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精神病と薬物依存とリスク・マネジメント


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新型コロナウイルスを撲滅するまで延々とロックダウンを徹底するのはアホらしいけど、ノーガード戦法で感染を放置するのもバカげています。恐怖とパニックで両極端な考えに偏りやすくなっているときこそ、リスク・マネジメントの視点が重要だなと思う昨今です。

さて、前回は精神科治療を受けているひとが犯罪をおかした場合、精神病の影響よりも薬物の影響が大きいと判断されがちな傾向があることについてまとめました。

今回は、精神病や薬物依存をもつひとの犯罪について、適切なリスク・マネジメントが必要ではないか、ということを考えていきます。


歓迎される精神病、敬遠される薬物依存

精神病と薬物依存、両者とも脳内では似たようなことが起こっていて、急性期の治療はほぼ同じだったりします。精神病も薬物依存も、どちらとも同じ精神障害で治療の対象なのですが、処遇にはめちゃくちゃ大きな格差があります。

というのも、日本は薬物依存になった芸能人がめちゃくちゃバッシングされるくらい薬物依存にキビしい社会で、専門家であるはずの精神科医でさえも薬物依存をもつ患者さんを敬遠しがちだったりします。

なので、薬物依存をもつ患者さんは一部の薬物依存を専門とする精神科医が一手に引き受ける傾向があって、少なくとも薬物依存を好んで治療する精神科医は少数派です。一方で、精神病をもつ患者さんはどんな精神科医でも喜んで治療にたずさわります。


精神病をもつひとの犯罪率は低い?

一般的に、「精神病をもつひとは犯罪率が低い」とされています。精神病のひとの犯罪は「あってはならない」ことになっています。しかし当然のことながら精神病をもつひとが不幸にも犯罪をおかしてしまうことはあるわけです。

ただし、そのほとんどが未治療だったり治療を中断しているケースでしょう。適切に治療を受けているのにもかかわらず、犯罪をおかしてしまうケースはかなり少ない一方で、精神病が悪化しているときは「まるで別人のように」症状に支配されて行動することがあって、それが犯罪に結びつくリスクはあるわけです。

つまり、精神病をもつひとは一般のひとよりも犯罪率が低いことよりも、精神病の治療をちゃんと受けているかどうかでリスクは大きく変動するということが重要です。なので、本来はリスク・マネジメントが必要なはずなのですが、そのような議論をすると「精神障害者を犯罪者あつかいするな!」と激しく怒る「白黒でしか物事を判断できない」ひとが多いので、公にはあまり議論ができなくなっています。

そして、精神病の症状が悪化して犯罪に結びついてしまったケースは、まるで最初から純粋な精神病ではなかったかのようにみなされて排除されているのではないか、と感じてしまうケースが目につきます。


精神病/薬物依存かどうかと犯罪率は関係ない

たとえば、
  • 依存性薬物を適切な使用法で嗜んでいる/楽しんでいるひと 
  • 適切な治療を受けることで精神病の症状をコントロールしているひと 
両者は同じように犯罪のリスクが低いでしょう。

一方で、
  • 依存性薬物をめちゃくちゃに使用しているひと 
  • 精神病を治療せずに放置して症状が悪化しているひと 
両者は同じように犯罪のリスクが高いこと予想されます。

依存性薬物なり精神病に大きく影響を受けるようになると、社会的に適切な行動ができなくなってしまいます。さらに、精神病をもつひとが依存性薬物を使用すると、精神状態が悪化するというやっかいな相乗効果があります。

つまり、精神病をもつひとが適切な治療を受けずに依存性薬物を使用している状態はとてもリスクが高いわけです。

精神病をもつひとの犯罪率が高いか低いかを議論してもしかたがありません。同じ精神病をもつひとでも症状のバリエーションが大きいし、適切な治療をうけているかどうかで状態は大きく異なるからです。

適切な治療がなされているかどうかでリスクは変わるのは、どんな疾患にも当てはまることです。高血圧や糖尿病は放置すると怖い病気ですが、適切に治療を継続すれば怖くないのと同じことなのです。


リスク・マネジメント

精神病と診断されたら精神科病院に一生隔離されていた時代から、自由でノーマライゼーションの進んだ社会を目指すようになれば、リスクを正しく評価して対策するリスク・マネジメントが重要になることは当然です。


そうしないと、問題が起こるたびに「昔はよかった」という言説が生まれて堂々めぐりになってしまって、いつまでたっても進歩しません。


みんな仲良くわかり合える理想的な共同体をつくることを目指すのは不可能なので、異質でわけがわからなくてうっとうしいひとがそばにいてごちゃごちゃしているけど、適切なリスクマネジメントによってお互い安心して快適に過ごせる社会を目指すべきだと思う今日この頃です。

ホモ・サピエンスのエピジェネティックな規制緩和


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twins

一卵性双生児は意外と似ていない

遺伝子がまったく同じ(クローン)であるはずの一卵性の双子(きんさんぎんさん、おすぎとピーコ、工藤兄弟、ザ・たっち)は、似てはいるけれど同じ人間ではありません。

おすぎとピーコは、1980年代にけっこう人気のあったタレントさんです。こうしてみると、あまり似ていません。
若い頃からけっこう似ていなかったようです。
おすぎとピーコの学生時代
おすぎは映画評論家で、顔が大きめです。
おすぎ
ピーコはファッション評論家で、眼の手術をしてからメガネをかけています。
ピーコ
人気アニメ・新世紀エヴァンゲリオンでは、綾波レイというクローンのキャラクターが登場しますが、クローンごとにそれぞれ性格が異なっていたりします。
綾波レイ

このような現象を分子レベルで説明する「エピジェネティクス」という言葉が近年注目されています。


エピジェネティクスとは

最近よく耳にする聞きなれない言葉です。ちょっとざっくり説明していきます。

まず、そもそもDNAという生物の設計図は確固たるものとしてあつかわれてきました。

DNA複製▶RNA転写▶タンパク質への翻訳▶形質発現というプロセスを経て表現されていく「セントラルドグマ説」が提唱され、それに基づいた研究が行われてきました。

ですが、先ほどみてきたように、一卵性双生児は遺伝子が全く同じにもかかわらず、弟だけ顔が大きかったり、兄だけ目の病気をわずらったりすることがあるわけです。

遺伝子がまったく同じ一卵性の双子やクローンといえども、実際にはそれぞれ違う性質をもった細胞の集まりなわけです。

遺伝子を取りまく周囲の状況を、タンパク質などの生体分子によって修飾つまり「お化粧」することで、遺伝子の発現パターンや細胞の性質を変えることができるわけです。

さらに、いったん確立した「お化粧」を子どもの細胞にも伝達できるようなシステムによって、持続可能にすることもできるようです。

つまり、細胞には遺伝子だけの性質に決定されることなく、遺伝子の発現パターンをいじって多様化する能力が備わっています。そのため、一卵性の双子が異なる性質をもつようになると考えられています。

このように、生まれた後から決定される遺伝的なシステムを「エピジェネティクス」と呼びます。

遺伝子って意外とダイナミックなものみたいです。


ネアンデルタール人が規制したもの

ヒトに最も近い人類であるネアンデルタール人のゲノム(遺伝情報の全体)を利用して、エピジェネティクスがどのように行われてきたのかを調べた興味深い研究があります。


エピジェネティクスのひとつとして重要な「DNAメチル化」のマッピングを復元することで、現代人/ホモ・サピエンスのマップと比較することができたという研究です。

その結果、ネアンデルタール人は現代人と違って、自閉症・統合失調症・アルツハイマー病などの精神疾患に関わる遺伝子のほとんどがDNAメチル化によって発現が停止されていることが判明しました。

ネアンデルタール人も精神疾患の遺伝子をもっていたんだけれど、その遺伝子のスイッチをOFFにして、活用することなく規制していたようです。

※研究対象のネアンデルタール個人にたまたま特有のものであった可能性もあるので、今後検証が必要なようです。


ホモ・サピエンスが規制緩和したもの

現代人/ホモ・サピエンスは、この精神疾患の遺伝子をスイッチONして大いに活用しているわけです。つまり規制緩和をしたようなものです。

ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは、同時代に数万年ものあいだ共存していましたが、ネアンデルタール人は絶滅し、ホモ・サピエンスは繁栄しました。

両者の明暗を分けたのは、ホモ・サピエンスが認知能力を飛躍的に向上させていた可能性が指摘されています。

ホモ・サピエンスはリミッターを解除して脳の機能を向上させたことによって、ネアンデルタール人よりも繁栄することができましたが、同時に精神疾患に悩まされるようになったのかもしれません。

つまり、ホモ・サピエンスの発展と精神疾患の発症リスクは諸刃の剣なのかもしれません(天才と統合失調症のチキンレース)。


規制緩和の功罪

規制緩和は、それまで守られてきた既得権益をなくすことで新規参入を増やし、消費者が自由な選択ができるようになることによって経済を活性化させる、という考え方で推進されます。

日本電信電話公社▶NTT、国鉄▶JR、労働者派遣・バス・介護福祉・医薬品販売・農業・電力などなど、さまざまな業界で規制緩和が行われてきました。

規制緩和によって競争が活発化することによって、技術革新や商品・サービスの開発が促進されて、商品・サービスの質が向上したり価格が低下したりと、歓迎すべきメリットがたくさんあります。

反面、競争が激しくなることで、安全面やコンプライアンスを犠牲にしてしまい、事故や不祥事が起こったりするリスクを抱え込んでしまいます。


リスク・マネジメントと精神科医療

事故や不祥事は、一時的に騒がれてもすぐに忘れ去られてしまうのが常で、規制緩和の流れは今後も少しずつ進んで後戻りしそうにありません。

現代人/ホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人のように規制を受け入れたまま不自由に耐えることができない性質があるみたいです。

ともかく規制緩和以後の消費者は、選択の自由を手に入れた代わりに、リスクと責任を抱えこむことになりました。なので、自分自身で適切な情報を手に入れて、自分のアタマで考えて、判断しなくてはならなくなってきています。

というわけで、事故や不祥事を「あってはならないもの」として切り捨てて騒ぎ立てて忘れ去り、また同じ過ちを繰り返してしまうのではなく、「起こりうるもの」としてリスクを評価してマネージメントしていくことが重要になります。

そのような考え方は、精神科医療において学ぶべきところが多いと思う今日この頃です。

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