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出典 宝島社

精神科クリニックには自閉スペクトラム症の方が多く受診されます。学校や職場での人間関係がうまくいかないことが悩みの中心であることがほとんどです。しかしながら一方で、明らかに自閉スペクトラム症をもっているのに学校や職場でうまくやっている人もいます。

同じくらいの自閉スペクトラム症をもっている人がいたとして、精神科を受診する人と受診しない人がいるのはナゼか?両者の命運をわけるのはナニか?を考えてみました。


学校では

平和なクラスだと自閉スペクトラム症のひとはあまり目立ちません。守るべきルールがわかりやすくて、問題が起きても周囲が暖かくフォローする余裕があったりするためだと思われます。ところが学級崩壊が起こると途端に居心地が悪くなります。例えば、態度と声のデカい生徒(およびその保護者)が幅を利かせていて、教師(および校長)さえも口出しができなくなってしまっている状況など。


職場では

システムが整っていて役割が明文化されている職場だと自閉スペクトラム症のひとは比較的居心地がよいみたいです。ところが、あちこちに暗黙のルールが仕込まれている職場は途端に居心地が悪くなります。例えば、態度と声のデカい古株のパートさんが管理職を差し置いて幅を利かせている状況など。


猿山的なヒエラルキー

このようなヒエラルキー構造は猿山的と言えるでしょう。猿も人間と同様にヒエラルキーを形成しますが、人間と違って理念を必要としません。単に力の強いものが弱いものを圧倒してのし上がっていきます。このような集団では、柔軟な身の振り方ができる器用なひとはやっていけますが、自閉スペクトラム症をもっているひとは『炭坑のカナリヤ』のごとく真っ先にしんどくなってクリニックを訪れることになります。


自閉スペクトラム症をもっている人は猿山での生存率が低い?

猿山で生き延びるためには、言葉で明確に定められているルールや理念ではなく、言葉で書かれていない暗黙のルールを機敏に感じとって、地雷を踏まないようにうまく立ち回らなくてはなりません。しかしながら自閉スペクトラム症をもっている人はしばしばそれが苦手で、おもいっきり地雷を踏んでしまいます。

というのも、彼らは『書かれていないものは存在しない』と考えてしまいがちだからです。しかし残念ながら、『肝心なことは書かれていない』ことがしばしばです。 

というわけで、まじめにコツコツ勉強して知識と技術を習得して専門職になったにも関わらず、現場では全然使い物にならなかった!という悲劇があちこちで繰り返されるわけです。


猿山化しやすい環境

個人的な印象としては、公的機関や大企業よりも中小企業、特に教育や医療福祉系の職場が猿山化しやすい傾向がある今日この頃だと思います。もともと権威があったんでガバナンス不要だったんだけど、権威が急速に失墜したから代わりに猿山的構造が台頭しているのかもしれません。

このトレンドはしばらく続くでしょうから、いちいち目くじらを立てるよりも、猿山的構造を弄びつつサバイバル術を身につけることが重要です。

例えば、とある猿山で『経営者の愛人らしきひとが資格もないのに出しゃばっているのが理不尽で許せません!』ってものすごく憤慨しているひとに対しては、『性愛関係は階級を飛び越えるために利用できる最も強力な手段のひとつなので、それによって社会が流動化しているんだよ』と説明しながら、めんどくさいひと対策としてのご機嫌をとりつつ距離をとる方法をレクチャーしたりしています。