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前回の続きです。


滝川は「子どものための精神医学」において「関係(社会性)」の発達についてこう説明しています。フロイトの発達論にそって、あるいは養育者や社会・文化の影響を受けることによって発達していくと。

もちろん、養育者による刺激がトリガーとなって「関係(社会性)」の発達が促進されることはあるのでしょうが、そもそも霊長類の段階から備わっている「社会性」が発展して社会的知性を形成していく、という考えを紹介していきます。

まずは、人類学者ロビン・ダンバーの「社会脳仮説」です。



燃費の悪い脳

人間の脳はとても燃費が悪い器官です。体重のたった2%の重さしかないのに、20%ものエネルギーを消費しています。なぜ人間の脳はここまで異常に発達し、膨大なエネルギーを喰うようになったのでしょうか。

一般的には、共同で狩りをするためとか、道具をつかうためとか、言語をつかうためとか、いろいろ説明されたりしますが、ダンバーは興味深いデータを提示しています。
ダンバー数
霊長類の群れの大きさ(タテ軸)と脳の発達(ヨコ軸)が相関しているという事実です。集団で仲間とうまくやっていくため、良好な人間関係をつくって維持するために、脳が発達していることになります。

たとえば、野生のサルが2頭で生活しているときは1ペアの関係だけ把握すればよいのですが、3頭で3ペア、4頭で6ペアと集団が大きくなるにつれて把握するべき関係は格段に増えて複雑になり、脳のスペックが必要になるというわけです。

サル関係
現代社会は法律が整備され、情報が流通し、衣食住が確保されているので、集団生活にそれほど脳のスペックを使用しなくてもよくなっているのでイメージしにくいかもしれません。

ですが、そのような文明が確立したのは人類史ではつい最近のことで、人間の祖先は長い時間をかけて社会集団を形成するように進化してきました。

少ない情報のなか、外敵や食糧不足に怯えながら、仲間と協力したり助け合ったり、フリーライダーや裏切り者を牽制し、過酷な環境を生き抜くために。集団内でうまくやることができないことは、リスクが高い死活問題だったからです。

お互いが仲間であることを確認するためには一定のコストを支払う必要があります。人間をふくむ社会的動物は、そのために「毛づくろい/グルーミング」を行うようになりました。


社会的毛づくろい/ソーシャル・グルーミング



毛づくろいは、もともとノミやシラミなどの寄生生物を除去して清潔を保つための行為でした。群れで生活する動物たちは、それを社会的コミュニケーションとして活用するようになりました。

毛づくろいによってお互いの身体をきれいにすることで、家族や友人との信頼関係をつくったり、自分の地位・ランキングを確認したり、ストレスを回避して和解や紛争解決の手段にしたりします。

身近なところからだんだん仲間を増やして、フリーライダーや裏切り者を遠ざけていく戦略です。逆に、フリーライダーや裏切り者を発見して制裁を加える戦略もありますが、これはとても骨が折れることなので、なるべくやらずに済ませたいところでしょう。
 

集団生活する霊長類は、1日の活動時間のうちなんと20%も「毛づくろい」に費やしています。


毛づくろいからムダ話、そしてSNS

人間の脳のスペックなら群れの大きさは約150人(ダンバー数)で、これを維持するためには活動時間の40%を「毛づくろい」のために費やさなくてはなりません。

音声グルーミング

とてもそんなことはできないので、人間は音声によるグルーミング、つまり「おしゃべり」で代用するようになりました。物理的なグルーミングよりも労力が少なく、同時に複数の個体とやりとりができて便利だからです。

いわゆるスモールトーク、雑談・冗談・世間話・うわさ話などのくだらないムダ話にこそ「人間の言葉」の起源があるというシンプルなダンバーの仮説です。言葉を大切にするマジメなひとから怒られそうな話です。

その延長線上に、飲み会・パーティー・ゴルフなどの社交的活動や文化が形成されていきます。さらに、ソーシャル・ネットワーク・サービス/SNSの「いいね!」で代用されるにいたって、ますますお手軽になっています。


社会的知性とASD

自閉スペクトラム症/ASDをもつひとはかかえている「社会性の困難」は、このような社交を要求される場において顕著となります。どれもこれも苦手なのです。

彼らにとっては、社交的活動のためにコストを払うことは意味のない茶番にみえてしまうからです。ASDをもつひとのなかには言語能力が非常に高いひとがいますが、実務的な議論やスピーチや演説などはうまくやれても、スモールトークはなかなかうまくできません。

逆に、スモールトークがやたらとおもしろいひとは、社会的地位と豊富な人脈を得て楽しく人生を謳歌していたりします。

これはいわゆる「社会的知性」といわれているもので、「アカデミックな知性」よりも重要であるという考え方があったりするので、次回まとめてみます。