引き出し屋と移送制度(精神保健福祉法第34条)について
前回の続きです。
今回は、引き出し屋について考えてみます。
引き出し屋とは、ひきこもりのひとを部屋からムリヤリ引きずり出して、自分たちが運営する“自立のための施設”へ強制的に連れて行く業者で、さまざまな事故やトラブルを起こして問題になっています。
まず前提として確認したいことは、、、
精神科医療の観点からまとめると、ひきこもりという枠にくくられているひとのなかには、ざっくり分けて3種類のパターンがあります。
A 統合失調症などの精神病によって、ひきこもっているひと
B 長期間のひきこもりの結果、精神状態が悪化しているひと
C 長期間ひきこもっていても、精神状態が健全なひと
精神科医療の観点からまとめると、ひきこもりという枠にくくられているひとのなかには、ざっくり分けて3種類のパターンがあります。
A 統合失調症などの精神病によって、ひきこもっているひと
B 長期間のひきこもりの結果、精神状態が悪化しているひと
C 長期間ひきこもっていても、精神状態が健全なひと
とくにAとBでは全く対応が異なるのですが、適切な精神科診断がなされないまま、ABCがぜんぶいっしょくたになったまま、曖昧になんとなく対応されているという現状があります。
昔からあった“引き出し屋”
最近のニュースでは、BあるいはCのケースがいわゆる「引き出し屋」によって強引に移送された、と認識されていますが、そのなかにはAのケースが含まれている可能性があるわけです。で、そもそも昔から移送業者はAのケースを移送していました。
Aのケース、たとえば統合失調症などの精神病で病状が悪くなると、いわゆる「自分が病気であるという感覚=病識」がなくなることがあって、自分から治療を受ける可能性が低くなるため、場合によっては強制的な治療導入が必要だったりします。
というのも、統合失調症などの精神病は未治療の期間が長期化すればするほど回復しにくくなったり、身体面のトラブルや自殺のリスクが意外と高かったりするからです。
その昔は、精神科病院から精神科医が直接患者宅へ往診して、場合によっては鎮静剤を注射して眠らせてむりやり病院へ搬送していたそうですが、さすがに人権的に問題があるということでなくなりました。
なので、病院まで患者さんを連れて行かないと、基本的に病院側はなにもしてくれなくなりました。
家族の力が強かった時代なら、家族総出で患者さんを病院まで連れて行くことができたでしょうが、家族の力がどんどん弱くなっている現代ではなかなかできることではありません。
代替手段として、高額な料金を支払ってでも移送業者に依頼する家族が増えてきたのは自然な流れなわけです。
家族の力が強かった時代なら、家族総出で患者さんを病院まで連れて行くことができたでしょうが、家族の力がどんどん弱くなっている現代ではなかなかできることではありません。
代替手段として、高額な料金を支払ってでも移送業者に依頼する家族が増えてきたのは自然な流れなわけです。
移送制度(精神保健福祉法第34条)の問題
これはさすがに問題だということで、1999年に精神保健福祉法が改正され、公的機関(都道府県および政令指定都市)が必要に応じて要件を満たす患者さんを精神科病院まで移送する制度が創設されました(精神保健福祉法第34条)。つまり、移送は役所の仕事になったわけです。
ぼくも訪問診療をしていた重症の統合失調症をもつひとが入院しないと危険な状態になっていたので、移送制度を使おうとしたことがありますが、相談から事前調査を開始するだけでさえ、めちゃくちゃ時間がかかってたいへん困りました。
そもそも移送をしないといけないケースは時間的余裕なんてないわけです。で、結局は3ヶ月以上も待たされたあげく、なんの理由も説明してくれないまま却下された苦い経験があります。
あまりにもひどい対応だったのであきれてしまいましたが、行政の関係者によると、移送制度は長年運用した前例がない自治体なので仕方がない、という事情を聞いて納得しました。つまり、せっかく創設された移送制度はほとんど機能していないのです。
建前として法令は定められているんだけど、実際には運用されていないという矛盾、そしてそのつじつまを合わせるように民間の移送業者が活躍している現状という、とてもゆがんだ構造になっているわけです。
最近のニュースをみていると、批判のターゲットは民間の移送業者なのですが、なぜか「移送」そのものが悪であるという論調が目につきます。
もちろん、移送がなくても困らない幸せな世界が早くやってくればいいのになぁ〜、とボンヤリ考えたりはします。日本が今よりもめちゃくちゃ豊かになって、自由かつ平等で寛容な社会になればあるいは可能かもしれませんが、しばらく実現しそうにないのは明白です。
ともかく、現実的には移送制度は法令で定めなければならないくらいニーズが高いわけです。ケースによってはどうしても移送が必要であることくらい、ある程度の実務経験を積めばわかることなのですが、どうしても極端に偏った発言の方がメディアではウケるので目立ってしまいます。
むしろ、正規の移送制度がちゃんと機能するようにシステムを整備してリソースを投入すれば、民間の移送業者が活躍しにくくなるし、不幸な事故も減る可能性が高いので、そっちの方向で議論する余地はあるでしょう。
まとめると、
ともかく、正義感に酔って叩きやすい民間の移送業者を批判してスッキリするという安っぽい週刊誌的なノリでお祭り騒ぎをしたところで、このゆがんだ構造が変わるわけではありません。
で、実際の運用状況は、、、
このように、めちゃくちゃ少ないし地域差もひどくて、まともに運用されているとは到底考えられません。
ぼくも訪問診療をしていた重症の統合失調症をもつひとが入院しないと危険な状態になっていたので、移送制度を使おうとしたことがありますが、相談から事前調査を開始するだけでさえ、めちゃくちゃ時間がかかってたいへん困りました。
そもそも移送をしないといけないケースは時間的余裕なんてないわけです。で、結局は3ヶ月以上も待たされたあげく、なんの理由も説明してくれないまま却下された苦い経験があります。
あまりにもひどい対応だったのであきれてしまいましたが、行政の関係者によると、移送制度は長年運用した前例がない自治体なので仕方がない、という事情を聞いて納得しました。つまり、せっかく創設された移送制度はほとんど機能していないのです。
建前として法令は定められているんだけど、実際には運用されていないという矛盾、そしてそのつじつまを合わせるように民間の移送業者が活躍している現状という、とてもゆがんだ構造になっているわけです。
移送業者が悪なのか?移送制度そのものが悪なのか?
というわけで、役所ですらイヤがる仕事を請け負う民間業者はめちゃくちゃ特殊でしょうし、当然のことながらリスクも高くなるため料金は高くなってしまうでしょう。最近のニュースをみていると、批判のターゲットは民間の移送業者なのですが、なぜか「移送」そのものが悪であるという論調が目につきます。
もちろん、移送がなくても困らない幸せな世界が早くやってくればいいのになぁ〜、とボンヤリ考えたりはします。日本が今よりもめちゃくちゃ豊かになって、自由かつ平等で寛容な社会になればあるいは可能かもしれませんが、しばらく実現しそうにないのは明白です。
ともかく、現実的には移送制度は法令で定めなければならないくらいニーズが高いわけです。ケースによってはどうしても移送が必要であることくらい、ある程度の実務経験を積めばわかることなのですが、どうしても極端に偏った発言の方がメディアではウケるので目立ってしまいます。
むしろ、正規の移送制度がちゃんと機能するようにシステムを整備してリソースを投入すれば、民間の移送業者が活躍しにくくなるし、不幸な事故も減る可能性が高いので、そっちの方向で議論する余地はあるでしょう。
まとめると、
- 移送制度そのものが悪である▶理想論
- 移送制度が機能しないから民間業者が担う▶現状
- 移送制度を法令に基づいて適切に運用する▶私見
ともかく、正義感に酔って叩きやすい民間の移送業者を批判してスッキリするという安っぽい週刊誌的なノリでお祭り騒ぎをしたところで、このゆがんだ構造が変わるわけではありません。
悪質な業者が倫理的に問題あるのは当然ですが、倫理的観点だけではなくシステム的観点からこの問題を考えていく必要があると思う今日このごろです。
次回は、ひきこもりのひとを自立させるという民間業者の施設について、考えてみたいと思います。
次回は、ひきこもりのひとを自立させるという民間業者の施設について、考えてみたいと思います。