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直観像素質と言語能力の相乗り


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直観像素質者とは

直観像とは,像が心の中といった場所ではなく目の前に定位し,文字通り目に見えるという主観的印象を伴って現れる心的視覚イメージの一種である。
つまり、パッと目にした映像を鮮明に記憶できる能力です。子どもの頃はけっこうこの能力を持っているのですが、発達にともなって失われるという説があって、それを生涯もっているひとのことを直観像素質者といいます。

ちなみに、酒鬼薔薇聖斗こと少年Aを精神鑑定した中井久夫は、彼を直観像素質者と鑑定しました。


テンプル・グランディンの視覚型思考

 私の場合はGoogle画像検索のように 具体的な画像が次々と浮かんでくるんです
「靴」という言葉が発せられると 50年代60年代の靴がたくさん 私の脳内に浮かぶんです

天才的頭脳をもったASDとして有名なテンプル・グランディンの視覚的思考は、どうやら直観像素質のことを言っているようです。


直観像記憶と言語のトレードオフ仮説

直観像素質は直観像記憶とか映像記憶とも言われていて、人間の子どもだけでなく、チンパンジーの子どもにもこの能力があることが、京都大学霊長類研究所の実験によって明らかになっています。
チンパンジーの子どもはすべて直観像記憶をもっている。ということは,種全体としてみて,チンパンジーのほうが人間よりも,瞬時に細部を記憶する能力において優れていると考えられる。


直観像素質を持っていた方が自然界で生き延びる上で有利だったのでしょうが、それならばなぜこの能力が失われていったのでしょうか。

生の映像データをいったん表象/アイコンとしてとらえて、さらに象徴/シンボルにまとめる作業、すなわち言語を操作する能力にとって変わられたのではないか、という「直観像と言語のトレードオフ仮説」という回答があります。

例えば、5,000,000,000Bの動画が5,000,000Bの画像へ、さらに5,000Bの文章へとデータが圧縮されていきます。これによって情報処理が格段に効率よくなって、パターン認識など抽象的な思考ができるようになるでしょう。

PCであればアプリをインストールしてカンタンにできることなのですが、生物には構造的な制約があるので100万年以上かかって進化しないといけないし、メモリー増設してふたつの能力を両立させるのではなく、ひとつの能力を犠牲にしなければ新しい能力を手に入れることができなかったようです。


読書する脳

運動性言語中枢は脳にある「話す」ための構造があって、その部位を障害されると運動性失語症になります。

一方で、学習障害のなかに読字障害/ディスクレシアがありますが、「読む」ための構造、つまり読字中枢なるものは脳のどこを探しても見当たりません。

読字中枢が障害されたからディスクレシアになった、という単純な話にはならないわけです。
脳には読字専用の遺伝子もなければ、生物学的構造物も存在しない。それどころか、文字を読むためには、本来、物体認識やその名称の検索など、他の作業のために設計され、遺伝子にもプログラムされている古くからの脳領域を接続し、新しい回路を形成することを、一人一人の脳が学ばねばならないのだ。


つまり、人間ははじめから読書できるように設計されていないので、生まれた後で新しいネットワークを自動的に作動させるシステムを構築していかないといけないわけです。


ニューロン・リサイクリング仮説

フランスの脳科学者スタニスラス・ドゥアンヌは、この読字中枢を「レターボックス」と名づけ、形態を認識する脳の部位を読字能力に再利用するという「ニューロン・リサイクリング仮説」を提唱しました。
レターボックスは,脳の可塑性の高い部位に発生し,そこに定着する。読字能力を鍛えない場合,レターボックスができるはずだった場所には,他の視覚認知(道具,家,顔など)が進出する。
これは京都大学霊長類研究所の「直観像記憶と言語のトレードオフ仮説」と似たようなことを言っています。


文字には自然が組み込まれている

私たちが読字という超人的能力を持っているのは、文字を読むように進化したからではなく、表記が人間の目にうまく合うように進化したからだ。


アメリカの理論神経生物学者マーク・チャンギージーは、まさに逆転の発想で、ニューロン・リサイクリング前の(自然に適応していた)形態を認識する脳の部位≒直観像素質に合わせて、人工物である文字の方が進化し、ひとが読み取りやすい形態をとるようになった、つまり、文字には自然が組み込まれている、と考えました。

それを証明する方法がめちゃくちゃエキサイティングで、自然界の形態を認識する特徴と、あらゆる文字の形態を認識する特徴が一致していることを証明するために、それぞれを要素に分解して頻度分析を行いました。すると、両者の出現パターンが完全に一致しているというわけです。
エレメント
ここから導き出されるのは、自然が淘汰されるように文化も淘汰される、そのインターフェイスとして脳が介在しているというコンセプトです。そう考えると、どちらの能力が原始的か先進的かではなく、いずれも相対的なものであると理解できるようになります。

とあるタイプのASDやディスクレシアを矯正すべき能力の欠如とか障害ではなく、とある能力の偏位とか能力間のアンバランスなどの多様性として理解しやすくなるでしょう。


動作性IQと言語性IQのトレードオフ

知能検査をして知能指数IQを測定すると、動作性と言語性2つのIQが測定できます。ざっくり言うと、

動作性IQは、目で見て手を動かす能力
言語性IQは、耳で聞いて言葉を使う能力

最近は、言語性-動作性の2分法ではなくて、動作性IQを知覚統合と処理速度、言語性IQを言語理解と作業記憶に分ける4分法で解釈することが推奨されていますが、実際にはどちらかに偏るケースが多いので、ひとまずざっくりと理解する上では2分法がまだまだ有用だったりします。

学校教育はまだまだ言語性IQが重視される傾向があるので、言語性知能が優位なひとが有利になって、動作性知能が優位なひとは不利だったりします。一方で製造業の現場であれば、口ばっかりで手が遅いひとよりも黙々と手を動かすひとの方が有利だったりします。

つまりは結局のところ環境次第なので、知能検査の細かい項目についてアレコレ議論するよりも、さっさと環境を変えてしまった方が早く問題を解決できたりします。


子育て神話の呪縛


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話題の子育て本を読んでいると、とても興味深いことが書いてあったので紹介いたします。「子育ての大誤解」タイトルはかなりアホっぽいのですが、意外とエビデンス重視の骨太な内容の分厚い本でした。
子育ての大誤解〔新版〕上――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)
ジュディス・リッチ・ハリス
2017-08-24



子育ての大誤解〔新版〕下――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)
ジュディス・リッチ・ハリス
2017-08-24







Kellogg博士のクレイジーな実験

自分の赤ちゃん(ドナルド)とチンパンジーの赤ちゃん(グア)を同じように育てるとどうなるか。1931年、心理学者のKellogg博士は今では考えられないクレイジーな実験をやってしまいました。
Kellogg博士とグア
ドナルドとグア
ドナルドとグア2

ネット上には実際の論文「Kellog. W. N. and Kellog, L. A. : 1933. The Ape and the Child.」(PDF注意16.8MB!!!)や動画も公開されています。




想定外の結果、実験の中断


Kellogg夫妻は愛情を込めて我が子とチンパンジーを徹底して対等に育てました。ドナルドとグアはいつも仲睦まじく行動を共にしました。その結果、何が起こったか。

当初この実験はチンパンジーがどこまで人間に近づくかを想定していたようで、グアは簡単な道具を使ったり、いくつか言葉を理解できるようになったのですが、想定外の事態が起こったため実験は中止になりました。

なんと、ドナルドの発達が遅れてしまったのです。


人間とチンパンジーの違い


ドナルドとグアを比較すると運動能力や言語能力など細かい違いはありましたが、決定的な違いは「模倣する能力」でした。ドナルド(人間)はグア(チンパンジー)の行動を模倣することができましたが、グア(チンパンジー)はドナルド(人間)を模倣することができませんでした。

その結果、人間であるドナルドはチンパンジーの行動を模倣するようになり、人間の言葉を覚えなくなってしまいました。

同じ人間である両親がさんざん愛情を込めてドナルドに語りかけていたにも関わらず、チンパンジーであるグアの影響を強く受けてしまいました。つまり、親よりも仲間の影響力の方が「種を超えて」強かったという衝撃的な事実が判明しました。

発達心理学では、幼少期の子どもは親からの影響を強く受けているとされています。いわゆる「三つ子の魂百までも」。そして、思春期になると仲間の影響を強く受けるようになるとされていますが、乳児の段階からすでに親よりも仲間の影響を強く受けるようプログラムされているということになります。


集団社会化説


「子育ての大誤解」では、この他にも子どもは親の影響よりも同世代の子どもの影響を強く受けるというエビデンスがこれでもかと積み上げられ、「集団社会化説」を展開していきます。ざっくりまとめると、、、

昔から子どもの面倒をみるのは年長の子どもたちだった。子どもは自分に似た子どもに惹かれて集団を形成して他集団と差別化を図るようになり、その経験を通じて社会性を獲得していく。結局のところ、親は子どもに対して影響力を行使できないので、親が子どものために犠牲になって努力したってたいてい報われない。だから、親は子どもに執着せずに自分の人生を楽しむべきだ。

これって普段の診療で、子育てに疲れきった親御さんに対してお伝えしていることとかぶっていたりします。


子育て神話の「最後の砦」


ただし、誤解しないでいただきたいのは、親が子育てを放棄していいということではありません。ネグレクトや虐待が子どもに悪影響を与えるのは明白です。

つまり、親が子どもに影響を与えるのはネガティブなことだけで、むしろ虐待が子育て神話の最後の砦になっているのかもしれません。


進化心理学による裏づけ

「集団社会化説」は進化心理学によって裏づけられています。


チンパンジーの兄弟はみな歳が5歳以上離れています。チンパンジーの子どもは5歳まで離乳ができずに母親との密着状態を維持します。チンパンジーの母親は育児に没頭しているため、働いたり次子を妊娠することができません。

一方で、人間の母親は授乳期間が短かく、早々に子どもを集団に預けて仕事をしたり次子を妊娠したりすることができます。つまり、どちらかと言いえば人間よりもチンパンジーの母親の方が子育てに熱心だし、人間は昔から保育所や幼稚園に預けて共働きするのがデフォルトで、誰もが保育士の役割を担っていたと言えるでしょう。

「集団社会化説」は、人類が発展するためにとった「共同作業」と「共同繁殖」という二大戦略による、当然の帰結だとするとスッキリ納得できます。


それでも親にできること


たとえば、学校でいったんスクールカーストが形成されてしまうと、キャラとポジションが固定されて抜け出せなくなってしまいます。


そんな状況下で、精神分析的に親子関係を掘り下げてみたり、行動主義的に行動分析をしても仕方がありません。それどころか、親の罪悪感を煽ってしまうことすらあります。


勉強熱心な親御さんほど「発達の専門家」の自説に従って一生懸命努力するのですが、結果的に、専門家の助言が正しいことを立証するために奉仕しているだけで、全然子どものためにはなっていないようにみえることがあったりします。

集団社会化説によると、子どもが所属する集団においてうまくいかなくなった場合、親は子どもの環境を柔軟に変更してあげることが重要であるという解が導き出されます。実際の診療場面でも、学校内外にいくつもリソースがあるので積極的に利用すべきだし、子どもが安心して所属できる環境へ移動するだけで解決する場合がけっこうあったりします。

「子どもには愛情が必要だからと子どもを愛するのではなくて、いとおしいから愛するのだ。彼らとともに過ごせることを楽しもう。自分が教えられることを教えてあげればいいのだ。気を楽に持って。彼らがどう育つかは、あなたの育て方を反映したものではない。彼らを完璧な人間に育て上げることもできなければ、堕落させることもできない。それはあなたが決めることではない。」

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