カテゴリ

カテゴリ:コラム

心理社会的サポートのやっかいな問題


カテゴリ:


前回は心理社会的資源は見えにくいがゆえにサポートされにくい、という話をしました。


今回は、心理社会的資源が欠乏している「メンタルヘルスが悪化して孤立しているひと」はかわいそうだからサポートしてあげなくっちゃ!ってことなんですが、ここには大きな落とし穴がポッカリあいている、という話をまとめていきます。

心理社会的サポートは無力感を高める

「排斥と受容の行動科学」という書籍に興味深い実験が紹介されています。

排斥と受容の行動科学―社会と心が作り出す孤立 (セレクション社会心理学 25)




ニューヨークの大学生を対象として、人前でスピーチをするためのアドバイスを受けた後の心理状態がどう変化したかを調べる実験です。

サポートは無力感を高める

「〇〇したらいいよ」と、あからさまでわかりやすいストレートなサポートを受けたひとは無力感にさいなまれて大きな心理的苦痛を感じていました。なんとサポートが無いひとよりも心理状態が悪化したのです。

一方、「あなたは問題ないけど、〇〇するというやり方が良いみたいだよ」という、すこしわかりにくい間接的なサポートを受けたひとはあまり無力感にさいなまれることはありませんでしたが、サポートを受けないひとと大差のない心理状態のままでした。

いわゆる「わかりやすい・あからさまなサポート」はマウンティングみたいなもので、サポートを受ける側の無力感を高めてしまうようです。

そして、サポートを受ける前よりも心理状態が改善したのは、「あなたには問題はないけど、わたしには〇〇するというやり方が必要かもしれません」という遠回しでまわりくどくてめちゃくちゃ間接的なサポートを受けたときでした。自分を下げて相手を上げる、みたいな手法ですね。

ところが問題は、この手法をとることでサポートを受けたひとの心理状態は改善したものの、逆にサポートする側のひとが無力感にさいなまれて心理状態が悪化してしまったのです。


自尊心のトレードオフ

本当に誠実な対人援助職のひとはパッとしない影のある不幸そうなひとが多いという話をしましたが、それが実証されているみたいです。


実際、精神科クリニックには対人援助職のひとがたくさん受診されています。なにかしら心にスキマを抱えているひとが多いのかもしれません。

ひねくれた見方ですが、本来はとても過酷な仕事であるにもかかわらず心理カウンセラーなどの対人援助職がしばしば人気になりがちなのは、サポートを受けるひとにマウンティングすることで手っ取り早く自尊心を高めたいという欲求があるのかもしれません。

これは、SNSで尊敬を集めるキラキラしたひとの姿を目にすることで自分の自尊心が低下してメンタルヘルスが悪化してしまうことや、世間から非難されて尊敬を失ったひとを寄ってたかって攻撃して炎上させることで自分の自尊心を少しでも回復させようとする行為に通じるかもしれません。「ひとの不幸は蜜の味」ということでしょうか。

そうすると、自尊心にはトレードオフがあって、自尊心の総量というパイはあらかじめ決まっていて、それをどのように配分していくかの問題のように見えてきます。


支援者を支援すること

実際に、患者さんを直接サポートするよりも、患者さんの支援者をサポートすることで、結果的に患者さんが回復することは臨床現場ではめずらしくありません。

わかりやすい例が、子どものメンタルヘルスの問題が起こったときに、まず最前線でがんばっている母親に負担が集中して疲弊していきます。そうすると、余裕のなくなった母親が感情的になって子どもに対して押しつけがましいサポートを繰り返すようになるので、ますます状況が悪化してしまう悪循環が生じてしまいます。

こんなとき、父親が母親と一緒になって子どもに対して感情的になってしまうと、もう目も当てられない悲惨な状況になりがちです。

なので、父親は子どもから一歩距離をとって、母親をサポートする側にまわってバックアップに徹することで、母親に心理的余裕が生じて状況が好転することが多かったりします。父親は思春期の子どもにはたいして役に立たないと思われがちですが、意外と鍵を握っている存在のようです。

というわけで、情熱的に手厚くサポートされているのになぜか状況が全然改善しないケースは、サポートをする側のひとをサポートするところから始めてみる必要があると思う今日この頃です。

心理社会的資源を「見える化」する


カテゴリ:



前回は、お金の欠乏が知能やメンタルヘルスにおよぼす影響についてとりあげました。今回は、お金だけでなく人間関係の欠乏についてまとめていきます。人間関係の欠乏、つまり孤独についてです。


心理社会的資源を「見える化」する

以前、ひきこもりに関する記事で「孤独による健康被害」を説明しました。


孤独な状況が長期化すると、心身ともに悪影響をおよぼすことが知られていますが、孤独でも全然平気なひともいたりするので、これは個人差が大きいことも知られています。なので、もっと総合的に考える必要がありそうです。

排斥と受容の行動科学―社会と心が作り出す孤立 (セレクション社会心理学 25)




社会心理学では、個人的な資質と人間関係や他者からのサポートなどを総合して「心理社会的資源」と呼んで、量的に把握しようとする試みがなされています。

お金の欠乏は一目瞭然なので手当てしなければならないことがわかりやすいのですが、個人の資質や人間関係は目に見えないものなので測定できません。なので主観的で経験的な精神論や根性論がまかり通ったりして軽んじられやすかったりします。

心理社会的資源もお金つまり金融資産と同じように有限かつ計測可能な資源であり、量的に把握していくという視点は精神科的サポートを行う上で極めて重要です。


幸福の条件とは?

そこで参考になるのは、以下の書籍です。著者の橘玲氏は、幸福の条件として3つの資本/資産を想定し、それを「幸福のインフラ」と呼んでいます。

幸福の「資本」論――あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」
橘 玲
2017-06-16


  1. 金融資本 お金や不動産 満たされれば自由になれる
  2. 人的資本 健康や才能  満たされれば自己実現できる
  3. 社会資本 人脈や評判  満たされれば居場所や絆を得られる
つまり、心理社会的資源=人的資本+社会資本です。

幸福は主観的なものなのでなかなか定義づけしにくいものではありますが、この3つがまるでインフラのように幸福を基礎づけていることに関してはわりと普遍性があると思われます。

たとえば、アダム・スミスは幸福の条件を以下のように定義していますが、それぞれ上記の3条件に対応しています。
健康で、負債がなく、良心にやましいところのない人

道徳感情論 (講談社学術文庫)
アダム・スミス
講談社
2013-07-26


つまり、負債がない/健康/やましいところのないは、それぞれ金融資本/人的資本/社会資本を所有していることを示しています。

また精神病理学的には、重症うつ病のひとが「自分は不幸になってしまった」という妄想を抱くことが知られていますが、そのうちの代表的な3つの妄想がそれぞれ幸福の条件を喪失している状態に対応しています。
  1. 貧困妄想 お金がなくなってしまった
  2. 心気妄想 治らない病気にかかってしまった
  3. 罪業妄想 罪を犯したから社会から排斥される

「幸福の条件」を「幸福のインフラ」として「見える化」する

幸福のインフラのうち、金融資本<人的資本<社会資本の順で「見える化」しにくくなっています。金融資本には値札がついていますが、社会資本はプライスレスであると考えられがちだからです。しかも、社会資本は主観的な幸福感に直結しているため特別視されます。

投資家でもある橘玲氏は、特別視されがちな社会資本を相対化し、金融資本や人的資本と同列にならべて論じることで「見える化」していきます。

幸福のインフラである3つの資本を運用して富/幸福を得て、さらにそれを資本に加えて運用を繰り返すことで、幸福のインフラをより大きく育てていくことが人生設計につながると論じています。
幸福のインフラ投資と運用
  1. 投資家は金融資本を金融市場に投資して、リターンという「富」を獲得します。
  2. 自らの能力を活かして労働市場に投資して、給与や報酬という「富」を獲得します。
  3. 人間関係を活かして仲間を形成して、愛情や友情や評判という「富」を獲得します。

そして、幸福の3つのインフラのうち、いくつを所有しているかで人生のパターンが示されると図式化します。
幸福の資本論8分類
  • すべて満たされていたら超絶幸せ
  • 2つ満たされていたらめちゃくちゃ幸せ
  • ひとつだけ満たされていてもなんとか幸せ
  • すべてが満たされていない状態は支援が必要

お金さえ渡せばすべてうまくいくのか?

たとえば生活保護受給者は金融資本は最低限保障されているので安泰だろうとか、ベーシック・インカムを導入すれば全てうまくいくのでは?という議論があります。

たしかに、最低限の生活や医療は保障されているでしょうが、精神疾患を抱えて生活保護を受給しているひとの中には、人的資本を活かせてないことや、社会資本が乏しいこと、つまり心理社会的資源の欠乏について、深く悩んでいて幸福度が高まらないことが多々あります。心理社会的資源の欠乏につけこまれて、生活保護費をまるっと巻き上げられていることもめずらしくありません。

前回、「うつ病のひとにお金を渡したら改善した」という研究を紹介しましたが、お金だけではなく心理社会的なサポートを同時に行っているがゆえに改善がもたらされたと考えるべきでしょう。

つまり、幸福の3つのインフラをバランスよくサポートする必要がある、という月並みな話になるわけで、やっぱり心理社会的資源のサポートも大切だよね、という話なのですが、そこには非常にやっかいな問題がつきまとう、という話を次回まとめていきます。


コンサータを飲むと頭が良くなる?


カテゴリ:


「もうすぐ受験なので頭をスッキリさせて勉強したいからコンサータを処方してください!」

あるいは

「とあるクリニックで、受験生だからコンサータを飲んでおきなさいとすすめられたけど、どうなんですか?」

という理由でクリニックに来るひとが増えています。

また、とある開業医は、

「とりあえずADHDっぽかったらコンサータ出しとけばええやろ。発達障害は治らんし、コンサータはやめられへんから、手っ取り早くリピーターになるで!」

と、非公式の場で主張したりしています。

コンサータは覚醒剤の親戚みたいな薬なので、たしかに集中力を高める作用があります。なので、ADHDの治療目的だけではなく、能力を向上させる/エンハンスメント目的で使用される場合があるようです。

また、コンサータは若干の依存性があるので、カンタンに処方できないよう登録制になっていて厳格に管理されています。とはいえ、ちょっとした事務手続きをふめば、どんな医師でも処方できる仕組みだったりするのであまり意味はなかったりします。


実際のところ、コンサータの効果はどうなのか?

ぼくは基本的には、比較的重症のADHDをもつ小児の患者さんに限定してコンサータを処方しています。なので、成人にエンハンスメント目的で使用した経験は乏しいのですが、伝え聞くところによると、コンサータを服薬することで集中力が研ぎ澄まされて試験に合格しました、だとか、集中する課題があるときだけコンサータを使用してのりきるひとがけっこういるようです。

たとえば、創作活動のときだけ使用する画家とか、手術のときだけ使用する外科医とか、いるみたいですが、はたしてそんなうまい話があるのでしょうか?

ADHD症状とクリエイティビティのトレードオフについては以前少しまとめました。小児の重症例については有効だとは思う反面、エンハンスメント目的にコンサータを利用するを手放しで歓迎することには、今のところ少し慎重になったほうがいいと考えています。



苦役を緩和するためのクスリ

もともと覚醒剤は、終戦後に大量の備蓄が市中に流出したことからわかるように、戦時中には大量生産されていました。労働や兵役のつらさを緩和する目的で広く使用されていたわけです。つまり、ムリしてパフォーマンスを上げるために用いられてきた歴史があります。



また、主に使用されるのは前線の兵士や工場労働者たち、あるいは夜なべで内職する主婦たちなど、目の前にあるしんどいタスクを忠実にこなすことを課せられたひとたちだったようです。

なので、野山をかけめぐるように教室内を動きまわるADHDをもつ子どもをつかまえて、ほとんど興味のない授業に集中させるためには有用な薬なのかもしれません。

逆に、俯瞰的にものごとを眺めて、必要に応じて細部に気を配ることには不向きであるように思えます。たとえば、画家が細部のデッサンに集中しつつ遠目で全体像のバランスをみて軌道修正する場合だとか、外科医が細部の手技に集中しつつ患者さんの全身状態をマネージメントする場合とか、柔軟な発想だとかクリエイティビティを要する仕事には向いていない可能性があります。

コンサータをうまいこと使って業績を残したひとっているのでしょうか?あまり聞いたことがないので、いたら教えてほしいです。


明るい展望があれば刹那的な薬物使用は必要ない

また、コンサータを利用することによって過剰な集中を維持すれば、12時間後にはそれまでごまかしていた疲労が一挙に押し寄せてきます。また、クスリをもらうために定期的にクリニックと薬局に通ってお金と時間を使わないといけなくなります。

これはちょうど、クレジットカードでリボ払いしているようなもので、コンサータを服用している数時間はパフォーマンスが向上してメリットがあるのでしょうが、あとあと高い利子を支払い続けないといけなくなる構図に似ているように思うわけです。

長期的な将来に対して明るい展望をもてないひとほど、刹那的な瞬間を楽しむために浪費をしてしまう傾向があることが知られています。エンハンスメントにもそのような側面があることには留意する必要があるでしょう。

どうしても苦しい状況に対する応急処置として薬物使用が必要だったとしても、治療の目標は短期的なパフォーマンスの向上ではなく、長期的に明るい展望がもてるような見通しを立てていくことだからです。

よくあるのは、うつ病で将来を悲観したり自己評価が低下したひとが、一発逆転するためにエンハンスメントを希望するパターンです。このようなケースは、うつ病の治療によって症状が改善すればエンハンスメントが必要なくなることが多かったりします。


最大の問題は「自己効力感の低下」

最近は、担任教師から授業に集中できないのでコンサータをもらってくるように言われたので来ました、というケースがあったりして、とてもディストピア感があります。

エンハンスメントが問題であると考える最大の理由は、使用している本人の自己効力感(自分はうまくやれるという感覚)が下がってしまうことです。「コンサータのおかげで〇〇できるようになりました」という話は裏を返せば「コンサータを飲まないと〇〇できないダメなひと」と言われているようなものです。

なので、コンサータを使用して効果があった場合は、コンサータをほめるのではなくて、本人の手柄であることを強調する必要があります。「ほめるためのクスリ」として利用することが大切です。

とある有名な児童精神科医にかかっている親子のことを今でもよく思い出します。「〇〇先生にコンサータを処方していただいたおかげで、うちの子は救われました!」と嬉しそうに主張する母親のギラついた目つきと、その横にいる子どものさみしそうな表情がとても印象に残っています。母親は〇〇先生とコンサータにほれこんでいるけれど、喜んで感謝すべきは医師でも薬物でもなく「子どもの成長」であることを忘れないでほしいと思う今日このごろです。

「そのまんまでいいんだよ」という甘い言葉


カテゴリ:




前回は、精神科のクスリ/向精神薬を飲みたくないひとのなかには、宗教的で保守的な世界観をもつひとがいるという話をしました。

そんなひとたちは、向精神薬によって自分を変えていくのではなく、心理療法やカウンセリングによって「ありのままの自分」を肯定していく、という治療の方に興味を示すかもしれません。

でも、「そのまんまでいいんだよ」という甘い言葉は非常にやっかいだと思うわけです。たとえば、斎藤環のツイート。
斎藤環の無条件全肯定
患者さん、あるいは支援対象のひとを無条件に全肯定するべきであるという意見です。SNSでは異常に人気がありますが、これを単純に受け入れていいものでしょうか?


心理療法はカルトっぽい?

心理療法の大御所カール・ロジャーズは効果的な心理療法を始めるための基本として「傾聴・受容・共感」の重要性を説き、「来談者中心療法」を提唱しました。これは現在にいたるまでカウンセリング技法の基礎となっています。

受容とはすなわち「無条件の全肯定」とされています。ともかく、悩みを抱えて相談に来たひとがどんな状態であろうと、セラピストたるものアレコレ評価することなく「そのまんまでいいんだよ」と尊重して好意をもちなさい、と。

そして、そのようなセラピストの受容に支えられながら、「ありのままの自分」が表現されることによって、深層心理を理解し、自分の可能性に目覚め、自己実現できるようになっていくのです、めでたしめでたし、みたいな教えです。

どこかのカルト集団が信者を勧誘するときに使いそうな手口なので、うさんくさいなあと常々感じていたので全く興味がありませんでした。

オザケンこと小沢健二の母上である心理学者の小沢牧子氏もロジャーズ派を批判する本を書いていて、ちょっと右翼っぽくて微妙なところもありますが、なかなかおもしろい本です。



それはともかく、いい歳していつまでも食わず嫌いはダメだろうということで、カール・ロジャーズについて調べてみました。参考:山田俊介「受容及び無条件の肯定的配慮の意味についての考察―カール・ロジャーズのとらえ方の変化をもとにして―」

すると、意外にもけっこうまともなことが書かれていたので紹介していきます。


無条件の肯定的配慮/unconditional positive regard

まず、「無条件の全肯定」ではなく、正しくは「無条件の肯定的配慮/unconditional positive regard」です。

regardは「配慮」と訳されていますが、要は「関心を示す」ということです。なので、「無条件の全肯定」とはかなりニュアンスが違うことがわかります。患者さんの存在をまるごと無条件に全身全霊で肯定する、というゴツい話ではありません。

患者さんに対して、とにもかくにもポジティブであたたかく関心を示すことで、つまり「キミ、なかなかおもしろいね。」という感じです。

ちなみにこの概念、カール・ロジャーズのオリジナルではなくて、スタンダルという大学院生の論文から拝借したようです。

そして、無条件の肯定的配慮についてロジャーズの記述を抜粋すると、、、
  • 『無条件の肯定的配慮』という用語は不幸な言葉である。というのは、それは絶対的な、あるか・ないかという性質の概念であるかのように聞こえるからである。

  • 完全に無条件である肯定的配慮というものが理論的にしか存在し得ないものであることが、その説明からはっきりわかるであろう。

  • 他の人やその感情をほんとうに受容するということは、決して容易に成しとげられるものではない

  • もちろん、このような無条件的配慮をいつも感じ続けることは不可能である。

  • 無条件の肯定的関心も誤解されています。クライエントを大切に思い、クライエントを認めるというのは、クライエントの行為を何でも認めることではありません。

つまり、「無条件の肯定的配慮」とは、、、
  • 理論的にしか存在しない概念であり
  • カンペキに実践するのはまずムリであり
  • 実際には程度の問題で、絶対的なことではない
ということが書かれています。

つまり、ぼくの想像では、、、カール・ロジャーズは、とある大学院生の論文にあった「無条件の肯定的配慮」という言葉を借りてきて、心理療法がうまくいっているときはたいてい「無条件の肯定的配慮」がなされているよね、ってことを言ってみた。

しかし、カール・ロジャーズは絶大な影響力のある大御所だったので、弟子たちがすんばらしいお考えだ!ってことで飛びついてもてはやしたあげく、だんだん意味がとんがってきて、「セラピストたるものクライアントを無条件に全肯定せねばならん!」みたいなドグマになって拡散してしまった。

思わぬ展開に驚いた当のカール・ロジャーズ自身は、「おまえらちょっと落ち着け!」といさめたところで時すでに遅し。拡散してしまったフェイクニュースはあとから訂正してもなかなか修正されないように、つまり覆水盆に返らず、といったところでしょうか。

エラい先生の真意がうまく継承されることなく、お調子者の弟子たちによって好き勝手にねじ曲げられて、言葉だけが独り歩きした結果、エラい先生が若い世代からバカにされてしまう、というもったいない現象って、心理療法とか精神科医療の業界ではよくあることなんですよね。。。


無条件の全肯定 ≒ 無責任なネグレクト

また、カール・ロジャーズは慢性期統合失調症のひとたちとの心理療法の経験から、
きわめて未成熟な、あるいはきわめて退行的な人との接触においては、無条件の肯定的配慮よりも条件づきの配慮の方が、関係を始めるのに、したがってセラピィが軌道にのるために、より効果的なものである
と、「無条件の肯定的配慮」をドグマチックに誰彼かまわず適応するのではなく、対象を選ばなければならないと注意喚起しています。

未成熟なひと、たとえば子どもたちならどうでしょう。子育てをしたことのあるひとならわかると思いますが、我が子がかわいいからといっていつまでも親が「無条件の全肯定」を続けていると、いつか破綻することは目に見えています。

親やカウンセラーは無条件で全肯定してくれたのに、他の人はしてくれない!とゴネるようになって、家庭外でうまくいかなくなるリスクが高くなるからです。

親は子どもに対して責任を負っているからこそ、否定するときは否定しないといけない局面もあるわけで、なんでもかんでも許容することは無責任でありネグレクトという虐待にほかなりません。


カウンセリング・マインドの弊害

カール・ロジャーズが好むと好まざるとにかかわらず、現代において「無条件の肯定的配慮」はいつのまにか「無条件の全肯定」という、とんがったドグマに変質し、「カウンセリング・マインド」として、すべてのセラピストへの要求として突きつけられることになりました。

そのため、精神科に来る患者さんのなかには、すべての援助者が「カウンセリング・マインド」をもって自分のことを「無条件に全肯定」してくれることを期待するひとが(ごくごくまれに)います。

これはいわば、めちゃくちゃハードルが上がっている状態なので、ちょっとでも異を唱えると激怒されたりするわけです。一方で、忠実に「無条件の全肯定」を続けてしまって燃え尽きてしまう支援者のなんと多いことか。

そもそも、患者さんのなかには間違った情報にふりまわされていて、健康を害する活動を続けて人生をすりへらしているひとがいるわけです。自分が正しいと信じていることを否定されることは苦しいことなので「そのまんまでいいんだよ」と言ってあげたくもなりますが、、、

しかし、治療導入のため短期間だけ戦略的に肯定する場合であっても部分的な肯定にとどめる必要があるし、間違った情報を安易に全肯定してしまうことはさすがに無責任だと思うわけです。とくに、医師のお墨付きはとても強力なので、それによって間違った情報が固定されて身動きができなくなっているひともいるわけです。

無条件の全肯定によって顧客を接待しなければならないサービス業もあるとは思いますが、いちおう医師には責任がともなっているので、間違っている情報は間違っていると指摘しておく必要があると思う今日このごろです。

精神科の薬を飲みたくないのはなぜ?


カテゴリ:


いくら 精神科クリニックの敷居が低くなってきているとはいえ、精神科の薬(向精神薬)を飲むのを嫌がるひとは多数派でしょう。また、精神科医のなかにも、軽い症状の患者さんに対して向精神薬を安易に処方することに慎重なひとがいます。
 
向精神薬につきまとうなんとなくの「嫌な感じ」は感覚的にはわかるのですが、はっきりと言語化されていないようなので、ぼくなりにまとめていこうと思います。

明らかに重い精神症状があって生活に困っているひとは迷うことなく向精神薬を使うでしょう。問題なのは、精神症状が軽くてそれほど生活に困っているわけではないけど、向精神薬を使うことによって現状をよりよく向上(エンハンスメント)させることができるのではないか、と考える微妙なラインに立っているひとたちです。
ニューロエンハンスメント

ニューロ・エンハンスメント/NE

医療におけるエンハンスメントとは、健康のためとか病気の治療/トリートメントではなく、人間の性能を増幅させるために行う処置のことです。たとえば、美容整形とかアンチエイジング、スポーツ選手のドーピングなどなど。

精神科領域におけるエンハンスメントはニューロ・エンハンスメント/NEと呼ばれています。認知や感情の機能を強化することを目的に向精神薬を使用することです。

前回ふれたベンゾジアゼピン受容体作動薬は脳の働きをにぶくする作用がありますが、その逆というわけです。


たとえば、抗うつ薬を飲むとパニック症やうつ病が改善するだけでなく、
社交的になったり、楽天的かつ積極的になったり、キツイ状況のなかでもあきらめずに努力できるようになったりと、感情面を強化する作用があります。

一方、ADHD治療薬は集中力を高めて苦手な課題に取り組めるようになったり、認知機能を向上させる作用があるとされています。ちなみに、医師国家試験の勉強をするためにメチルフェニデートを服用してガンガン徹夜して乗り切ったひとを何人か知っています。


精神疾患の軽症化、拡大と浸透

治療環境の進歩や情報の流通などのおかげなのかわかりませんが、精神疾患はどんどん症状が軽くなって裾野がひろがってカジュアルになって社会に浸透しています。その結果、正常と病気の区別がどんどん曖昧になっています。

なので、それまで薬物療法の対象にならないひとがどんどん薬物療法の対象になっています。つまり、向精神薬を使用する理由が、治療のためなのか、NEのためなのか、線引きがよくわからなくなっているわけです。

なかでもとくに曖昧なものが、
  • 不安やうつになりやすい性質
  • 衝動性や不注意になりやすい性質
つまり、パニック症・うつ病と注意欠如多動症/ADHDです。抗うつ薬とADHD治療薬は巨大な市場を生み出しているヒット商品です。

ひとは誰しも不安になったり、気分が落ち込んだり、衝動的になったり、うっかりミスをしてしまうものなので、疾患との線引きが客観的に難しいところを狙うのが向精神薬のヒット商品を生み出すコツでもあるわけです。

このような状況のなかで向精神薬によるNEを積極的に求めるひとと嫌がるひとはどのような背景があるのでしょうか。


ふたつの世界観/宗教・保守 vs 科学・革新

世の中には大きく分けてふたつの世界観があります。

A 人間は母なる自然から生まれた存在であり、自然の恵みに感謝すべき
 ▶ NE反対/ありのままの自分を受け入れよう

B 人間は科学技術によって、環境や自分自身を変化させて発展すべき
 ▶ NE賛成/理想にむかって自分を変化させよう

Aは宗教的で保守的な世界観、Bは科学的で革新的な世界観で、向精神薬によるNEについては、Aのひとは反対、Bのひとは賛成する傾向があるといえるでしょう。

Aの世界観をもつひとは向精神薬を使いたがらない傾向があるし、Bの世界観をもつひとは向精神薬を積極的に使ってNEしていくことでしょう。

それぞれの考え方にはメリット・デメリットがあります。

A 宗教・保守 
メリット  わかりやすい よりどころになる 安定する
デメリット 進歩がない 変化にとり残される

B 科学・革新
メリット  進歩する 可能性が広がる 夢がある
デメリット 不安定 誤った方向へ進む 

どちらか片方へ極端に突っ走るひともいれば、うまいことバランスをとれるひともいることでしょう。若いころはBの傾向が強くて、歳をとるにつれてAの傾向が強まるひとが多いのではないでしょうか。

というわけで次回からは、Aの世界観が強すぎる場合、Bの世界観が強すぎる場合、それぞれの弊害についてまとめていきたいと思います。


このページのトップヘ

見出し画像
×