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松本人志とポール・トーマス・アンダーソンの“発達障害シグナリング”


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前回の続きです。

今や最も注目を集める精神疾患である「発達障害」の特性は“発達障害的シグナリング”として、映像作品においてディスプレイされることで視聴者に強烈なインパクトを与えます。



そのような“発達障害的シグナリング”が満載な映像作品をつくりあげるふたりの映像作家を取り上げてみます。松本人志とポール・トーマス・アンダーソンです。


松本人志の映像作品における“発達障害的シグナリング”

松本人志は今やゴールデンタイムのバラエティ番組やワイドショーの顔になっていますが、かつては「わけのわからない人物」が登場する不条理なコントやマニアックな番組を制作していました。たとえば、松本人志の映像作品「働くおっさん人形」「働くおっさん劇場」では、発達障害らしき特性をもったおじさんたちが登場します。

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2003-08-06


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なかでも断トツで印象的なキャラクターである野見隆明さんは、俳優として映画「さや侍」の主役に抜擢されます。

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よしもとアール・アンド・シー
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彼のたたずまいや演技(?)はとても味わい深く、笑いだけでなく哀愁や感動すら喚起させます。発達障害の特性は、良くも悪くも強烈な印象を与えるので、お笑い芸人のキッチュな一発芸から芸術作品まで幅広く応用されているのかもしれません。


ポール・トーマス・アンダーソンの“発達障害的シグナリング”

一方、映画監督ポール・トーマス・アンダーソンの作品にも発達障害的な人物が数多く登場し、その特異な行動様式をまざまざと見せつけられます。



たとえば、映画「ブギー・ナイツ」では、わざわざ劇中劇において、あえてコント風のチープかつマヌケな映像を挿入していたりします。この方向を先鋭化させていけば、キッチュなおバカ映画として終わってしまう可能性があったかもしれないくらい、際どいことをやっています。

松本人志とポール・トーマス・アンダーソンは、まだ発達障害の概念が定着していない1990年代から“発達障害的シグナリング”をいち早く作品に取り入れてきた映像作家として注目しています。両者には作風における共通点があるし、かなり近いところにいたのではないかと思われます。

そのためか、松本人志はポール・トーマス・アンダーソンに対して敵対心を燃やしているようで、監督作品「パンチドランク・ラブ」を酷評しています。
結局、(ポール・トーマス・アンダーソンは)映画監督として基礎ができてないんじゃないかと思うんですね。たとえばピカソは、一見グチャグチャの絵を描いているように見えますけど、本当はちゃんとした絵を描ける力があって、それをあえて崩して、下手に見える絵を描いている。なのに、この監督は、その基礎がわからずに、下手な部分だけを真似してるから、つじつまがあわなくてグチャグチャなんですよ。遊んだ映画をつくりたいのなら、もっとちゃんとした映画を何本か撮ってから、その上で遊びなさい、と言いたい。( ~中略~) この監督の映画は要注意です。ブラックリスト入りですね。こいつの映画は今後見ないほうがいいです。
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2005-06-23


もはや近親憎悪としかいいようがありません。これは2005年の記事ですが、その後もふたりはそれぞれ映画制作を続けます。

その結果はご存知の通り、松本人志の映画作品はどれもこれも全く評価されませんでした。一方で、ポール・トーマス・アンダーソンは2007年の映画作品「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」で新境地を切り開き、数々の映画賞を受賞して高く評価され、興行的にも大成功をおさめます。

なにが両者の命運をわけたのでしょうか?なぜ、ポール・トーマス・アンダーソンは、“発達障害的シグナリング”を芸術の域に高めることができたのでしょうか?

次回、「誇示的精密性」という観点から説明してみようと思います。


発達障害という強力な“シグナリング”


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前回からの続きです。


精神疾患という“シグナリング”

経済学のシグナリング理論によると、情報をもっている側が情報をもたない側に向けて、情報を開示することを“シグナリング”といいます。その観点から精神疾患、とりわけ発達障害をながめてみようという話です。

精神疾患をもっていることをディスプレイすることは人々の注目をひきつけるシグナリングになります。たとえば、健常者が活躍する姿をみてもたいして感動しませんが、精神疾患というハンディキャップを背負いながらもそれを克服して活躍するひとの姿はとても感動的で応援したくなってしまいます。これは、シグナリング効果のひとつといえるでしょう。

では、どの精神疾患をディスプレイすることが最も効果的なシグナリングになるでしょうか?

ひと昔前なら間違いなく分裂病(統合失調症)でしょう。1970年代は分裂病中心主義の時代で、分裂病は「人間の本質を示す特権的な狂気」として祀り上げられ、臨床と人文知の共通言語となり、芸術方面にも影響を及ぼしていたようです。

たとえば、斎藤環はデヴィッド・リンチの映画作品について、統合失調症の病理とからめて次のように論じています。
そこで起こることは,疑似フレームの増殖と相互浸透といった事態にほかならない。本来ならメタレベルがありえない象徴界が複数化=メタ化されることで,想像界のレイヤー構造が壊乱されてしまうこと。ありえないはずの「メタ言語」を獲得するとき,われわれの想像からはメタレベルが奪われ,かわりに幻覚的なリアリティを獲得しはじめるのだ。これこそが統合失調症的事態といわずして何と呼ぶべきだろうか。

斎藤環:デヴィッド・リンチ──強度の技法.日本病跡学雑誌(90),p.7-14,2015.
まったくもって理解不能であるものの「なんかすごそう」という感じで、やたらと強力なシグナリングであることだけは理解できます。かつて、分裂病/統合失調症の病理を難解な用語で語るひとが尊敬を集めていた時代があったわけです。



統合失調症から発達障害へ

さて、このようなトレンドは2003年にターニングポイントをむかえます。分裂病は「統合失調症」というキャッチーな病名に変更されたことを皮切りとして、内海の「分裂病の消滅」が出版され、発達障害者支援法が施行されて「発達障害」が障害として認定され、関心を集めるようになりました。



以降、発達障害の関連書籍が市場を席巻し、2018年には発達障害の精神病理シリーズが創刊され、今や発達障害は精神病理学の中心課題となりつつあります。健常者が書いた本よりも発達障害をもつ当事者が書いた本が売れたり、精神科医はこぞって発達障害の本を書くようになったので、めっきり統合失調症の本が話題にのぼることがなくなりました。

Google Trendsによると「統合失調症」と「発達障害」のインターネット検索数は、2010年には完全に逆転し、「発達障害」の検索数が上回るトレンドが続いて両者の差は拡大しています。


発達障害という“シグナリング”

ヴィトゲンシュタインやニコラ・テスラなど歴史的偉人、イーロン・マスクやピーター・ティールなどテック長者、シャーロック・ホームズやグレゴリー・ハウスなどTV・映画の主人公にいたるまで、発達障害の特性をもっている著名人は今や枚挙にいとまがありません。

また、ライアン・ゴズリング、ジム・キャリー、米津玄師、勝間和代など、自らの発達障害を積極的にカミングアウトする著名人が近年増加しています。発達障害の特性をもつことは、一般的には社会適応を困難とするハンディキャップであるからこそ、それを乗り越えて活躍することに大きな価値が生じています。ゆえに、シグナリングの価値を高めるコストとして非常に効果的であることが示されているのです。

また、発達障害の支援事業を展開している企業が東証一部上場を果たしたり、発達障害研究の権威が開業したクリニックで超高額自由診療がなされていたりと、発達障害の市場価値はインフレーションを起こしています。エラい先生に発達障害の診断をしてもらうためだけに33万円を支払うひとがいるのだから驚愕です。発達障害研究の権威は現代の預言者あるいはシャーマンにでもなってしまったのでしょうか。

ともかく、今や最も注目を集める精神疾患である発達障害が、最も効果的なハンディキャップ・コストに他ならず、“発達障害的シグナリング”の価値は高騰しているといえるのです。

次回は、映画作品における中心気質的/発達障害的シグナリングについてまとめていきます。


進化心理学でひもとく中心気質と発達障害


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中心気質は魅力的な概念ではあるものの、もうすっかり忘れ去られて久しくホコリをかぶっています。しかしながら、発達障害の理解を深めるうえではとても重要な概念なので、発掘して利用していこうと思っているので、過去のエントリーをまとめてみました。

中心気質 ≒ 発達障害 

中心気質とは、精神科医の安永浩が提唱した概念で、のびのび育った幼児のような/無垢で純粋/天真爛漫/まるで自然の動物のような気質です。

以前、「中心気質は発達障害である」という話をしました。それをもう少し掘り下げていこうと思います。
そもそも、提唱者の安永浩によると、ひとはみな中心気質として生まれてきて発達≒社会化されていく、というコンセプトなので、
  • 中心気質のままとどまっている≒発達が停滞している
と考えることができます。


長嶋茂雄とモーツアルト

たとえば、中心気質の有名人といえば長嶋茂雄ですが、近年ではADHD説がポピュラーです。ホームランを打ったのに一塁ベースを踏み忘れたり、息子を球場に置いてけぼりにしたりと、ADHDらしいエピソードに事欠きません。

また、安永はじめ大澤らによると、偉大な作曲家であるモーツァルトは中心気質の天才であると論じられています。
大澤里恵:モーツァルトー中心気質の創造性ー.日本病跡学雑誌, 66:56-66, 2003

他方、モーツアルトに関する海外の研究では、トゥレット症候群やADHDとASD、シデナム舞踏病による異常行動があったのではないかという報告があります。モーツァルトのシモネタ満載のハチャメチャな手紙はとても有名ですが、そのような汚言症(コプロラリア)や運動チックをはじめ、さまざまな行動特性を発達障害や神経精神障害で説明しています。
Ashoori, A., Jankovic, J.: Mozart's movements and behaviour
: A case of Tourette's syndrome? 
J. Neurol. Neurosurg. Psychiatry 78: 1171-5,2007.

また、ぼくの大好きな映画監督のポール・トーマス・アンダーソンの作品には中心気質的な人物がとてもたくさん登場します。


「マグノリア(Magnolia)」以降の作品では、中心気質的であると同時に、発達障害っぽい登場人物が増えてきている印象があります。たとえば「パンチドランク・ラブ(Punch-Drunk Love)」でみられる突発的なパニックと暴力、「ザ・マスター(The Master)」では、ずっと不機嫌で落ち着きを欠いた主人公が焦燥感に駆られて定期的に爆発します。


「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド(There Will Be Blood)」では、信念にとりつかれて手段を選ばずひたすら我が道を行く主人公。「ファントム・スレッド(Phantom Thread)」では、女性をマネキンのようにあつかう主人公などなど、ADHDやASDの特性が満載の作品となっています。


主人公は中心気質/発達障害

フィクションの領域をながめてみると、少年漫画の主人公はだいたい中心気質だったりします。好奇心旺盛で高い開放性をもちながら、なにかしらのあぶなっかしいところや偏りや社会性のなさ、つまり発達障害の特性をあわせもっていることが多かったりします。

今村弥生, 田中伸一郎:
王道少年漫画で伝えるレジリエンスの病跡学と医学教育 
- ONE PIECE NARUTOを中心として -
日本病跡学雑誌, 92: 87-88, 2016.


そのような「偏り/ハンディキャップ」を抱えることで、キャラクターの魅力が倍増している側面もありそうです。

中心気質≒発達障害の特性をもっていることは、実社会において基本的には不利になることが多くなります。(長嶋茂雄やモーツアルトなどの天才はぶっちぎれるので関係ありませんが。)

つまり、リアルな世界におけるハンディキャップは、フィクションの世界ではキャラクターの魅力に転化します。ハンディキャップを跳ね返して活躍する主人公は痛快極まりない愛すべき存在であるわけです。


ハンディキャップ原理/シグナリング理論

このへんの事情は精神医学の考え方ではなかなか説明がつかないので、ぼくにとって長年のナゾだったのですが、進化心理学/経済学のハンディキャップ原理/シグナリング理論という考え方でスッキリ説明がつきます。

なんらかのハンディキャップなりコストを背負った状態をあえてディスプレイして発信/シグナリングすることによって、外敵を牽制したり仲間や配偶者にアピールする戦略は、自然界の動物にとっては日常茶飯事のふるまいだったりするわけです。

さらに、進化心理学者のジェフリー・ミラーは、ハンディキャップ原理を拡張してひとの行動を説明しています。タトゥーやピアスをはじめ、ヘンテコな文化に親しむことや精神病理や狂気に接近することもまたシグナリングであると説明しています。



ちょうど、クジャクが極彩色の羽を身にまとうように、精神病理を身にまとうことに適応的な意義を見出すことができるようになるのです。

実際に、著名なファッションデザイナーであるアレキサンダー・マックイーンは精神疾患や精神病院をモチーフにしたコレクションを開催して注目を集めたりしていました。


中心気質/発達障害シグナリング

次回からは、中心気質≒発達障害らしさを身にまとってディスプレイし、発信/シグナリングすることを「中心気質/発達障害シグナリング」と定義して、その意義についてまとめていこうと思います。

「欠乏による知能低下」と「明るい展望」


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前回は、マシュマロ・テストにはリソースの欠乏が大きく影響していた、という話でした。


今回は、リソースの「欠乏」による影響と、その対策として「明るい展望」が重要であるということをまとめてみました。


科学的に実証された「貧すれば鈍する」

いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学 (早川書房)
センディル ムッライナタン エルダー シャフィール
2015-07-31

ハーバード大学経済学部教授とプリンストン大学心理学部教授の共著によると、ことわざ「貧すれば鈍する」が実証研究によって証明されたようです。

ちまたでは「頭が悪いと貧乏になる」と思っているひとは多い反面、「貧乏になると頭が悪くなる」ということはあまり指摘されていません。

たとえば、お金に余裕があるときとないときでは、同じひとでも知能検査の結果がまったく違うという興味深い結果が示されています。お金に余裕がないと知能指数IQが10くらい下がってしまうみたいです。

これは、知能が平均より少しだけ低いひとが、軽い知的障害と診断されてしまうくらい明確な落差だったりします。


「欠乏」は現在バイアスを強化する

たとえばこのような「欠乏」状況
  • お金がない
  • 時間がない
  • お腹が空いている
  • 体調が悪い
  • 睡眠不足
  • トイレにいきたい
  • 理解者がそばにいない
こんなときはたいてい良い仕事ができませんし、ろくなことが起こりません。なにかと「欠乏」している状況では、目先のことにとらわれてしまって長期的な計画が立てられなくなるし、あせって余計なことをやってしまうし、うっかりミスをしてしまうし、一発逆転をねらってムチャをしたり、悪いひとにだまされたりしやすくなるでしょう。

これは、以前説明した「現在バイアス」が高まっている状態だと言えるでしょう。


逆に、体調・お金・時間・人間関係などに余裕があるときは、とても良い仕事ができたりします。

自分の経験に照らし合わせてみても、いつも「時間がない」とあせっているひとで仕事ができるひとに出会ったことがありませんし、仕事ができるひとはだいたい余裕かましているひとが多かったりします。

精神科の治療において、とくにお金・時間・人間関係はとても重要で、これらが欠乏している患者さんは、いくら薬を飲んでも、精神療法をやっても、改善することは非常に困難です。逆に、生活習慣を整えて、経済的にも安定して、近くに理解者がいる状況になれば、めちゃくちゃ治療がはかどります。


お金を「処方」すれば「うつ」は改善する?

ここで興味深い研究を紹介します。うつ病や不安症などの患者さんに毎月500SEK/約8000円を9ヶ月間「投与」すると精神症状が緩和されて、人間関係が良好になって、生活の質が向上したというスウェーデンの研究です。さすがにお金で病気が治ったわけではないものの、改善の助けにはなったようです。

Money and Mental Illness_A Study of the Relationship Between Poverty and Serious Psychological Problems


これに関連して「治験」の話をしましょう。新しい薬の効果を確認するために行われる「治験」に参加すると協力金がもらえます。たとえば、うつ病の治験に参加すると、診察を受けるたびにそこそこのお金がもらえます。しかも、治験の担当者がついてくれて、あれこれうつ病に関する情報を教えてくれるし、なにかと世話を焼いてくれたりします。

うつ病の薬は近年開発するのがとても難しくなっているようですが、その要因のひとつとして「プラセボ」に勝てなくなっているという事情があります。プラセボとは、形だけホンモノっぽいニセのクスリ(ブドウ糖など)のことです。

これは、とある抗うつ薬vsプラセボの比較で、下方へいくほどうつ病の症状が改善していることを示すわけですが、プラセボがめちゃくちゃ健闘していて抗うつ薬はかろうじて勝っているようにみえます。
プラセボ強い
新薬として承認されるためには、プラセボよりも明確に症状改善効果がないといけませんが、治験参加者は「お金」をたくさんもらっているので、プラセボでもかなり改善してしまっているんじゃないかと個人的には感じています。

重症のうつ病であれば、お金よりもクスリのほうが効果があるのでしょうが、正常と線引きがびみょうな軽症のうつ病であれば、クスリよりもお金のほうが改善効果が高いのかもしれません。

医療福祉の領域では、とかくどのクスリを使っているかとか患者さんの「良き理解者」になることが優先されがちですが、お金や時間、生活習慣などの健康面などの基礎的なことの重要性はもっと強調されてよいと常々感じております。


「明るい展望」を処方する

とはいえ、医師は患者さんに対してお金や時間をあげることはできません。できるとしたら「明るい展望」を提供することでしょう。明るい展望をもつことができれは、目の前の欠乏にふりまわされにくくなります。

ただただ根拠なく明るい展望を語っても単なる能天気だったり、うさん臭い宗教家みたいになっちゃうので、現状をアセスメントした上で正確に診断し、今後の治療方針と見通しをできるだけわかりやすく説明することが必要です。

最近とくに目立つのは、発達障害の診断や治療を希望するひとのなかに、深刻な欠乏状況のひとが多いことです。学校の成績が下がって留年しそう・会社をクビになりそう・妻から離婚を切り出されている、などなど。とにかくめちゃくちゃあせってしまって発達検査やクスリを熱望していて、それによって現在の困難な状況が一発逆転すると思い込んでいるひとが多かったりします。

ちなみに、発達障害の治療において、発達検査は診断のための情報のごくごく一部であるし、薬物療法も補助的なものだったりするので、発達検査やクスリで一発逆転する可能性はほとんどありません。そもそも、発達障害以外の要因がからんでいる可能性も高かったりします。

発達検査やクスリよりも効果的な「明るい展望」を提供できるように精進したいと思う今日このごろです。

精神分析や現象学は発達障害と相性が悪そう


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ぼくは毎年のように精神病理学会に参加している数少ない精神科医のひとりです。今年はコロナ禍ということでweb形式の学会だったのでとても便利でした。

web開催なのに参加費が10000円だったのが納得いかないのですがそれはともかく、最近は精神病理学会ホームページ運営委員会に参加してお手伝いさせていただいてます。


この前、精神病理学会が監修した用語集/シソーラスをweb上で公開することになったので、興味のある方はのぞいてみてください。用語をとても大切にあつかっている先生方の叡智が結集されているので、けっこう貴重な情報なのです。


ところで、精神病理学は「精神疾患の仕組みを探求する学問」で、そのツールとして精神分析や現象学(哲学の一種)がよく用いられています。しかしながら、精神分析や現象学は最近だんだん説得力がなくなってきています。

そもそも、精神分析や現象学は精神科の実務にはほとんど役に立たないばかりか、めちゃくちゃわかりにくくて勉強するのに時間と労力を食ってしまいます。

そのように理不尽なコストを支払っているからこそ、精神分析や現象学はある種のステータスになっていたりして、ひと昔前はけっこう専攻する精神科医がいたみたいです。今はさすがにほとんどいなくなって、いたとしても変人あつかいされていたりします。つまり、絶滅危惧種です。

精神病理学会はシーラカンス的なひとたちに出会える貴重な学会であるからこそおもしろかったりします。
陰謀論

これはネットで評判の画像で、それぞれ下記をあらわしています。
  • データ(data)
  • 情報(information)
  • 知識(knowledge)
  • 洞察(insight)
  • 知恵(wisdom)
  • 陰謀論(conspiracy theory)
ともすれば、精神分析や現象学は知恵であってほしいものの、最近ではオカルトじみた陰謀論みたいなあつかいになっているのかもしれません。

さて、近年では発達障害を精神分析や現象学で説明しようと努力されているひとを観察しているのですが、彼らの考え方はとてもアクロバティックです。たとえるならば、スプーンでスープを飲めばいいのに、でっかいスコップでスープを飲んでいるような。

「でっかいスコップをあやつる達人がめちゃくちゃ苦労してちょこっとだけスープを飲む」という曲芸をみせつけられると、「へぇ~、すごーい」って感心することもあるのですが、それならはじめからスプーン使ってスープ飲もうよ、って素朴に感じるわけです。ソレ、わざわざやる必要あるの?ってツッコミを入れたくなってしまいます。

発達障害に関しては、精神分析や現象学よりも進化心理学や行動経済学がツールとして優れているのではないかと最近考えていて、とくにADHDは行動経済学で考えた方が有益なので、これからまとめてみようと思っています。




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