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色彩感覚からの共感能力


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ASDのひとは黄色が苦手?

自閉スペクトラム症(ASD)の症状のひとつである感覚過敏は、普段の色の好みにも影響しているのか、という研究。
正高信男 霊長類研究所教授、マリン・グランドジョージ レンヌ第一大学講師らの研究チームは、自閉症スペクトラム障害(ASD)の特徴の一つと考えられる知覚過敏の中でも色彩に着目し、ASD児の色彩感覚にどのような特徴がみられるかを調査しました。
ASD児の色彩感覚結果グラフ
その結果、ASD児は比較的茶色と緑色を好み、黄色を嫌がることがわかりました。黄色は生理的に刺激が強いことが原因ではないか、という考察です。

確かに、視覚障害者のための点字ブロックは目を引きやすいように黄色にしてあります。
黄色い点字ブロック
ただ、ASDは感覚過敏があって黄色は刺激が強いので気をつけましょう、という理解だけだと薄っぺらい感じがして何だか物足りません。

知覚の様式が通常とは異なるという特性は、ASDにとってどのような意味を持つのか、考えてみたいと思います。


霊長類が色彩感覚を発達させた理由

そもそも、霊長類は樹上生活に適応するためにすばらしい色彩感覚を身につけてきました。これには栄養分に富んだ果実や若葉を検出できるように進化したという説明があります。

以前紹介したマーク・チャンギージーによると、人間の色彩感覚は光そのものの色ではなく、「肌の色の変化」を知覚するために最適化されているらしいです。

人間の肌の色は酸素飽和度の高低(赤↔緑)とヘモグロビン濃度の高低(青↔黄)によって色が変わります。これに対応して、色覚を感知する錐体細胞は、肌の色が大きく変わる色の波長(赤・緑・青)を感知するのに都合よく配置されています。

そうすると、血液が滞ってうっ血しているのか、酸素が足りないのか、という健康状態だけでなく、怒って赤くなっているのか青ざめているのかという感情や精神状態を鋭敏に捉えることができるようになります。

人間の色彩感覚は、ちょうど医療機器「パルスオキシメーター」のごとく健康状態を把握したり、極端な話、超能力者のように相手の感情や精神状態を読みとる能力があると言えるわけです。
人間の目は、肌を、セックスとバイオレンス満載の感動的なドラマを眺めることのできる、フルカラーのディスプレイに変えるように進化してきたからだ。色覚を持たない動物には、あるいは、私たちと同じような色覚を持たない動物には、そうした肌の「ショー」は見えない。

肌の露出と色彩感覚

肌の色彩
最近では「肌色」のことを「うすピンク」と表現するようですが、「肌色」はいわばキャンバス、つまりデフォルトな色なので表現しにくかったり、知覚しにくかったりします。反面、化粧で少し色をつけるだけですごくインパクトをもちます。

色覚は霊長類によって大きな差があります。たとえば、キツネザルにはフルカラーの色覚はありません。
キツネザル
一方で、ニホンザルなどの旧世界ザルや人間にはフルカラーの色覚があります。
ニホンザル
写真をみれば一目瞭然、キツネザルの顔は体毛に覆われていて肌が露出していなくて、ニホンザルなどの旧世界ザルと人間の顔は肌が露出しています。さらに人間は二足歩行によって視認できる肌の領域が格段に増えました。

これによって、肌の変化をこまやかに観察できるようになって、健康状態から感情や精神状態の変化をとらえやすくなったのではないかと考えられています。

これは、相手の気持ちを考えて「共感する能力」を基礎づけることに関与しているのかもしれません。

色覚の男女差

マーモセット
系統発生的にはキツネザルとニホンザルのちょうど中間にあたるマーモセットなどの新世界ザルは、メスだけがフルカラーの色覚をもっています。色覚能力には明確な男女差が存在しています。

これは、メスが子どもの健康状態や気分を把握しなければならない場面が多いことに適合しているようです。つまり、メスはオスよりも相手の感情や精神状態を感じとる能力、いわば共感する能力に長けているのかもしれません。

ちなみに、人間の色覚異常は男性の方が女性より約250倍も多いのはこの流れをひきずっているようです。

色覚異常のひとが見る世界

色覚異常のひとは情報処理の過程が通常のひととは異なるので、物事の捉え方や感じ方、もしかしたら考え方や世界観まで違っているのかもしれません。
ゴッホの自画像ゴッホの本当のすごさを知った日
ゴッホの作品は独特な色づかいで異彩を放っていますが、↓↓↓のように作品を色覚異常の見え方をシュミレートすると全く違った味わいが出てくるそうです。
色覚異常者がみたゴッホの自画像
色覚体験ルームで見たゴッホからは、そのような色の突拍子のなさというか、線の荒さというか、そんなのがすーっと消えて、とても繊細で微妙な濃淡を持つ見事な絵になっていたのだ。
ゴッホの本当のすごさを知った日
このように、なんとなく深みとか凄みが増しているようです。

別の観点からみると、色覚異常のひとは色のバリエーションが少ないおかげで、取り扱うデータ量を縮減して情報処理を効率化させているハズです。もしかしたら、それによって別の能力を高めることにリソースを配分しているのかもしれません。


共感する能力/システム化する能力

ところでASDのひとは共感するのが苦手とされていて、色覚異常ほどではないのですが、ASDも男性の方が女性よりも約4倍多いことが知られています。

もしかしたら、女性は「色彩感覚からの共感能力」を活用してASDの症状を代償している可能性があるのかもしれません。

ここでどうしても連想してしまうのはサイモン・バロン=コーエンです。彼は、物事を秩序立てるシステム化能力に優れた男性と、他者と共感する能力に優れた女性を対比させて、ASD者が共感よりもシステム化する傾向が高いことを示しました「共感-システム化理論(EST)」。

共感という概念はなかなか複雑なので、次回にでも整理していきたいと思います。

直観像素質と言語能力の相乗り


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直観像素質者とは

直観像とは,像が心の中といった場所ではなく目の前に定位し,文字通り目に見えるという主観的印象を伴って現れる心的視覚イメージの一種である。
つまり、パッと目にした映像を鮮明に記憶できる能力です。子どもの頃はけっこうこの能力を持っているのですが、発達にともなって失われるという説があって、それを生涯もっているひとのことを直観像素質者といいます。

ちなみに、酒鬼薔薇聖斗こと少年Aを精神鑑定した中井久夫は、彼を直観像素質者と鑑定しました。


テンプル・グランディンの視覚型思考

 私の場合はGoogle画像検索のように 具体的な画像が次々と浮かんでくるんです
「靴」という言葉が発せられると 50年代60年代の靴がたくさん 私の脳内に浮かぶんです

天才的頭脳をもったASDとして有名なテンプル・グランディンの視覚的思考は、どうやら直観像素質のことを言っているようです。


直観像記憶と言語のトレードオフ仮説

直観像素質は直観像記憶とか映像記憶とも言われていて、人間の子どもだけでなく、チンパンジーの子どもにもこの能力があることが、京都大学霊長類研究所の実験によって明らかになっています。
チンパンジーの子どもはすべて直観像記憶をもっている。ということは,種全体としてみて,チンパンジーのほうが人間よりも,瞬時に細部を記憶する能力において優れていると考えられる。


直観像素質を持っていた方が自然界で生き延びる上で有利だったのでしょうが、それならばなぜこの能力が失われていったのでしょうか。

生の映像データをいったん表象/アイコンとしてとらえて、さらに象徴/シンボルにまとめる作業、すなわち言語を操作する能力にとって変わられたのではないか、という「直観像と言語のトレードオフ仮説」という回答があります。

例えば、5,000,000,000Bの動画が5,000,000Bの画像へ、さらに5,000Bの文章へとデータが圧縮されていきます。これによって情報処理が格段に効率よくなって、パターン認識など抽象的な思考ができるようになるでしょう。

PCであればアプリをインストールしてカンタンにできることなのですが、生物には構造的な制約があるので100万年以上かかって進化しないといけないし、メモリー増設してふたつの能力を両立させるのではなく、ひとつの能力を犠牲にしなければ新しい能力を手に入れることができなかったようです。


読書する脳

運動性言語中枢は脳にある「話す」ための構造があって、その部位を障害されると運動性失語症になります。

一方で、学習障害のなかに読字障害/ディスクレシアがありますが、「読む」ための構造、つまり読字中枢なるものは脳のどこを探しても見当たりません。

読字中枢が障害されたからディスクレシアになった、という単純な話にはならないわけです。
脳には読字専用の遺伝子もなければ、生物学的構造物も存在しない。それどころか、文字を読むためには、本来、物体認識やその名称の検索など、他の作業のために設計され、遺伝子にもプログラムされている古くからの脳領域を接続し、新しい回路を形成することを、一人一人の脳が学ばねばならないのだ。


つまり、人間ははじめから読書できるように設計されていないので、生まれた後で新しいネットワークを自動的に作動させるシステムを構築していかないといけないわけです。


ニューロン・リサイクリング仮説

フランスの脳科学者スタニスラス・ドゥアンヌは、この読字中枢を「レターボックス」と名づけ、形態を認識する脳の部位を読字能力に再利用するという「ニューロン・リサイクリング仮説」を提唱しました。
レターボックスは,脳の可塑性の高い部位に発生し,そこに定着する。読字能力を鍛えない場合,レターボックスができるはずだった場所には,他の視覚認知(道具,家,顔など)が進出する。
これは京都大学霊長類研究所の「直観像記憶と言語のトレードオフ仮説」と似たようなことを言っています。


文字には自然が組み込まれている

私たちが読字という超人的能力を持っているのは、文字を読むように進化したからではなく、表記が人間の目にうまく合うように進化したからだ。


アメリカの理論神経生物学者マーク・チャンギージーは、まさに逆転の発想で、ニューロン・リサイクリング前の(自然に適応していた)形態を認識する脳の部位≒直観像素質に合わせて、人工物である文字の方が進化し、ひとが読み取りやすい形態をとるようになった、つまり、文字には自然が組み込まれている、と考えました。

それを証明する方法がめちゃくちゃエキサイティングで、自然界の形態を認識する特徴と、あらゆる文字の形態を認識する特徴が一致していることを証明するために、それぞれを要素に分解して頻度分析を行いました。すると、両者の出現パターンが完全に一致しているというわけです。
エレメント
ここから導き出されるのは、自然が淘汰されるように文化も淘汰される、そのインターフェイスとして脳が介在しているというコンセプトです。そう考えると、どちらの能力が原始的か先進的かではなく、いずれも相対的なものであると理解できるようになります。

とあるタイプのASDやディスクレシアを矯正すべき能力の欠如とか障害ではなく、とある能力の偏位とか能力間のアンバランスなどの多様性として理解しやすくなるでしょう。


動作性IQと言語性IQのトレードオフ

知能検査をして知能指数IQを測定すると、動作性と言語性2つのIQが測定できます。ざっくり言うと、

動作性IQは、目で見て手を動かす能力
言語性IQは、耳で聞いて言葉を使う能力

最近は、言語性-動作性の2分法ではなくて、動作性IQを知覚統合と処理速度、言語性IQを言語理解と作業記憶に分ける4分法で解釈することが推奨されていますが、実際にはどちらかに偏るケースが多いので、ひとまずざっくりと理解する上では2分法がまだまだ有用だったりします。

学校教育はまだまだ言語性IQが重視される傾向があるので、言語性知能が優位なひとが有利になって、動作性知能が優位なひとは不利だったりします。一方で製造業の現場であれば、口ばっかりで手が遅いひとよりも黙々と手を動かすひとの方が有利だったりします。

つまりは結局のところ環境次第なので、知能検査の細かい項目についてアレコレ議論するよりも、さっさと環境を変えてしまった方が早く問題を解決できたりします。


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