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2018年05月

色彩感覚からの共感能力


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ASDのひとは黄色が苦手?

自閉スペクトラム症(ASD)の症状のひとつである感覚過敏は、普段の色の好みにも影響しているのか、という研究。
正高信男 霊長類研究所教授、マリン・グランドジョージ レンヌ第一大学講師らの研究チームは、自閉症スペクトラム障害(ASD)の特徴の一つと考えられる知覚過敏の中でも色彩に着目し、ASD児の色彩感覚にどのような特徴がみられるかを調査しました。
ASD児の色彩感覚結果グラフ
その結果、ASD児は比較的茶色と緑色を好み、黄色を嫌がることがわかりました。黄色は生理的に刺激が強いことが原因ではないか、という考察です。

確かに、視覚障害者のための点字ブロックは目を引きやすいように黄色にしてあります。
黄色い点字ブロック
ただ、ASDは感覚過敏があって黄色は刺激が強いので気をつけましょう、という理解だけだと薄っぺらい感じがして何だか物足りません。

知覚の様式が通常とは異なるという特性は、ASDにとってどのような意味を持つのか、考えてみたいと思います。


霊長類が色彩感覚を発達させた理由

そもそも、霊長類は樹上生活に適応するためにすばらしい色彩感覚を身につけてきました。これには栄養分に富んだ果実や若葉を検出できるように進化したという説明があります。

以前紹介したマーク・チャンギージーによると、人間の色彩感覚は光そのものの色ではなく、「肌の色の変化」を知覚するために最適化されているらしいです。

人間の肌の色は酸素飽和度の高低(赤↔緑)とヘモグロビン濃度の高低(青↔黄)によって色が変わります。これに対応して、色覚を感知する錐体細胞は、肌の色が大きく変わる色の波長(赤・緑・青)を感知するのに都合よく配置されています。

そうすると、血液が滞ってうっ血しているのか、酸素が足りないのか、という健康状態だけでなく、怒って赤くなっているのか青ざめているのかという感情や精神状態を鋭敏に捉えることができるようになります。

人間の色彩感覚は、ちょうど医療機器「パルスオキシメーター」のごとく健康状態を把握したり、極端な話、超能力者のように相手の感情や精神状態を読みとる能力があると言えるわけです。
人間の目は、肌を、セックスとバイオレンス満載の感動的なドラマを眺めることのできる、フルカラーのディスプレイに変えるように進化してきたからだ。色覚を持たない動物には、あるいは、私たちと同じような色覚を持たない動物には、そうした肌の「ショー」は見えない。

肌の露出と色彩感覚

肌の色彩
最近では「肌色」のことを「うすピンク」と表現するようですが、「肌色」はいわばキャンバス、つまりデフォルトな色なので表現しにくかったり、知覚しにくかったりします。反面、化粧で少し色をつけるだけですごくインパクトをもちます。

色覚は霊長類によって大きな差があります。たとえば、キツネザルにはフルカラーの色覚はありません。
キツネザル
一方で、ニホンザルなどの旧世界ザルや人間にはフルカラーの色覚があります。
ニホンザル
写真をみれば一目瞭然、キツネザルの顔は体毛に覆われていて肌が露出していなくて、ニホンザルなどの旧世界ザルと人間の顔は肌が露出しています。さらに人間は二足歩行によって視認できる肌の領域が格段に増えました。

これによって、肌の変化をこまやかに観察できるようになって、健康状態から感情や精神状態の変化をとらえやすくなったのではないかと考えられています。

これは、相手の気持ちを考えて「共感する能力」を基礎づけることに関与しているのかもしれません。

色覚の男女差

マーモセット
系統発生的にはキツネザルとニホンザルのちょうど中間にあたるマーモセットなどの新世界ザルは、メスだけがフルカラーの色覚をもっています。色覚能力には明確な男女差が存在しています。

これは、メスが子どもの健康状態や気分を把握しなければならない場面が多いことに適合しているようです。つまり、メスはオスよりも相手の感情や精神状態を感じとる能力、いわば共感する能力に長けているのかもしれません。

ちなみに、人間の色覚異常は男性の方が女性より約250倍も多いのはこの流れをひきずっているようです。

色覚異常のひとが見る世界

色覚異常のひとは情報処理の過程が通常のひととは異なるので、物事の捉え方や感じ方、もしかしたら考え方や世界観まで違っているのかもしれません。
ゴッホの自画像ゴッホの本当のすごさを知った日
ゴッホの作品は独特な色づかいで異彩を放っていますが、↓↓↓のように作品を色覚異常の見え方をシュミレートすると全く違った味わいが出てくるそうです。
色覚異常者がみたゴッホの自画像
色覚体験ルームで見たゴッホからは、そのような色の突拍子のなさというか、線の荒さというか、そんなのがすーっと消えて、とても繊細で微妙な濃淡を持つ見事な絵になっていたのだ。
ゴッホの本当のすごさを知った日
このように、なんとなく深みとか凄みが増しているようです。

別の観点からみると、色覚異常のひとは色のバリエーションが少ないおかげで、取り扱うデータ量を縮減して情報処理を効率化させているハズです。もしかしたら、それによって別の能力を高めることにリソースを配分しているのかもしれません。


共感する能力/システム化する能力

ところでASDのひとは共感するのが苦手とされていて、色覚異常ほどではないのですが、ASDも男性の方が女性よりも約4倍多いことが知られています。

もしかしたら、女性は「色彩感覚からの共感能力」を活用してASDの症状を代償している可能性があるのかもしれません。

ここでどうしても連想してしまうのはサイモン・バロン=コーエンです。彼は、物事を秩序立てるシステム化能力に優れた男性と、他者と共感する能力に優れた女性を対比させて、ASD者が共感よりもシステム化する傾向が高いことを示しました「共感-システム化理論(EST)」。

共感という概念はなかなか複雑なので、次回にでも整理していきたいと思います。

オオカミの社会性、イヌの定型発達症候群


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オキシトシンによるヒトとイヌの関係性
エライ人に従順なひとのことを「◯◯の犬」 とバカにしたりしますが、いいオトナになっても「社交辞令のひとつも言えやしない」不器用なひともいたりして、なかなかどうして犬の社会的能力はあなどれないのです。というわけで、最近はイヌについて勉強しています。


ヒトとイヌの分岐

およそ8000万年前にヒトとイヌは別の道を歩み始めました。

その頃はちょうど恐竜が陸上世界を支配していて、ヒトとイヌ共通の祖先である哺乳類は毎日怯えながら生活していました。やがて、ヒトの祖先は森へ、イヌの祖先は暗闇へ、それぞれ身を隠して脅威的な捕食者から逃れ、出し抜き、生き延びるために独自の知能を発達させます。

ヒトの祖先は樹の上を自在に動いて木の実を食べるために色彩感覚や立体視(両眼視のできる顔)を発達させ、イヌの祖先は暗闇の中で動けるように聴覚(尖った耳)と嗅覚(尖った鼻)を発達させたため、それぞれまったく違う姿に進化していきました。


ヒトとイヌの邂逅

およそ3500万年前には、肉食哺乳類の中でイヌとネコが分岐しました。

両者は狩りの様式が異なっていて、ネコの祖先は単独で草木に隠れて一撃必殺で獲物をしとめ、イヌの祖先は草原にいる獲物を集団で追いつめてしとめていました。

霊長類をのぞけばイヌ科の動物は状況に応じて行動を変える能力に長けるようになりました。キツネやタヌキもイヌ科ですが、相手を騙して出し抜くという「ソーシャル・スキル」に長けていたからこそ「化かされる」逸話ができたのかもしれません。

イヌ科の中でも、イヌの祖先となるオオカミは、狩猟のために組織化された集団を形成し、意志を伝達して役割を分担することで、自分よりも大きな獲物を狩ることができます。

この集団狩猟こそが、種として大きく隔たったヒトとの共通点=収斂進化と言えます。

また、イヌはヒトと同様に持久走に長けています。


後肢の指は骨が癒合して4本になって強靭になっていますし、パンティング(舌を出してハァハァ)は呼吸ではなく冷却のためのものだったりします。


ヒトとオオカミの競合

オオカミはイヌ科の中でも社会性が高い動物で、家族以外とも協力して狩猟や育児を行う柔軟な共同体を形成していることが認められています。


オオカミは度重なる過激な気候変動に直面し、動的で可変的な社会システムを洗練させ、その優れた適応能力によって世界中に拡散し、ヒトが新世界へ移住を始めた頃(1万5000〜2万年前)までには最上位捕食動物の地位を確立していました。

やがて、食糧資源をめぐってヒトとオオカミは競合するようになります。食糧が豊富な環境であれば両者は友好な関係を結び、時にオオカミは信仰の対象となりましたが、野生動物が減少し牧畜が始まる頃になるとオオカミは忌み嫌われる存在となりました。

ともかく、集団狩猟という共通の習性ゆえにヒトとオオカミは関わり続けることになり、そのような状況が土壌となって、イヌへの最終進化がもたらされました。


オオカミとイヌの境界線

何しろ犬というのは、いつの間にか仲間を裏切っていた連中の子孫なのだ。確かに最初に人間の懐に飛び込んで、媚びを売り始めた間抜けなオオカミがどこかにいたはずだ。
では、オオカミとイヌの違いは何でしょうか?

イヌには、相手の視線や指差しから意図を理解する「共同注意」という優れたコミュニケーション・スキルがみとめられています。オオカミやチンパンジーはなかなかコレができないので、イヌの認知機能が優れていると一般的には考えられていたりします。

一方で、ただ単に「攻撃性が欠如している従順な気質をもったイヌ」が選ばれるようになったことで、ヒトとスムーズに協力的な関係をもつことができるようになり、既存の認知機能がいかんなく発揮されたという説もあります。
ゲノム的には気質の変化ほど効率的なプロセスはない。アンドロゲンの発現を制御する遺伝子を少しだけ移動させるか、セロトニントランスポーター遺伝子を動かすだけで雪だるま式効果が得られる。しかも極めて効率がいい。それは費用対効果の高い進化上のトリックで、莫大な見返りも期待できる 
優秀さよりも従順さが「社会性」として評価されることってよくあると思います。

ここで乱暴ですが、イヌを定型発達に、オオカミをASDに対比してみると、優秀でも従順さに欠けるひとはしばしばASDと診断されやすかったり、ASDでも従順なひとはなかなか診断されにくかったりする事情が理解しやすくなりそうです。


オオカミのオスはイクメン

意外なことに、オオカミのオスは子育てに対して非常に協力的だそうです。一方、イヌのオスは自分の仔犬にあまり関心を示しません。にもかかわらず、飼い主の子どもには大きな関心を示して世話をすることがあります。

なので、いったん家畜化されて(イクメン本能を失って)その後野生化した野犬の場合は悲惨なことに、メスがワンオペ育児をすることになり、仔犬の生存率が低くなってしまいます。

イヌが獲得した社会性は、家族よりも共同体を優先する習性によって成り立っていると言えます。

家庭を犠牲にして所属集団(イエ)に尽くすヒトは「社会性」が高いと言われますが、うっかり尽くすべき相手を間違えると、野犬のように悲惨な運命をたどることになったりします。

こうしてみると、オオカミは自分たちでちゃんと社会をつくっていたけど、イヌは自分たちで社会をつくることを放棄して人間社会に参入したとも言えます。


生物にとっての社会性とは?

ヒトにとっての社会性とは、ざっくり言うとアカの他人と協力することなので、社会性を身につけることは悪意あるひとにダマサれてカモられるリスクと常に隣合わせです。ソーシャルスキルトレーニングを受けると詐欺の被害に遭いやすくなることもあったりします。


自閉症コミュニティの「定型発達症候群」というジョークがありますが、メンタルヘルス領域で言うところの「過剰適応」「メランコリー親和型」は、他人に合わせて協力し過ぎるがゆえに消耗してしまう特性と近接しています。


なまじ定型発達が過剰であるがゆえに不幸になっているヒトは、オオカミ的な社会性を身につけた方がイイのではないかと思う今日このごろです。

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