

その昔、精神病理学では、分裂気質/シゾイド性格のひとに対してコレをやると、統合失調症を発症してしまう説が素朴に信じられていました。

でも冷静に考えれば、シゾイド性格でなくてもコレをやられたらメンタルやられることくらい誰でもわかることです。

例えば、曲がったことが大嫌いで原理原則にこだわる自閉スペクトラム症/ASDのひともたいそう深く傷つくことでしょう。

また、PTSDが長引く原因のほとんどがコレだったりします。大災害そのものよりも裏切り行為の方がひとを深く傷つけます。

依存症の原因にもなるでしょう。裏切られて傷ついてポッカリあいた穴を埋めるためです。アルコールとか薬物は、そのような経験を一時的に忘れさせてくれるからです。


まとめ

というわけで、肥大した欲望を抱いていることが他人にバレてしまうことはリスクになることがあります。ゆえに、ひきこもりのメリットその3は「欲望を他人に利用されない」です。得るものは減ってしまいますが、失うものがなくなるのでとりあえず安心です。

内海健『ADDの精神病理』から考える。その②


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前回は内海健先生の講演『ADDの精神病理』で症候学や診断基準の再検討についてまとめました。


今回はひきつづき、代償行動や二次障害についてまとめてみます。

青年期の発達障害は特性そのものよりも、それをどう代償しているのか、いかに二次障害を防ぐことができるか、がとても重要です。


ADHDの代償行動/Coping

ADHDのひとは途切れがちな集中力を高めるため、ノイズカットするため、リラックスするため、エネルギー放散してカタルシスを得るためなどなど、さまざまな代償行動/Copingをとることで自分の行動特性に折り合いをつけていきます。

行動特性そのものを代償する、というよりは、行動特性がうまく発揮できなかった場合の代償という意味合いが強いような気がします。のびのびと活動できているひとは、それそのものが代償行動でもあるわけで。
暴力 セックス ハードワーク ギャンブル ドラッグ 買い物 過食 アルコール
シンプルなもの バロック音楽 草むしり 陶芸 ガーデニング 
スリルを求める 喧嘩 高いところに昇る 戦場に向かう
がしゃがしゃした刺激の中にいる
ハードな運動 (例として、横山やすしがマラソンにハマっていたエピソード)
自分がまとまりあがる行動をとる 心配の種をみつける 
自分はダメなやつなどnegativeな考えに固執する
バロック音楽はさすがにあれなので、ロックとかテクノでしょうか。夏フェスでは毎年ミュージック・ジャンキーたちが集団療法されています。

最近は園芸療法がごさかんで、ガーデニングは精神疾患全般に効果があるようです。いろいろ細かいところをいじれるのがADHDのひとにもよいのかもしれません。

心配の種というか、いつもトラブルの種を身近に置いておくことをCopingにしているひとはけっこういて、ADHDに特異的かどうか考えたことがなかったのですが、思い当たる節がたくさんあったりしました。

あとはあちこち移動したり旅行することで新奇なものを追い求めること、フロンティア精神を満足させることが挙げられます。


代償行動/Copingがうまく機能すればいいのですが、うまくいかない場合は二次障害に発展したりするので注意が必要です。


二次障害/『ドラえもん』から『闇金ウシジマくん』へ

ちょっと前に小児期ADHDの認知度向上に貢献した『のび太・ジャイアン症候群』という本がありました。不注意が優位なのび太と衝動性が優位なジャイアン。

ドラえもんの世界はずっと小学生のままで時間が止まっているのでよいものの、のび太とジャイアンがあのまんま成人して二次障害をきたしていたらどうなるか?

私見ですが、おそらくは『闇金ウシジマくん』の登場人物になっちゃうと思うわけです。



闇金ウシジマくんには度過ぎたCopingで身を持ち崩すADHD的なひとがたくさん登場してけっこうリアリティがあるので、青年期ADHDの二次障害を考えるうえでとても参考になります。

内海先生はこれとは別タイプの二次障害を精密に想定していました。


二次障害としての『dysphoria』

境界性人格障害、てんかん、月経前緊張症などのなんともいえない憂鬱や苛立ちや不機嫌を表現するために精神科的には『ディスフォリア/dysphoria』という用語を使ったりしますが、ADDのひとにはdysphoriaがしばしば観察されるという指摘です。

その発生状況としては、
しばしば、いじめや仲間外れを契機に、がらりとひとが変わったようになります。発達が屈曲したかのように。
これが典型的に示されているのが『聲の形』という映画の主人公です。<以下、ネタバレ注意>



典型的なADHDっぽいガキ大将でいじめっ子。調子に乗りすぎてクラス全員から断罪され、スクールカースト最下層へ転落。以後は負債を返済して自殺することだけを考えて生きるようになります。まさに別人です。その後、本来の自分をとりもどせるのでしょうか?というとてもおもしろい作品です。

<以上、ネタバレ注意 おわり>


ADHD症状とクリエイティビティのトレードオフ

ADDとクリエイティビティが関連している説。偏ったひとはクリエイティブだというのはなんとなく想像がつくと思いますが、これを掘り下げていました。

とても印象的だったのは『ADHD治療薬を服用することでADHD症状は改善したがクリエイティビティが失われたケース』の話です。

ADDに悩む芸大生?で、ADHD治療薬を使用すると論文をまとめることはうまくできるようになるんだけど、作品をつくることがうまくいかなくなることがあったため、論文をまとめる時期だけ治療薬を服用をすることでうまくいったみたいです。

クリエイティブなひとなので図解して内海先生に提示して説明してくれたようです。

個人的にはスポーツ選手でADHD治療薬を飲むと調子が悪いので大切な試合前は服薬を中断するようにしている方が何人か経験ありました。

ADHDのひとはクリエイティビティを発揮できる舞台があれば活躍できて治療は不要になったりしますが、そんな舞台はそうそうなかったりするので、普通の会社員として堅実に生きていく場合や、退屈な授業をお行儀よく受けて課題をこなせるようになるために薬物療法を選択することが有効になったりします。

つまり、クリエイティビティとADHD症状はトレードオフの関係にあるので、治療の必要性は環境に依存していると言えるでしょう。 できる限り、環境調整が重要であることが前提となります。


ADHD≒狩猟採集民説

ADHDの行動特性は狩猟採集民の頃に培われた説をちらっと言及されていました。

ADD/ADHDという才能
トム・ハートマン
2003-07-01

ADHDの行動特性<衝動性や多動>は、動き回って獲物を発見して即座に対応する能力なので、狩猟採集社会においては有利だったのでしょう。逆に農耕牧畜が始まってからは、そのような行動特性は邪魔でしかなくなります。

狩猟採集は200万年前から始まっていて歴史が長く、濃厚牧畜はほんの1万年前から始まったものに過ぎないので、今でも狩猟採集時代の行動特性が根強く残っているという考えは一定の説得力があります。

これを踏まえてのことなのか、ADDのひとに低糖質食をすすめているみたいです。内海先生がとても軽佻なので驚きます。次回は、内海先生の変化について考えてみたいと思います。



ADHDと中心気質の関係

ADHDの原始的な行動特性に関連してセットで考えたいのは中心気質との関連です。

児童精神科領域では「ADHD気質」なるものが言われていますが、それはそのまま『中心気質』だったりします。


中心気質とは、
天真爛漫で、うれしいこと、悲しいことが単純にはっきりしていて、周囲の具体的事物に対して烈しい好奇心を抱き、熱中もすればすぐ飽きる。動きのために動きを楽しみ、疲れれば眠る。明日のことは思い煩わず、昨日のことも眼中にない。

よい意味でもわるい意味でも自然の動物に近い。
<中心気質>という概念について 安永浩
中心気質の著名人と言えば長嶋茂雄さんですが、最近はADHD説があったりするみたいです。
長嶋茂雄

ADHDでは「オーガナイズできない」という行動特性がしばしば問題となります。以前、中心気質の映画監督としてポール・トーマス・アンダーソンについて調べていました。


なかでも『ザ・マスター』という作品は、ADHD的な側面である「オーガナイズできなさ」具合がよく発露している作品なので参考になるかと思われます。

主人公はずっとdysphoriaでしばしば衝動的になるあぶなっかしいADHD的なひとで、監督自身もADHD的な行動特性があって、作品の構成自体もオーガナイズされていないADHD的な特徴があったりします。

いたって個人的なエピソードを圧巻の映像美で無造作に並べた映画なので、終わってみると『これは一体なんなんだ』感がハンパないのです。


横山やすしも長嶋茂雄もポール・トーマス・アンダーソンも素晴らしい才能を発揮して業績をあげているわけですが、今の時代に彼らが普通の会社員だったらADHD治療薬が手放せなかったのかもしれません。

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