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2021年03月

心理社会的資源を「見える化」する


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前回は、お金の欠乏が知能やメンタルヘルスにおよぼす影響についてとりあげました。今回は、お金だけでなく人間関係の欠乏についてまとめていきます。人間関係の欠乏、つまり孤独についてです。


心理社会的資源を「見える化」する

以前、ひきこもりに関する記事で「孤独による健康被害」を説明しました。


孤独な状況が長期化すると、心身ともに悪影響をおよぼすことが知られていますが、孤独でも全然平気なひともいたりするので、これは個人差が大きいことも知られています。なので、もっと総合的に考える必要がありそうです。

排斥と受容の行動科学―社会と心が作り出す孤立 (セレクション社会心理学 25)




社会心理学では、個人的な資質と人間関係や他者からのサポートなどを総合して「心理社会的資源」と呼んで、量的に把握しようとする試みがなされています。

お金の欠乏は一目瞭然なので手当てしなければならないことがわかりやすいのですが、個人の資質や人間関係は目に見えないものなので測定できません。なので主観的で経験的な精神論や根性論がまかり通ったりして軽んじられやすかったりします。

心理社会的資源もお金つまり金融資産と同じように有限かつ計測可能な資源であり、量的に把握していくという視点は精神科的サポートを行う上で極めて重要です。


幸福の条件とは?

そこで参考になるのは、以下の書籍です。著者の橘玲氏は、幸福の条件として3つの資本/資産を想定し、それを「幸福のインフラ」と呼んでいます。

幸福の「資本」論――あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」
橘 玲
2017-06-16


  1. 金融資本 お金や不動産 満たされれば自由になれる
  2. 人的資本 健康や才能  満たされれば自己実現できる
  3. 社会資本 人脈や評判  満たされれば居場所や絆を得られる
つまり、心理社会的資源=人的資本+社会資本です。

幸福は主観的なものなのでなかなか定義づけしにくいものではありますが、この3つがまるでインフラのように幸福を基礎づけていることに関してはわりと普遍性があると思われます。

たとえば、アダム・スミスは幸福の条件を以下のように定義していますが、それぞれ上記の3条件に対応しています。
健康で、負債がなく、良心にやましいところのない人

道徳感情論 (講談社学術文庫)
アダム・スミス
講談社
2013-07-26


つまり、負債がない/健康/やましいところのないは、それぞれ金融資本/人的資本/社会資本を所有していることを示しています。

また精神病理学的には、重症うつ病のひとが「自分は不幸になってしまった」という妄想を抱くことが知られていますが、そのうちの代表的な3つの妄想がそれぞれ幸福の条件を喪失している状態に対応しています。
  1. 貧困妄想 お金がなくなってしまった
  2. 心気妄想 治らない病気にかかってしまった
  3. 罪業妄想 罪を犯したから社会から排斥される

「幸福の条件」を「幸福のインフラ」として「見える化」する

幸福のインフラのうち、金融資本<人的資本<社会資本の順で「見える化」しにくくなっています。金融資本には値札がついていますが、社会資本はプライスレスであると考えられがちだからです。しかも、社会資本は主観的な幸福感に直結しているため特別視されます。

投資家でもある橘玲氏は、特別視されがちな社会資本を相対化し、金融資本や人的資本と同列にならべて論じることで「見える化」していきます。

幸福のインフラである3つの資本を運用して富/幸福を得て、さらにそれを資本に加えて運用を繰り返すことで、幸福のインフラをより大きく育てていくことが人生設計につながると論じています。
幸福のインフラ投資と運用
  1. 投資家は金融資本を金融市場に投資して、リターンという「富」を獲得します。
  2. 自らの能力を活かして労働市場に投資して、給与や報酬という「富」を獲得します。
  3. 人間関係を活かして仲間を形成して、愛情や友情や評判という「富」を獲得します。

そして、幸福の3つのインフラのうち、いくつを所有しているかで人生のパターンが示されると図式化します。
幸福の資本論8分類
  • すべて満たされていたら超絶幸せ
  • 2つ満たされていたらめちゃくちゃ幸せ
  • ひとつだけ満たされていてもなんとか幸せ
  • すべてが満たされていない状態は支援が必要

お金さえ渡せばすべてうまくいくのか?

たとえば生活保護受給者は金融資本は最低限保障されているので安泰だろうとか、ベーシック・インカムを導入すれば全てうまくいくのでは?という議論があります。

たしかに、最低限の生活や医療は保障されているでしょうが、精神疾患を抱えて生活保護を受給しているひとの中には、人的資本を活かせてないことや、社会資本が乏しいこと、つまり心理社会的資源の欠乏について、深く悩んでいて幸福度が高まらないことが多々あります。心理社会的資源の欠乏につけこまれて、生活保護費をまるっと巻き上げられていることもめずらしくありません。

前回、「うつ病のひとにお金を渡したら改善した」という研究を紹介しましたが、お金だけではなく心理社会的なサポートを同時に行っているがゆえに改善がもたらされたと考えるべきでしょう。

つまり、幸福の3つのインフラをバランスよくサポートする必要がある、という月並みな話になるわけで、やっぱり心理社会的資源のサポートも大切だよね、という話なのですが、そこには非常にやっかいな問題がつきまとう、という話を次回まとめていきます。


「欠乏による知能低下」と「明るい展望」


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前回は、マシュマロ・テストにはリソースの欠乏が大きく影響していた、という話でした。


今回は、リソースの「欠乏」による影響と、その対策として「明るい展望」が重要であるということをまとめてみました。


科学的に実証された「貧すれば鈍する」

いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学 (早川書房)
センディル ムッライナタン エルダー シャフィール
2015-07-31

ハーバード大学経済学部教授とプリンストン大学心理学部教授の共著によると、ことわざ「貧すれば鈍する」が実証研究によって証明されたようです。

ちまたでは「頭が悪いと貧乏になる」と思っているひとは多い反面、「貧乏になると頭が悪くなる」ということはあまり指摘されていません。

たとえば、お金に余裕があるときとないときでは、同じひとでも知能検査の結果がまったく違うという興味深い結果が示されています。お金に余裕がないと知能指数IQが10くらい下がってしまうみたいです。

これは、知能が平均より少しだけ低いひとが、軽い知的障害と診断されてしまうくらい明確な落差だったりします。


「欠乏」は現在バイアスを強化する

たとえばこのような「欠乏」状況
  • お金がない
  • 時間がない
  • お腹が空いている
  • 体調が悪い
  • 睡眠不足
  • トイレにいきたい
  • 理解者がそばにいない
こんなときはたいてい良い仕事ができませんし、ろくなことが起こりません。なにかと「欠乏」している状況では、目先のことにとらわれてしまって長期的な計画が立てられなくなるし、あせって余計なことをやってしまうし、うっかりミスをしてしまうし、一発逆転をねらってムチャをしたり、悪いひとにだまされたりしやすくなるでしょう。

これは、以前説明した「現在バイアス」が高まっている状態だと言えるでしょう。


逆に、体調・お金・時間・人間関係などに余裕があるときは、とても良い仕事ができたりします。

自分の経験に照らし合わせてみても、いつも「時間がない」とあせっているひとで仕事ができるひとに出会ったことがありませんし、仕事ができるひとはだいたい余裕かましているひとが多かったりします。

精神科の治療において、とくにお金・時間・人間関係はとても重要で、これらが欠乏している患者さんは、いくら薬を飲んでも、精神療法をやっても、改善することは非常に困難です。逆に、生活習慣を整えて、経済的にも安定して、近くに理解者がいる状況になれば、めちゃくちゃ治療がはかどります。


お金を「処方」すれば「うつ」は改善する?

ここで興味深い研究を紹介します。うつ病や不安症などの患者さんに毎月500SEK/約8000円を9ヶ月間「投与」すると精神症状が緩和されて、人間関係が良好になって、生活の質が向上したというスウェーデンの研究です。さすがにお金で病気が治ったわけではないものの、改善の助けにはなったようです。

Money and Mental Illness_A Study of the Relationship Between Poverty and Serious Psychological Problems


これに関連して「治験」の話をしましょう。新しい薬の効果を確認するために行われる「治験」に参加すると協力金がもらえます。たとえば、うつ病の治験に参加すると、診察を受けるたびにそこそこのお金がもらえます。しかも、治験の担当者がついてくれて、あれこれうつ病に関する情報を教えてくれるし、なにかと世話を焼いてくれたりします。

うつ病の薬は近年開発するのがとても難しくなっているようですが、その要因のひとつとして「プラセボ」に勝てなくなっているという事情があります。プラセボとは、形だけホンモノっぽいニセのクスリ(ブドウ糖など)のことです。

これは、とある抗うつ薬vsプラセボの比較で、下方へいくほどうつ病の症状が改善していることを示すわけですが、プラセボがめちゃくちゃ健闘していて抗うつ薬はかろうじて勝っているようにみえます。
プラセボ強い
新薬として承認されるためには、プラセボよりも明確に症状改善効果がないといけませんが、治験参加者は「お金」をたくさんもらっているので、プラセボでもかなり改善してしまっているんじゃないかと個人的には感じています。

重症のうつ病であれば、お金よりもクスリのほうが効果があるのでしょうが、正常と線引きがびみょうな軽症のうつ病であれば、クスリよりもお金のほうが改善効果が高いのかもしれません。

医療福祉の領域では、とかくどのクスリを使っているかとか患者さんの「良き理解者」になることが優先されがちですが、お金や時間、生活習慣などの健康面などの基礎的なことの重要性はもっと強調されてよいと常々感じております。


「明るい展望」を処方する

とはいえ、医師は患者さんに対してお金や時間をあげることはできません。できるとしたら「明るい展望」を提供することでしょう。明るい展望をもつことができれは、目の前の欠乏にふりまわされにくくなります。

ただただ根拠なく明るい展望を語っても単なる能天気だったり、うさん臭い宗教家みたいになっちゃうので、現状をアセスメントした上で正確に診断し、今後の治療方針と見通しをできるだけわかりやすく説明することが必要です。

最近とくに目立つのは、発達障害の診断や治療を希望するひとのなかに、深刻な欠乏状況のひとが多いことです。学校の成績が下がって留年しそう・会社をクビになりそう・妻から離婚を切り出されている、などなど。とにかくめちゃくちゃあせってしまって発達検査やクスリを熱望していて、それによって現在の困難な状況が一発逆転すると思い込んでいるひとが多かったりします。

ちなみに、発達障害の治療において、発達検査は診断のための情報のごくごく一部であるし、薬物療法も補助的なものだったりするので、発達検査やクスリで一発逆転する可能性はほとんどありません。そもそも、発達障害以外の要因がからんでいる可能性も高かったりします。

発達検査やクスリよりも効果的な「明るい展望」を提供できるように精進したいと思う今日このごろです。

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