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2019年11月

モジュール化したあとで流動化する知能


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前回からの続きです。認知考古学者スティーヴン・ミズンの「認知的流動性」という考え方を活用して、児童精神科医の滝川一廣の考え方をアップデートできるかもしれない、という話です。


滝川一廣2分法をアップデートする

児童精神科医の滝川一廣は、心の発達を2軸で説明しています。これをミズンの知能分類にあてはめると以下のようになります。
  • 関係の発達/社会的知能
  • 認識の発達/技術的知能+博物的知能

子どものための精神医学
滝川一廣
2017-03-27




2軸を想定したのはセンスがいいのですが、滝川も社会科学者と同様に「人間の認識は文化や社会によって強く規定されている」と考えているがゆえに、「認識の発達」は「関係の発達」に支えられているという素朴で月並みな想定をするだけに終わっています。

児童心理学の大御所ピアジェは、人間の心はコンピューターみたいなものであると強く信じたひとでした。そして滝川はピアジェの発達論を「認識の発達」の説明に活用しています。

これはとても妥当なことで、ピアジェの発達論は技術的知能や博物的知能を説明するにはとても便利なツールになっていますが、便利であるがゆえに不十分なところがありました。


ピアジェ発達論を活用した考古学者

同様にピアジェの発達論を活用したひとをみてみましょう。前回紹介した考古学者スティーヴン・ミズンよりも前に「認知考古学」を試みたひとがいました。

心の先史時代
スティーヴン・ミズン
1998-08-01


考古学者トマス・ウィンは、30万年前に存在していた手斧/ハンドアックスが左右対称の構造であることから、当時の人類は道具の完成形をあらかじめイメージして制作することができていたと想定しました。

これはピアジェ発達論の最終段階である「形式的操作期」に該当するため、当時の人類には現代人の心が完成されていたのではないかと推測しました。

これはとても画期的なことで、考古学によって絶滅した祖先の心を理解することができた、、、かのようにみえました。
ルヴァロワ技法
しかし残念ながら、30万年前は石器こそ洗練されていたものの、その他の文化はほとんど発達した形跡がみあたりません。

つまり、技術的知能だけにスポットライトをあてると、高度に発達しているようにみえていても、それ単独では人間の心や文化を説明することはできないわけです。

なので、それぞれの知能モジュールとの関連を考えなければなりません。


比喩という叡智

ここでミズンが注目するのは「比喩」です。比喩といえば村上春樹。
彼女が一枚ずつ服を身にまとっていく様は、ほっそりとした冬の鳥のように滑らかで無駄な動きがなく、しんとした静けさに充ちていた。
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」
三つめの納屋と四つめの納屋は年老いた醜い双子みたいによく似ている。
「納屋を焼く」
氷男は暗闇の中の氷山のように孤独だった。
「氷男」
世の中には比喩表現があふれていて、人々は比喩が大好きで、比喩をしたくてしかたがありません。人間は動植物やモノにも心があると想定せずにはいられない性質があるようです。

また、万物には霊魂や精霊が宿るというアニミズムは、古今東西・老若男女にみられる現象です。

つまり、人間の心は人間以外のモノを擬人化して社会的文脈におくことができるようになっています。

これは社会的知能と博物的知能がコラボレーションすることで可能になります。

それぞれの知能モジュールが連動して作動することを、ミズンは『認知的流動性』と呼びました。それこそが、人間の心の特徴であり、文明をもたらすものであると。


言語機能の拡張/言語による侵食

人類学者のロビン・ダンバーによると、もともと言語は社会的な情報をやりとりする毛づくろい/グルーミングの代替手段として活用されていました。

それまで社会的知能に特化していた言語の機能が、認知的流動性によってどんどん多様化していきます。社会的知能の領域外にある技術的知能や博物的知能などの「非社会的」な概念や情報が乗り入れ、「比喩」のように言語の機能が大きく拡張されることになりました。
人間の知能の進化
スティーヴン・ミズン「心の先史時代」
これは逆に考えると、脳科学者スタニスラス・トゥアンヌや理論神経生物学者マーク・チャンギージーが指摘したように、言語や読字機能が他の脳領域(視覚認知や形態認識)を浸食して取って代わっているといえるでしょう。


社会的知能が基礎にあって、その他の知能が派生していく、という二元論的な考え方ではなく、それぞれの知能モジュールがダイナミックに連合していく流れがみてとれます。


認知的流動性

ミズンはこのような人間の知能が進化するプロセスを、「聖堂」というアーキテクチャにたとえて表現しています。
聖堂のような心
スティーヴン・ミズン「心の先史時代」
まずは汎用知能が発達していきますが、徐々にモジュールが形成され、各モジュールに交通が生まれ、一体となって動き出すというコンセプトです。

認知的流動性の結果、さまざまな文化が発明されていきます。
認知的流動性の結果としての文化の開花
スティーヴン・ミズン「心の先史時代」
  • 社会的知能+博物的知能 人と自然を重ねるトーテミズム
  • 博物的知能+技術的知能 目的に応じた専門技術
  • 社会的知能+技術的知能 社会的交渉のための道具・人間を道具的に使う技術
そして、3つが融合することによって芸術・宗教・科学が生まれ、文明が開花しました。

滝川一廣2分法では、自閉スペクトラム症/ASDは社会的知能に劣るから支援しなければならない、という悲観的パターナリズムで終わってしまいます。

しかし、認知的流動性というコンセプトによって、社会的知能をひとつのモジュールとして相対化しつつ、他のモジュールによる代償・補完を想定することができれば、ASDの回復やリハビリテーションに新たな発想が生まれる可能性があります。

次回は、良いことづくめにみえる認知的流動性にもダークサイドがあるということを考えてみます。

考古学で解き明かす人間の心


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社会的知能とその他の知能との関連について、スティーヴン・ミズンの「認知考古学」という考え方を紹介しながらまとめていきます。


考古学で解き明かす人間の心

考古学者であるスティーヴン・ミズンは、考古学的手法を用いて頭蓋などの化石や人工物をすることによって「人間の心」を解き明かしていく「認知考古学」という興味深い試みをやっているひとです。
認知考古学
心の先史時代
スティーヴン・ミズン
1998-08-01


ミズンは知能を大きく3つに分類しています。
  • 社会的知能 他者の意図を理解して、つきあい方をおぼえる
  • 技術的知能 物理法則を理解して、道具のつくり方をおぼえる
  • 博物的知能 生物の性質を理解して、食物のありかをおぼえる

社会的知能

類人猿は社会的知能を確実にもっていますが、キツネザルは確実にもっていません。
  • キツネザルと猿の共通祖先がいたのは5500万年前
  • 猿と類人猿の共通祖先がいたのは600万年前
よって、5500万〜600万年前にかけて社会的知能ができあがったと推測します。もっとも歴史が古い知能です。

社会的知能はマキャベリ的知性/心の理論と呼ばれることもあって、いわゆる「人間の心」と同等のものと想定されがちですが、いわゆる心の基盤ではあるものの、単独ではまだまだ「人間の心」と呼べる代物ではありません。


技術的知能

人類は道具を使う生き物だ、という素朴な考え方がありますが、野生のチンパンジーはシロアリの巣穴をほじくる棒やナッツの殻を割る石器など、簡単な道具を使うことが知られています。

人類は、道具を用いて道具を加工したり、異なる道具を連結させて新しい道具を作り出したり、より複雑な方法で道具を作成することができるようになりました。

複雑に加工された石器が発見されるようになったのは300万〜200万年前であり、この頃から技術的知能が発達していたことが想定されます。


博物的知能

動植物や自然物の性質を理解して知識として蓄えておくことは狩猟採集生活には必須の能力だったことでしょう。

チンパンジーはすぐれた植物学者で、熟して食べごろになった果物がある場所へまっすぐ向かうことができます。つまり、頭の中に食糧資源についての知識や分布などのデータベースをもっています。

人類はそれを応用して狩猟採集を行う範囲を広げていきました。居住区に多様な動物の骨が発見されるようになった200万年〜150万年前には、博物的知能が発達していたことが想定されます。


ジェネラリストかスペシャリストか

  • 社会科学者は人間の心をジェネラリスト、つまり強力な汎用プログラムによって学習するコンピューターのようなものであると想定します。

  • 進化心理学者はスペシャリスト、つまり特定の領域を担当する知能のモジュールがならんだ十徳ナイフのようなものであると想定します。

コンピューターのような心

社会科学者は、人間の心は生まれた時にはまっさらな「空白の石版」であり、文化の影響を大きく受けながら、強力な汎用プログラムによって「学習」されていくと想定しました。

プログラムの内容は基本的にブラックボックスで、なんともざっくりした考え方のようです。

ただ、人間の心はプログラムにしたがって思考するだけではありません。この世界にはありえないものを思考したり想像したり創造してしまうことを説明できません。


十徳ナイフのような心

一方で、進化心理学者は人間の心をスペシャリストであると想定します。つまり特定の領域を担当する知能のモジュールがならんだものであると。
十徳ナイフ
つまり、十徳ナイフのようにさまざまな道具(知能モジュール)が折りたたまれていて、ひとつひとつの道具が特殊な問題を処理するようにできているということです。

たとえば、自閉スペクトラム症/ASDのひとは、社会的知能のモジュール/刃が欠けているか、開かずにたたまれたままになっているというイメージでしょうか。

人間が対処すべき問題領域は多岐にわたっているので、汎用コンピューターの知能では違うタイプの問題にうまく対処できなくて不便なわけです。


生まれながらの言語学者・心理学者・生物学者・物理学者

言語学者のノーム・チョムスキーは、人間には文法の設計図など「言語獲得装置」が遺伝的にあらかじめ搭載されていて、幼児期になるとそれが発動して言語を身につけることができると論じました。

同様に、幼児はごく早い段階から直観的な知識/モジュールをあらかじめ身につけているようです。十徳ナイフのようにしのばせていて、必要な状況に応じて対応する道具として知識/モジュールを活用するようにしています。これらは、はるか昔の狩猟採集生活によって培われてきたと考えられます。

幼児が直観的にもっている知識/モジュールを挙げると、
  • 直観的に相手の意図を読みとる心理学/社会的知能
  • 直観的に生物と無生物を区別して分類したがる生物学/博物的知能
  • 直観的に硬さ・重力・慣性などの概念を理解する物理学/技術的知能
ちなみに、算数とくに九九あたりからやっかいになってくるのは、直観的な知識/モジュールではなく、純粋に学習しなくてはならないからだとか。

コンピューターよりも十徳ナイフという考え方のほうが説得力があるようですが、ミズンはそれにとどまらず、さらに一歩考えを進めて「認知的流動性」という概念を提唱します。

いっぱしの心理学者であり生物学者であり物理学者であるはずの幼児が、無生物である人形に対して、あたかも人間の心があるかのように語りかけ、一緒に遊んでしまうのはなぜか、という問題がきっかけになっています。

それはまた次回に。


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