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コンサータを飲むと頭が良くなる?


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「もうすぐ受験なので頭をスッキリさせて勉強したいからコンサータを処方してください!」

あるいは

「とあるクリニックで、受験生だからコンサータを飲んでおきなさいとすすめられたけど、どうなんですか?」

という理由でクリニックに来るひとが増えています。

また、とある開業医は、

「とりあえずADHDっぽかったらコンサータ出しとけばええやろ。発達障害は治らんし、コンサータはやめられへんから、手っ取り早くリピーターになるで!」

と、非公式の場で主張したりしています。

コンサータは覚醒剤の親戚みたいな薬なので、たしかに集中力を高める作用があります。なので、ADHDの治療目的だけではなく、能力を向上させる/エンハンスメント目的で使用される場合があるようです。

また、コンサータは若干の依存性があるので、カンタンに処方できないよう登録制になっていて厳格に管理されています。とはいえ、ちょっとした事務手続きをふめば、どんな医師でも処方できる仕組みだったりするのであまり意味はなかったりします。


実際のところ、コンサータの効果はどうなのか?

ぼくは基本的には、比較的重症のADHDをもつ小児の患者さんに限定してコンサータを処方しています。なので、成人にエンハンスメント目的で使用した経験は乏しいのですが、伝え聞くところによると、コンサータを服薬することで集中力が研ぎ澄まされて試験に合格しました、だとか、集中する課題があるときだけコンサータを使用してのりきるひとがけっこういるようです。

たとえば、創作活動のときだけ使用する画家とか、手術のときだけ使用する外科医とか、いるみたいですが、はたしてそんなうまい話があるのでしょうか?

ADHD症状とクリエイティビティのトレードオフについては以前少しまとめました。小児の重症例については有効だとは思う反面、エンハンスメント目的にコンサータを利用するを手放しで歓迎することには、今のところ少し慎重になったほうがいいと考えています。



苦役を緩和するためのクスリ

もともと覚醒剤は、終戦後に大量の備蓄が市中に流出したことからわかるように、戦時中には大量生産されていました。労働や兵役のつらさを緩和する目的で広く使用されていたわけです。つまり、ムリしてパフォーマンスを上げるために用いられてきた歴史があります。



また、主に使用されるのは前線の兵士や工場労働者たち、あるいは夜なべで内職する主婦たちなど、目の前にあるしんどいタスクを忠実にこなすことを課せられたひとたちだったようです。

なので、野山をかけめぐるように教室内を動きまわるADHDをもつ子どもをつかまえて、ほとんど興味のない授業に集中させるためには有用な薬なのかもしれません。

逆に、俯瞰的にものごとを眺めて、必要に応じて細部に気を配ることには不向きであるように思えます。たとえば、画家が細部のデッサンに集中しつつ遠目で全体像のバランスをみて軌道修正する場合だとか、外科医が細部の手技に集中しつつ患者さんの全身状態をマネージメントする場合とか、柔軟な発想だとかクリエイティビティを要する仕事には向いていない可能性があります。

コンサータをうまいこと使って業績を残したひとっているのでしょうか?あまり聞いたことがないので、いたら教えてほしいです。


明るい展望があれば刹那的な薬物使用は必要ない

また、コンサータを利用することによって過剰な集中を維持すれば、12時間後にはそれまでごまかしていた疲労が一挙に押し寄せてきます。また、クスリをもらうために定期的にクリニックと薬局に通ってお金と時間を使わないといけなくなります。

これはちょうど、クレジットカードでリボ払いしているようなもので、コンサータを服用している数時間はパフォーマンスが向上してメリットがあるのでしょうが、あとあと高い利子を支払い続けないといけなくなる構図に似ているように思うわけです。

長期的な将来に対して明るい展望をもてないひとほど、刹那的な瞬間を楽しむために浪費をしてしまう傾向があることが知られています。エンハンスメントにもそのような側面があることには留意する必要があるでしょう。

どうしても苦しい状況に対する応急処置として薬物使用が必要だったとしても、治療の目標は短期的なパフォーマンスの向上ではなく、長期的に明るい展望がもてるような見通しを立てていくことだからです。

よくあるのは、うつ病で将来を悲観したり自己評価が低下したひとが、一発逆転するためにエンハンスメントを希望するパターンです。このようなケースは、うつ病の治療によって症状が改善すればエンハンスメントが必要なくなることが多かったりします。


最大の問題は「自己効力感の低下」

最近は、担任教師から授業に集中できないのでコンサータをもらってくるように言われたので来ました、というケースがあったりして、とてもディストピア感があります。

エンハンスメントが問題であると考える最大の理由は、使用している本人の自己効力感(自分はうまくやれるという感覚)が下がってしまうことです。「コンサータのおかげで〇〇できるようになりました」という話は裏を返せば「コンサータを飲まないと〇〇できないダメなひと」と言われているようなものです。

なので、コンサータを使用して効果があった場合は、コンサータをほめるのではなくて、本人の手柄であることを強調する必要があります。「ほめるためのクスリ」として利用することが大切です。

とある有名な児童精神科医にかかっている親子のことを今でもよく思い出します。「〇〇先生にコンサータを処方していただいたおかげで、うちの子は救われました!」と嬉しそうに主張する母親のギラついた目つきと、その横にいる子どものさみしそうな表情がとても印象に残っています。母親は〇〇先生とコンサータにほれこんでいるけれど、喜んで感謝すべきは医師でも薬物でもなく「子どもの成長」であることを忘れないでほしいと思う今日このごろです。

精神科の薬を飲みたくないのはなぜ?


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いくら 精神科クリニックの敷居が低くなってきているとはいえ、精神科の薬(向精神薬)を飲むのを嫌がるひとは多数派でしょう。また、精神科医のなかにも、軽い症状の患者さんに対して向精神薬を安易に処方することに慎重なひとがいます。
 
向精神薬につきまとうなんとなくの「嫌な感じ」は感覚的にはわかるのですが、はっきりと言語化されていないようなので、ぼくなりにまとめていこうと思います。

明らかに重い精神症状があって生活に困っているひとは迷うことなく向精神薬を使うでしょう。問題なのは、精神症状が軽くてそれほど生活に困っているわけではないけど、向精神薬を使うことによって現状をよりよく向上(エンハンスメント)させることができるのではないか、と考える微妙なラインに立っているひとたちです。
ニューロエンハンスメント

ニューロ・エンハンスメント/NE

医療におけるエンハンスメントとは、健康のためとか病気の治療/トリートメントではなく、人間の性能を増幅させるために行う処置のことです。たとえば、美容整形とかアンチエイジング、スポーツ選手のドーピングなどなど。

精神科領域におけるエンハンスメントはニューロ・エンハンスメント/NEと呼ばれています。認知や感情の機能を強化することを目的に向精神薬を使用することです。

前回ふれたベンゾジアゼピン受容体作動薬は脳の働きをにぶくする作用がありますが、その逆というわけです。


たとえば、抗うつ薬を飲むとパニック症やうつ病が改善するだけでなく、
社交的になったり、楽天的かつ積極的になったり、キツイ状況のなかでもあきらめずに努力できるようになったりと、感情面を強化する作用があります。

一方、ADHD治療薬は集中力を高めて苦手な課題に取り組めるようになったり、認知機能を向上させる作用があるとされています。ちなみに、医師国家試験の勉強をするためにメチルフェニデートを服用してガンガン徹夜して乗り切ったひとを何人か知っています。


精神疾患の軽症化、拡大と浸透

治療環境の進歩や情報の流通などのおかげなのかわかりませんが、精神疾患はどんどん症状が軽くなって裾野がひろがってカジュアルになって社会に浸透しています。その結果、正常と病気の区別がどんどん曖昧になっています。

なので、それまで薬物療法の対象にならないひとがどんどん薬物療法の対象になっています。つまり、向精神薬を使用する理由が、治療のためなのか、NEのためなのか、線引きがよくわからなくなっているわけです。

なかでもとくに曖昧なものが、
  • 不安やうつになりやすい性質
  • 衝動性や不注意になりやすい性質
つまり、パニック症・うつ病と注意欠如多動症/ADHDです。抗うつ薬とADHD治療薬は巨大な市場を生み出しているヒット商品です。

ひとは誰しも不安になったり、気分が落ち込んだり、衝動的になったり、うっかりミスをしてしまうものなので、疾患との線引きが客観的に難しいところを狙うのが向精神薬のヒット商品を生み出すコツでもあるわけです。

このような状況のなかで向精神薬によるNEを積極的に求めるひとと嫌がるひとはどのような背景があるのでしょうか。


ふたつの世界観/宗教・保守 vs 科学・革新

世の中には大きく分けてふたつの世界観があります。

A 人間は母なる自然から生まれた存在であり、自然の恵みに感謝すべき
 ▶ NE反対/ありのままの自分を受け入れよう

B 人間は科学技術によって、環境や自分自身を変化させて発展すべき
 ▶ NE賛成/理想にむかって自分を変化させよう

Aは宗教的で保守的な世界観、Bは科学的で革新的な世界観で、向精神薬によるNEについては、Aのひとは反対、Bのひとは賛成する傾向があるといえるでしょう。

Aの世界観をもつひとは向精神薬を使いたがらない傾向があるし、Bの世界観をもつひとは向精神薬を積極的に使ってNEしていくことでしょう。

それぞれの考え方にはメリット・デメリットがあります。

A 宗教・保守 
メリット  わかりやすい よりどころになる 安定する
デメリット 進歩がない 変化にとり残される

B 科学・革新
メリット  進歩する 可能性が広がる 夢がある
デメリット 不安定 誤った方向へ進む 

どちらか片方へ極端に突っ走るひともいれば、うまいことバランスをとれるひともいることでしょう。若いころはBの傾向が強くて、歳をとるにつれてAの傾向が強まるひとが多いのではないでしょうか。

というわけで次回からは、Aの世界観が強すぎる場合、Bの世界観が強すぎる場合、それぞれの弊害についてまとめていきたいと思います。


ベンゾジアゼピン受容体作動薬に対する精神科医の見解を世代別にまとめてみた


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前回は安定剤・睡眠薬いわゆるベンゾジアゼピン受容体作動薬/BZ系薬についてまとめました。

今回は、BZ系薬について精神科医はどんな見解をもっているかたずねてみた時のことをふりかえってみます。精神科医のなかでも世代によってかなり意見が異なっていて興味深かったので、まとめてみました。


なお、ぼくがたまたま見聞きした話を少し脚色を加えてまとめているだけなので、話半分くらいで読んでいただければ幸いです。


70代開業医A先生の場合

もうかなりのおじいちゃんなのに、いつも夜遅くまで診療をがんばっていてエラいなあと思います。

そんなA先生は、BZ系薬は「依存性はない」と断言されていて、患者さんには説明なしでバシバシ処方しています。患者さんから「依存性が心配です」とたずねられても「そんなものはない!」とお怒り気味にお答えになるそうです。

「いやいやA先生、依存性はふつうにありますよ」って指摘しても不機嫌になってスネたりするので、それ以上あまりツッコめません。

医療の世界は知識がどんどんアップデートされていくので、油断していると今までの常識が非常識になってしまうことがあります。とくに精神科の開業医は目の前の仕事にいそがしくて勉強をしなくなるひとが多かったりするので、古い知識のまま診療を続けてしまうことがあります。

さらに、開業医は自分がトップなので、注意してくれるひとがまわりにいなくなるせいか、だんだん相互的なコミュニケーションがむつかしくなる傾向があったりするので(自戒をこめて)気をつけないといけません。

というわけで、知識不足のA先生は問題外として、、、


60代開業医B先生の場合

ちょっとだけ勉強熱心なB先生は、BZ系薬の依存性は小耳にはさんで知っていますが、それでもBZ系薬はガンガン使っているようです。その理由をたずねてみると、、、

「どうせ中止しても患者さんがほしがるから出さなあかん」
「出さんかったらもう来てくれへんかもしれんから不安やねん」

患者さんから依存性について問われると、「多少あるけど大丈夫だよ」って説明しているそうです。依存性などのリスクよりもメリットが大きいと考えているようです。

興味深かったのは、B先生ご自身もよくBZ系薬を服用していて、いつも大切に持ち歩いていることです。自分がやめられないのに、患者さんにやめてもらうことはまず無理でしょう。


40代開業医C先生の場合

C先生は博士号をもっているとても優秀な医師で、A先生やB先生よりもずっと若くして開業されています。

なので、C先生はBZ系薬の依存性やリスクを熟知していらっしゃいますが、BZ系薬はよく使っているそうです。理由は、患者さんが安定して通院できるようになるから、だそうです。

C先生が開業している場所は、高級住宅街の駅前でとても人気が高いエリアです。なんと、精神科クリニックが5軒も乱立して患者さんを奪い合っている超激戦区です。なので、なによりもまずは患者さんが定着することに重きを置いているのでしょう。

C先生は自分から率先して患者さんに対して依存性のリスクを説明することはありませんが、患者さんから問われたら「依存性はあるよ」と説明してあげるスタンスだそうです。

それってどうなの?というツッコミに対する回答がなかなか興味深くて、「BZ系薬は患者さんとの絆になる」ゆえに有用である、と。

たしかに、ニコチン・カフェイン・アルコール・ドラッグなどの依存性物質は嗜好品として人々の交流を促進する効果があったりするので、ある種のカルチャーには欠かせないものだったりします。なので、一見とても魅力的な回答に思えます。
Coffee&Cigarettes

しかし、自由診療ならともかく保険診療でそんなカルチャーを担う必要はないんじゃないかという気がします。


40代勤務医D先生の場合

公的機関に勤務されているD先生はとても優秀かつエキセントリックな医師です。

D先生は、患者さんに依存性のあるクスリを説明なしで処方するのは「ヤクの売人」と同じである、という過激なご意見をおもちです。なので、もちろんBZ系薬はほとんど処方しないというスタンスです。

忖度ゼロでストイックに発言されるので、ときには敬遠されたり、自閉スペクトラム症/ASDじゃないかとバカにされたり、営業妨害すんなと恨まれたりしているD先生ですが、基本的にすべて科学的根拠に基づいて発言するひとなので、医師としてはとても信頼できる方だと思います。

そもそも、科学的に正しいことを発言する医師がASDだとか異端児あつかいされてしまうのって、どうかなと思ったりします。


まとめ

無理矢理まとめてみると、A先生・B先生はとても優しい先生で、C先生はとても賢い先生ですが、D先生とは意見が真逆なので議論が平行線になってしまいます。それらを強引にまとめると、、、

まず、A先生やB先生が精神科医になった時代は、軽いうつ病やパニック症に対する治療薬はBZ系薬しか選択肢がありませんでした。現在は副作用の少ないクスリがたくさん開発されているので、BZ系薬以外の選択肢が豊富ですが、当時はとても副作用が強いクスリばかりだったので気軽に使えなかったことでしょう。

つまり、BZ系薬しか選択肢のなかった状況がずっと長く続いてしまったがために、選択肢が増えた現在でもBZ系薬を使い続けることはある意味仕方のないことかもしれません。

しかも、(リスクの説明なしに)BZ系薬を処方すれば患者さんにはとても喜ばれます。BZ系薬は即効性があるので、効果がわかりやすいし、苦痛を一挙にやわらげてくれる、とても頼りになる薬だからです。

さらに、BZ系薬は依存性物質なので、薬を媒介として患者さんと良い関係を築くことができます。定期的にコーヒーやタバコをふるまってくれるひとを悪く思うひとはいないでしょう。

それに、BZ系薬による成功体験が忘れられない精神科医って多いんじゃないかなと思います。たまたまうまくいった行動が普遍的に正しいことであると思い込んでしまう「迷信行動」って、医療の世界ではめちゃくちゃ多いんですよね。。。

D先生の「ヤクの売人」発言はなかなかインパクトがあります。A先生とB先生は単なる知識不足なので過失といえますが、故意にやっているC先生は当たらずも遠からずというところでしょうか。


BZ系薬の使い方

じゃあお前はどうなの?というわけで、ぼくのBZ系薬の使い方をまとめてみます。ぼくのクリニックに来る患者さんの実人数およそ600名のうち20名の方にはBZ系薬を処方しています。

BZ系薬を処方するケース

  • 長期間BZ系薬を服薬していて継続を希望するひと
  • 年に数回だけピンポイントで使うひと
基本的にBZ系薬を処方することはありませんが、前の医師から長期間にわたってBZ系薬を処方されているひとを引き継いだ場合、処方を継続することがあります。

まずは依存性と副作用について十分説明した上で、BZ系薬の減量および中止を提案してみます。そうすると、比較的病状が安定していて理解力のあるひとはほとんど減量および中止を希望されます。

BZ系薬を処方することはとてもカンタンなことなのですが、減らすことはけっこうコツとわかりやすい説明が必要です。

病状が不安定だったりして余裕のないひとで処方の変更を拒否される場合は、BZ系薬の処方を継続しています。あらためて病状が安定すれば減量を提案するようにしています。

長時間のフライトやプレゼンテーションなど、年に数回のイベントのときだけ服用するひとで、自己管理能力の高いひとには少量だけ処方することがあります。

BZ系薬を処方しないケース

  • 子ども
  • 認知症をもつひと
  • 自分の感情を自分でおさえられないひと
  • 職業ドライバーのひと
子どもはまだ脳の発達が未成熟なので、脳の働きを抑制しないほうがよいと考えています。

認知症の方や、自分の感情をおさえられない方は、BZ系薬を服用することで好ましくない状態になることが予想されるので、処方することはありません。

ドライバーの方が服用することはリスクが高すぎるので処方しません。

あと、おすすめできないのは、頭脳労働されているひとや、芸術活動やスポーツをされているひとです。

BZ系薬をやめることで仕事がはかどったり、作品がつくれるようになったり、スポーツの成績が上がるひとが多かったりするからです。

BZ系薬を大量に服薬しているときはとても頭の働きがにぶそうだったひとが、減薬するたびにどんどんシャープな印象になってきて、すばらしい作品をみせてくれて驚かされることがあります。

BZ系薬の作用を考えれば能力が低下するのは当然のことなのですが、あまり気づかれていなくて、もったいないひとがいるなあと思う今日この頃です。

コーヒー&シガレッツ(字幕版)
ジム・ジャームッシュ


安定剤や睡眠薬が脳に与える影響


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社会問題化する安定剤・睡眠薬

安定剤とか睡眠薬、いわゆるベンゾジアゼピン受容体作動薬/BZ系薬のことが最近なにかと話題になっています。

ざっくりまとめると、けっこう副作用が多くて依存性が強いリスクの高い薬であるにもかかわらず、めちゃくちゃ気軽に処方されているので注意が必要ですよ、という話題です。

先輩の小田陽彦先生(兵庫県立ひょうごこころの医療センター認知症疾患医療センター長)は、BZ系薬の弊害について警鐘を鳴らす急先鋒となってメディアに登場するようになりました。


この記事は、いささかセンセーショナルに不安をあおりすぎなところもありますが、内容は事実であることに間違いありません。

一方で、安定剤や睡眠薬は広く多くのひとに利用されています。年齢とともに使用率はあがっていって、高齢者の10人に1人以上が使用しているのが現状です。
睡眠薬の年齢別使用率
これほどまでに愛用されながら、これほどまでに恐れられている薬物って、いったい人間の脳にどんな影響を与えるのでしょうか。意外と知られていないようなので、まとめてみました。


脳の活動を抑制するGABA

BZ系薬を使用すると、脳内で情報の受け渡しをするGABAという物質の働きを高めます。

GABAといえばサプリメントなどで有名で、その効能はリラックスするだとかストレスを感じにくくするんだとかいろいろ宣伝されています。ちなみに、食品に含まれるGABAは脳へは移行しないのでそのような効果はありません。

BZ系薬は脳へ移行して影響を与えます。脳の活動を抑制することで、不安が少なくなったり、リラックスできるようになったり、筋肉がゆるんでほぐれたり、眠くなったりする作用をもたらします。

さて、その結果、ひとはどのような行動をとるようになるのでしょうか?


BZ系薬の行動薬理学的効果

薬物の作用を行動レベルで分析する行動薬理学的には、ベンゾジアゼピンには抗葛藤効果があるとされています。一般的には抗不安効果とも呼ばれています。葛藤や不安を軽くする効果があるということです。

BZ系薬の効果に関するおもしろい実験があります。図のように、弱いサル(M1)と強いサル(M2)を透明の仕切りを隔てて向かい合わせます。
ベンゾジアゼピンの行動薬理学的効果



弱いサルが手元にあるレバーを押すとエサがもらえますが、同時に強いサルに電気ショックを与えるシステムになっています。なので、弱いサルがレバーを押すと、強いサルはめちゃくちゃ怒って威嚇します。そうすると、透明の仕切りにへだてられいるとはいえ、弱いサルはビビってレバーを押さなくなってしまいます。

つまり、弱いサルはエサが欲しいんだけど、強いサルには怒られたくない、という葛藤/ジレンマにおちいってしまいます。

この状況で、弱いサルにBZ系薬を投与するとどうでしょう?これまであんなにビビっていた弱いサルが、強いサルが威嚇してもおかまいなしにレバーを押すようになって、エサにありつくことができるようになりました。

弱いサルにとってはラッキーですが、強いサルはたまったものではありません。


不安や葛藤がなくなるのは良いこと?

うつ病やパニック症になると、ちょっとしたことで落ち込んだり不安になったりして身動きがとれなくなって、生活の幅がせばまったりすることで、さまざまな不利益をこうむることがあります。

葛藤のなかでものごとを決断するのはとてもエネルギーが必要だからです。どっちにしようかなーという葛藤を抱えながら決断できずに何もできなくなって時間を浪費してしまいます。

そのような局面では、BZ系薬は助けになるかもしれません。しかし、別の局面を考えてみると、ものごとはそう単純じゃないことがわかります。

たとえば、大切な仕事の締め切りが迫っていて、どうしても終わらせないといけないのにも関わらず、目の前に様々な誘惑があってサボってしまいたいという、よくある葛藤。BZ系薬を使用したらどうなるでしょうか?間違いなく誘惑に負けてダラダラしてしまいます。

場合によっては、せっかくのチャンスを逃してしまうことになりかねません。ってゆーか、そもそも大切なときに脳の働きを抑制している場合ではありません。


自殺未遂とBZ系薬の関係

もうひとつ。たとえば、うつ病が悪化して死んでしまいたいと考えている場合。人生に絶望してもう死んでしまいたいんだけど、親に迷惑がかかるからやっぱりやめておこうかな、という葛藤を抱えて迷っているひとがBZ系薬を使用したらどうなるでしょうか?

自殺未遂をして救急外来に搬送されるひとのなかにはBZ系薬を常用しているひとが多い理由がコレだったりします。自殺を決意するまでにはそれぞれ様々な事情があるのでしょうが、BZ系薬やアルコールが「最後のひと押し」になっているケースはとても多かったりします。シラフではなかなか自殺未遂はできませんから。

葛藤を抱えることは、ひとが生きる上でとても大切なことだったりします。なので、安易に葛藤を取り除いてくれる薬剤を使用することは、けっこう恐ろしいことなのです。


やっちゃいけないことをやっちゃうクスリ

BZ系薬の大きな特徴は即効性があることです。不安やうつの薬は他にもありますが、即効性がなかったりします。なので、急場をしのぐためには便利な薬ではあるけれど、ダラダラと常用する薬ではありません。

基本的に、脳の活動を抑制する薬であるということは、頭の働きがにぶくなるクスリでもあるわけです。頭脳を駆使する仕事や勉強に専念しなければならないひとはもちろんのこと、真剣にスポーツをやっているひとは服薬を長期的に継続するべきではありません。また、服薬しながら運転することはとてもリスクが高いわけです。

それに、抗葛藤効果があるということは、とにかく「ま、いっか。」って感じで、やっちゃいけないことをやっちゃうクスリともいえるので、ちょっと注意が必要です。

※ただし、BZ系薬を長期間服用しているひとが急にやめてしまうと、とてもしんどい離脱症状が出ることがあります。減量および中止するにはコツがいりますので、自己判断でやめずに主治医に相談しましょう。

SSRIを飲めばハッピーになれる?


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前回は「秩序を重んじて、律儀で、几帳面で、責任感が強い」というメランコリー親和型の特性が、現代社会においてはリスクになっているかもしれないことと、「すばやく変化できる柔軟性、したたかな能動性」という特性が有利になるかもしれない、ということを書きました。


後者はかつてピーター・クレイマーが「ハイテク資本主義に適合する人材」として記述した特性で、世界で最初に発売された新しいタイプの抗うつ薬/SSRIであるプロザックを服用することでゲットできるとされていましたが、それは本当なのでしょうか?


SSRIを飲めばハッピーになれる?

クレイマーはプロザックを、病いからの回復<マイナス→ゼロ:トリートメント>をもたらすツールというだけではなく、正常よりも優れた状態へ増強<ゼロ→プラス:エンハンスメント>させるツールとして紹介しました。

従来の抗うつ薬は不快な副作用が強くてとても飲みにくいのですが、SSRIは比較的飲みやすいので、新たな時代の生き方にマッチする画期的な薬ではないかと期待されました。

もちろん実際には、薬でお手軽に人格が変わるわけないので、これはかなりの誇大広告だったわけですが、飛びつくひとが後をたちませんでした。

処方箋をうけとるには医師の診断が必要なので、自ら望んでうつ病の診断を希望するひとが増えていきます。

誰しも、うまくいかないことが起きた時は原因を自分の外部に求めがちなので「あなたがうまくいっていない原因はうつ病のせいなので薬を飲むことで必ず問題が解決します」と誘惑されたら抗うことはできません。

大昔なら「狐憑き」、最近では「発達障害」がこの機能を一部担っているかもしれません。

実際に、日本で最初にSSRIが発売された1999年(平成11年)からうつ病の患者数が急激に増えていることがわかります。
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うつ病が増えた理由はSSRIのせい?

この流れを受けて、製薬会社がマーケティングによってうつ病患者を増やして私腹を肥やしているのではないかというSSRI批判本がたくさん出版されました。ハッピーになったのは製薬会社だけじゃないかというわけです。

歴史の勉強になる良質な本もあるのですが、このようなシンプルな因果関係は時として極端な陰謀論につながっていくことがあります。

僕が精神科医になった2003年は、SSRI全盛期からの逆風でSSRI(とくにパキシル®)批判が吹き荒れていました。純粋な医師ほどこのムーブメントに乗っかって、パキシル®を処方する医師を激しく糾弾する光景を何度も目にしてきました。

ここから発展して「精神科を受診して薬を出されたら終わり」「一生通院しないといけない身体になって廃人になる」と飛躍したりします。


抗うつ薬をめぐるアンビバレンツ

ハッピーになれる薬が欲しいからうつ病と診断して欲しいというボトムアップなムーブメントと、製薬会社がトップダウンでうつ病を増やしているんだから薬は飲むなというムーブメント。

それぞれの考え方には原理主義者がいて、多くの支持者を集めるためにだんだん極端なことを主張するようになったりします。

勝手にやってろって感じですが、臨床現場への影響として、うつ病じゃないのに薬を出してくれとせがむひとや、うつ病なのに「陰謀説」を信じてなかなか薬を飲んでくれないひとが増えてしまって困ることがあったりします。


抗うつ薬の行動薬理学

じゃあ結局のところ、抗うつ薬にはどんな作用があるのでしょうか。行動薬理学的にわかりやすく解説している本があるので紹介します。



抗うつ薬を投与された実験用マウスの行動変化から、ヒトに対してどのような作用があるのか推測することができます。
  • 抗絶望効果 キツい状況でもあきらめずに努力を続けるようになります。
  • 新規刺激恐怖への効果 目新しいヘンなものがあっても「我関せず」になります。
  • 攻撃行動抑制効果 新参者に対して攻撃をしなくなります。
  • 社会相互作用促進効果 他のマウスと友好的になって接触する時間が長くなります。
これを参考にすると、ピーター・クレイマーの主張とは真逆に、むしろ飼いならされた子羊というか社畜的な特性を高めてしまうような気もします。

ブラック労働やパワハラのある職場で耐え忍んでいるひとが抗うつ薬を飲んでその場にとどまり続けたらどうなってしまうのでしょうか?なんだかディストピア小説じみてきました。


抗うつ薬の効果は実際どうなのか?

抗うつ薬はうまく利用することでうつ病の回復がスムーズになることがありますが、特効薬ではないので劇的な効果があるわけではありません。

劇的な効果があるとすれば、双極性障害/躁うつ病の素因があるひとだけです。それも、抗うつ薬を飲むことで躁状態になったり、病状が不安定になるというネガティブな効果です。

プロザックを飲んでハッピーになっていたひとたちの一部は、双極性障害の素因をもっていて軽い躁状態になっていた可能性が高いんじゃないかと思われます。

また、抗うつ薬の効果は軽いうつ病ならプラセボと大差ない、という統計が出てるくらいなので、健常なひとが抗うつ薬を飲んでもほとんど影響がないようです。

ただし、顔の表情を読みとる能力に若干の影響を与えるという興味深い報告があるので、またの機会によく調べてみたいです。


ツールとしての抗うつ薬

ともかく、しょせん薬はただの化学物質にすぎません。効果なんてその程度です。なので、あまり幻想を抱いてありがたがったり、へんに怖がったりしてもしかたがありません。単なる使い捨てのツールなので、使うひと次第、要は使いようです。

患者さんには「薬は松葉杖のようなもの」と説明しています。
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松葉杖をありがたがって抱きかかえて拝んでいても仕方がなくて、自分自身で歩く練習をしないとなかなか治療は進みません。で、ひとりで歩けるようになったら捨ててしまえばいいわけです。

松葉杖をふりまわしたら凶器にもなるでしょうが、怖がらずに適切な使用を心がけて、生活の幅をひろげることにお役立ていただければと思います。

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