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生き延びるためのマキャベリ的知性


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前回からの続きです。

最近ニュースで、女帝とかお局さんとそのなかまたちによる壮絶ないじめがめちゃくちゃ叩かれています。

彼女たちのような「社会的知性」だけがやたらと高くて他の知性とかモラルに欠けているひとって、いろんなところにのさばっていて、嫌な思いをしたことのあるひとが多いからこそヘイトが盛り上がるのでしょう。

とくに、地方の病院とか福祉施設とか家族経営の中小企業あるあるなんですよね、経営者の嫁とか愛人が君臨するパターン。

それはさておき、社会的知性は暴走すると犯罪行為にもつながるリスクがあるのですが、ほどよく活用することで世の中をうまく渡っていくスキルにもなるわけです。


社会的知性とは

社会的知性について書いてある、著者が精神科医の新書があります。後半は自己啓発っぽくなってダルいんですが、前半はわかりやすくコンパクトにまとまっています。
「社会的知性」とは、他者に働きかけ、他者をコントロールすることによって、自分の居場所を確保し、自分の望む目的を達成する能力である。
マキャベリー的知性 危機の時代を生き抜く社会的知性の磨き方 (アスキー新書 145)
岡田尊司
2010-03-09





社会的知性はあまりにも俗っぽい能力なので、精神医学的に関心をもたれることが少なくて、適切に論じられているとはいえません。どうやら、世俗にうといひとたちが集うアカデミズムとは相性が悪いようです。

ですが、社会的知性はアカデミックな知性よりも社会的成功や家庭的幸福に相関するし、自閉スペクトラム症/ASDを考えるうえでとても重要な能力だったりします。

ASDをもつひとは「社会性の困難」があるとされていて、アカデミックな知性が高くても社会的知性が低い傾向があるので、社会的状況ではなにかと苦労しがちです。


社会的知性は学業成績や知能検査では測れない

「社会的知性」は学業成績に反映されないし、知能指数/IQとも相関しないので、知能検査(発達検査)では測定できません。

なので、「知能検査の結果でASDと診断された」とか「ASDの診断のために知能検査をしてほしい」というひとがけっこういますが、知能検査でASDを診断できるはずもなく、あくまで参考資料にすぎません。

それはさておき、「社会的知性」は学校や職場などの社会的状況でうまくやっていくためには必須な能力です。

たとえば、有名大学を卒業して専門的知識をもっている正社員の優秀な若者が、海千山千のしたたかなパートのおばちゃんたちにいじめられてメンタル不調になって精神科を受診してASDと診断されました、というパターンがよくあるわけです。

いくらアカデミックな知性が高くても、社会的知性ではパートのおばちゃんたちにはかないません。とくにガバナンスが効いていない職場ほど業績よりも社会的知性だけがものをいう世界になりがちです。


相手の出方をみて自分の出方を変える

パートのおばちゃんたちにいじめられないようになるためには、「相手の思考や意図を推測し、先回りして行動する」つまり「相手の出方をみて自分の出方を変える」というスキルを身に着けなくてはなりません。

これは社会的知性のなかの「マキャベリ的知性」と呼ばれるものです。マキャベリといえば「君主論」が有名で権謀術数の政治学を代表する考え方で、最近ちょっとしたリバイバルで人気が出てきているらしいです。

また、マキャベリ的知性は「認知的共感」とか「心の理論」とも関連しています。

心の理論とは、

「Aさんは〇〇であると考えている」▶ 一次的信念 をイメージすることです。

これはだいたい4歳までに理解できるようになりますが、これだけではパートのおばちゃんたちには到底かないません。

そのためには、もう1段階アップグレードして、

「 “Aさんは〇〇であると考えている” と、Bさんは考えている」▶ 二次的信念 をイメージできなくてはいけません。

これは6〜10歳までに理解できるようになります。二次的信念を理解することによって、相手と駆け引きをしたり、だまくらかしたり、出し抜いたりすることができるようになります。

たとえば、自分が「嘘泣き」をすることで、相手が「かわいそう」と考えるであろうことが予測できるようになります。つまり、自分の行動によって相手を操作することができるのです。

実際、子どもは6歳頃から上手に嘘をついたり仮病をつかったりして、大人を翻弄することができるようになります。

また、二次的信念は三次・四次へと拡張するための大きな足がかりになります。高次になればなるほど、複雑な物語や文学の理解からマーケティングや政治にいたるまで、大勢のひとを巻き込んで動かす能力に発展していきます。


政治するチンパンジー

考えるチンパンジー
動物行動学者のフランス・ドゥ・ヴァール「チンパンジーの政治学」には、チンパンジー社会にも権力闘争があることが紹介されています。政治の歴史は人類史よりも古いということです。

チンパンジーの政治学―猿の権力と性 (産経新聞社の本)
フランス・ドゥ ヴァール
2006-09





  1. ボスとして君臨するチンパンジーAに対し、チンパンジーBが権力闘争をしかけます。
  2. BはAのいないスキをみて、Aを支持するメスたちに毛づくろいをして仲良くなります。
  3. Bは別のチンパンジーCと同盟を結び、Aを孤立させ、ボスの座を奪います。
  4. それまで低ランクだったCは、ナンバー2の地位を確保します。
  5. ボスの座についたBは、闘争をやめてケンカの仲裁に奔走し、群れを安定させます。
  6. Bは、メスを攻撃していたCを追い払います。
  7. そして最終的に、CはAと同盟を結んで、Bからボスの座を奪いましたとさ。
チンパンジーが社会的知性を発揮していることがよくわかります。人間社会でも似たような血で血を洗う権力闘争があちこちで繰り返されています。

このように、社会的知性を単独でとりあげてみると、人間とチンパンジーの間にはあまり差がなくなってしまいます。

というわけで次回は、人間固有の知性を考えるために、社会的知性とその他の知性との関連についてまとめてみようと思います。

脳と言葉は社会のために?


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前回の続きです。


滝川は「子どものための精神医学」において「関係(社会性)」の発達についてこう説明しています。フロイトの発達論にそって、あるいは養育者や社会・文化の影響を受けることによって発達していくと。

もちろん、養育者による刺激がトリガーとなって「関係(社会性)」の発達が促進されることはあるのでしょうが、そもそも霊長類の段階から備わっている「社会性」が発展して社会的知性を形成していく、という考えを紹介していきます。

まずは、人類学者ロビン・ダンバーの「社会脳仮説」です。



燃費の悪い脳

人間の脳はとても燃費が悪い器官です。体重のたった2%の重さしかないのに、20%ものエネルギーを消費しています。なぜ人間の脳はここまで異常に発達し、膨大なエネルギーを喰うようになったのでしょうか。

一般的には、共同で狩りをするためとか、道具をつかうためとか、言語をつかうためとか、いろいろ説明されたりしますが、ダンバーは興味深いデータを提示しています。
ダンバー数
霊長類の群れの大きさ(タテ軸)と脳の発達(ヨコ軸)が相関しているという事実です。集団で仲間とうまくやっていくため、良好な人間関係をつくって維持するために、脳が発達していることになります。

たとえば、野生のサルが2頭で生活しているときは1ペアの関係だけ把握すればよいのですが、3頭で3ペア、4頭で6ペアと集団が大きくなるにつれて把握するべき関係は格段に増えて複雑になり、脳のスペックが必要になるというわけです。

サル関係
現代社会は法律が整備され、情報が流通し、衣食住が確保されているので、集団生活にそれほど脳のスペックを使用しなくてもよくなっているのでイメージしにくいかもしれません。

ですが、そのような文明が確立したのは人類史ではつい最近のことで、人間の祖先は長い時間をかけて社会集団を形成するように進化してきました。

少ない情報のなか、外敵や食糧不足に怯えながら、仲間と協力したり助け合ったり、フリーライダーや裏切り者を牽制し、過酷な環境を生き抜くために。集団内でうまくやることができないことは、リスクが高い死活問題だったからです。

お互いが仲間であることを確認するためには一定のコストを支払う必要があります。人間をふくむ社会的動物は、そのために「毛づくろい/グルーミング」を行うようになりました。


社会的毛づくろい/ソーシャル・グルーミング



毛づくろいは、もともとノミやシラミなどの寄生生物を除去して清潔を保つための行為でした。群れで生活する動物たちは、それを社会的コミュニケーションとして活用するようになりました。

毛づくろいによってお互いの身体をきれいにすることで、家族や友人との信頼関係をつくったり、自分の地位・ランキングを確認したり、ストレスを回避して和解や紛争解決の手段にしたりします。

身近なところからだんだん仲間を増やして、フリーライダーや裏切り者を遠ざけていく戦略です。逆に、フリーライダーや裏切り者を発見して制裁を加える戦略もありますが、これはとても骨が折れることなので、なるべくやらずに済ませたいところでしょう。
 

集団生活する霊長類は、1日の活動時間のうちなんと20%も「毛づくろい」に費やしています。


毛づくろいからムダ話、そしてSNS

人間の脳のスペックなら群れの大きさは約150人(ダンバー数)で、これを維持するためには活動時間の40%を「毛づくろい」のために費やさなくてはなりません。

音声グルーミング

とてもそんなことはできないので、人間は音声によるグルーミング、つまり「おしゃべり」で代用するようになりました。物理的なグルーミングよりも労力が少なく、同時に複数の個体とやりとりができて便利だからです。

いわゆるスモールトーク、雑談・冗談・世間話・うわさ話などのくだらないムダ話にこそ「人間の言葉」の起源があるというシンプルなダンバーの仮説です。言葉を大切にするマジメなひとから怒られそうな話です。

その延長線上に、飲み会・パーティー・ゴルフなどの社交的活動や文化が形成されていきます。さらに、ソーシャル・ネットワーク・サービス/SNSの「いいね!」で代用されるにいたって、ますますお手軽になっています。


社会的知性とASD

自閉スペクトラム症/ASDをもつひとはかかえている「社会性の困難」は、このような社交を要求される場において顕著となります。どれもこれも苦手なのです。

彼らにとっては、社交的活動のためにコストを払うことは意味のない茶番にみえてしまうからです。ASDをもつひとのなかには言語能力が非常に高いひとがいますが、実務的な議論やスピーチや演説などはうまくやれても、スモールトークはなかなかうまくできません。

逆に、スモールトークがやたらとおもしろいひとは、社会的地位と豊富な人脈を得て楽しく人生を謳歌していたりします。

これはいわゆる「社会的知性」といわれているもので、「アカデミックな知性」よりも重要であるという考え方があったりするので、次回まとめてみます。

ピアジェとフロイトの発達論について/滝川一廣「子どものための精神医学」を読む。その2


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滝川一廣「子どものための精神医学」を読む。その2
というわけで、今回はひさしぶりにこの本を紹介していきます。

子どものための精神医学
滝川一廣
2017-03-27


第1部の理論編のうち第4〜6章、滝川の発達論について、ぼくなりに考えをまとめてみました。とりあえず、滝川はピアジェとフロイトの発達論をミックスしていますが、ピアジェはともかくフロイトはまずいでしょ、という話です。
第4章 「精神発達」をどうとらえるか
第5章 ピアジェの発達論
第6章 フロイトの発達論

滝川一廣2分法

滝川は人間の発達を「認識の発達」と「関係の発達」の2つにわけて表現しました。
  • 認識の発達 いわゆる知識と理解。意味や約束を「知ること」 
  • 関係の発達 いわゆる社会性。集団の中で人間と「関わること」

滝川一廣2分法

知的障害をもつひとは認識の発達が遅れていて、自閉スペクトラム症/ASDのひとは関係の発達が遅れているとシンプルに説明しています。

この2分法はとてもわかりやすくて便利なので、ぼくもASDの講義をするときに利用させていただいております。

しかし問題なのは、滝川は「認識の発達」をピアジェの発達論に、「関係の発達」をフロイトの発達論にそれぞれ対応させて説明しているところです。ピアジェはともかく、フロイトにしたのは大失敗です。

なぜなら、フロイトの発達論は実際の乳幼児を対象にした研究ではないし、理論的に間違っていることが明白で、もはや見向きされなくなっている理論だからです。ひと昔前は、教員採用試験や看護師の国家試験に出題されることがあったのですが、今はもうほとんど出題されなくなっています。

なので、この本では「関係の発達」がどのようになされていくのか、という説明がわかりにくくなっています。


フロイトの色眼鏡

高齢の精神科医はフロイト精神分析の洗礼を受けている率が高いのですが、若い精神科医はあまり影響を受けなくなっています。あまりも役に立たないばかりか有害なことすら多いからです。

フロイトの発達論で特徴的なのは、親子関係に対する異常な執着です。フロイトに影響を受けた精神科医は幼少期の親子関係について根掘り葉掘り聞くクセがあって、親子関係が子どもの将来に決定的な影響をおよぼすという信念をもっています。しかも、だいたいネガティブな内容の予言になっていて、まるで「呪い」とか「占い」のたぐいみたいになりがちです。

さらに、親と子の格差を強調するあまり、どうしても親が加害者で子が被害者であるという発想にかたよってしまいます。

確かに、虐待が発生している極端な親子関係であれば、子どもに大きな影響をおよぼすことは明白ですが、一般的に親の影響力は児童期以降だんだん小さくなり、思春期に入るとほとんど影響力を行使できなくなります。

自分の子ども時代を思い出してみると明らかですが、児童期以降はだんだん親よりも友人や恋人から大きな影響を受けるようになります。せいぜい5コ上の先輩や10コ上の有名人に憧れることはあっても、30コ上のおっさんに憧れることはほとんどありません。


フロイトの発達論はパンチがきいてる

フロイトの発達論/心理性的発達理論
  • 口唇期 Orale Phase   0~1歳頃
  • 肛門期 Anale Phase   1~3歳頃
  • 男根期 Phallishe Phase   3~6歳頃
  • 潜在期 Latente Phase   6~12歳頃
  • 性器期 Genitale Phase    12歳頃~

それぞれ、授乳している口唇期、トイレット・トレーニングしている肛門期、性器に関心があつまる男根期。それぞれの時期にトラブルが起こると、甘えん坊、ドけち、マザコン/ファザコンになっちゃうというパンチのきいた説です。

はじめて教わったときは「なにかのギャグ?」と思って笑いをこらえるのに必死でした。こうしてひさしぶりに眺めてみると、なかなか壮観で感動すら覚えます。しかし、この枠組がおおマジメに正しいとされていた時代がつい最近まであったわけです。


語られない潜在期

聡明な滝川は、さすがにフロイトの発達段階説は古めかしい決定論であり現代社会にはなじまないと批判していますが、最終的にはフロイト理論をしっかり受け入れてしまっています。

フロイトの発達論がダメなところを端的に示しているのは、6歳から12歳頃までの「潜在期」を軽視しているところです。その名のとおり「潜在期」はあまり動きのない時期とされていますが、この時期は、子どもが社会化をはじめるもっとも重要な時期であり、もっともダイナミックな変化に富む時期であることは臨床経験からも明白です。

潜在期の6年間は、口唇・肛門・男根期よりも長期間であるにもかかわらず、あまり語られていません。それを踏襲した滝川も潜在期の記述がもっとも薄くなってしまっています。

親よりも子ども同士の相互作用が重要であることは以前の記事でも紹介しています。



ピアジェの発達論は意識高い系のASD

一方、ピアジェの理論は発達認知研究のベースになっています。滝川の「認識の発達」にほぼ対応しているといってよいでしょう。ASDをもつひとにも保たれているので、ASD的な発達の側面であるといえます。

ピアジェの発達論/認知発達段階説
  • 感覚運動期  0~2歳
  • 前操作期   2~7歳
  • 具体的操作期 7~12歳
  • 形式的操作期 12歳~成人まで

外の世界に対して、感覚や運動によって相互作用を始める「感覚運動期」、自分と外の世界との境界を認識する「前操作期」し、具体的なものを取り扱う「具体的操作期」、抽象的なものを頭の中で演算できる「形式的操作期」。

生物学者からスタートしたピアジェは「生物の本質は世界に対して能動的に働きかけて変革することである」というコンセプトをもっていたようで、活動性とか能動性への信仰がみられます。

ピアジェは「生物は大きな進化の流れの中にある」という受動的なダーウィンのコンセプトには賛同せず、主体的かつ能動的に活動して環境に適応していくことが発達であるというコンセプトを重視しました。つまり、とっても前向きな意識高い系なのです。


意識高い系による意識高い系のための理論

生涯で観た映画はたったの4本!というピアジェ自身、かなりのワーカホリックでバカンスなしで研究に没頭していたカタブツだったらしく、意識高い系の科学者でASDに親和性の高いひとだったのかもしれません。

ピアジェの発達論は意識高い系のASDっぽいエリート層にウケて、戦後日本における教育指導要領に取り入れられてきました。そのため、ASDに親和性の高い制度設計がなされてきたのかもしれません。

ピアジェの発達論は、まるで子どもを機械に見立てている風にもみえるので「子どもの笑顔がみあたらない」と批判されていました。ですが、それは逆にASDをもつのひとの発達の側面をうまくとらえているともいえるでしょう。

他にも、ピアジェは子どもの能力を低く見積もりすぎているという批判もあって大幅に見直されているところなので、あくまでも参考程度にして個別のケースに当てはめないようにする必要があります。


「関係(社会性)の発達」を説明する理論は?

それでは、タテ軸「認識の発達」はピアジェの発達論をベースにするとして、ヨコ軸「関係の発達」はフロイトの発達論に代わってどんな理論をベースにすべきでしょうか?

というわけで、次回はロビン・ダンバーの社会脳仮説とかマキャベリ的知性についてまとめていきます。


「アヴェロンの野生児」後日談


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イタールによる「アヴェロンの野生児」の療育が失敗に終わった後、ふたりがどうなったのか調べてみました。

イタール、その後

1806年、イタールはヴィクトールの療育を終結し、4年間にわたる療育の成果を内務大臣へ報告しました。報告書は政府によって出版され、世間から大絶賛されて富と名声を手に入れました。

医師としても教育者としても成功して時代の波に乗ったイタールは、「ろうあ学校」で他の生徒の教育にたずさわるようになりました。

聴力がわずかに残っている生徒に言葉を教えようとするだけでなく、聴力を回復させようと努力しました。言語学者ハーラン・レイン「手話の歴史」のなかで、当時「ろうあ学校」に在籍していた生徒が生々しく証言しています。



イタールが「ろうあ学校」の生徒たちに試した治療法の数々は想像のナナメ上を行っていました。耳に電気をあててみたり、首にヒルをくっつけてみたり、鼓膜に穴をあけてみたり、よくわからない液体を耳に注いでみたり、水ぶくれのできる溶液にひたしたガーゼを耳に巻いてみたり、もぐさを使用してみたり、耳の後ろを金槌で叩いて頭蓋骨を割ってみたり、白熱させた金属片をあててみたりなどなど、にわかには信じがたい人体実験を繰り返していたようです。

そのようなむちゃくちゃな試みはすべて失敗に終わり、ひどい副作用という災厄を生徒たちにもたらしました。その一方で、イタールはこのような実験を通して「耳管カテーテル」を開発し、耳鼻咽喉科学の先駆的な業績を上げることができました。
イタール耳管カテーテル
治療に失敗したイタールは、医学でダメなら教育だ、というわけで、発話訓練を強行します。膨大な時間をかけて個別教育をほどこしますが、これもほとんど成果はありませんでした。

わずかに発話できる生徒が手話社会に溶け込むにつれて発話できなくなる様子を観察したイタールは、失敗の原因は手話であると考えるようになります。そして、自分の生徒を隔離して教育しようと考え、同じ過ちを繰り返そうとします。


ヴィクトール、その後

大成功したイタールとは対照的に、野生児ブームは去り、ヴィクトールに対して関心を抱くひとはほとんどいなくなりました。

1811年、成人したヴィクトールは「ろうあ学校」を退去することになり、政府からの援助を受けてゲラン夫人と生活することになりました。ひとめにふれないように生活するよう通達されていたそうです。

これ以降、ヴィクトールの公式な記録はほとんどありません。ヴァージニア大学教授で詩人・歴史家であるロジャー・シャタックの著作に少しだけ記載がありました。

アヴェロンの野生児―禁じられた実験
ロジャー・シャタック
1982-03




1816年、30歳近くになったヴィクトールの様子を、考古学者のヴィレーがこう記述しています。
今日でもこの人間はひどい姿であり、半ば野性で、あんなに話し方を教える試みがなされたのに、相も変わらず話すことが覚えられないままでいる。
ヴィクトールは変化のないまま、ひきこもり状態でひっそりと過ごしていたようです。

 

素直に変化するイタール

頑固な口話主義者だったイタールは、アリベールという生徒との出会いを通して、ろう者の教育には手話が必要であると考えを改めます。

アリベールはイタールの熱血指導を受け、髪が白くなるくらい努力したにも関わらず、ほとんど成果がありませんでした。しかし、手話を学んでからは素晴らしい学業成績をおさめて教師になりました。

イタールは「ろうあ学校」という手話社会の中心にいながら、言語習得には手話社会が重要であることに気づくのに16年もかかったというわけです。

こうしてみると、イタールはひとつの原理に並々ならぬこだわりを抱いて、忖度ゼロで猪突猛進するタイプでありながら、自分の間違いを認める素直さをあわせもっていたり、治療はヘタだけどマニアックな医療器具を開発するなど非凡な才能を発揮したり、素晴らしい研究業績を残していたり、基本的に孤独を好んで生涯独身を貫いていたりなどなど、自閉スペクトラム症/ASDの特徴があったのかもしれません。

一方で、ASD研究で著名なウタ・フリスはじめ「アヴェロンの野生児=ASD説」が有力だったりします。



そして、ASDをもつひと同士はお互いを理解しやすいという「類似性仮説」があります。

つまり、イタールとヴィクトールはASDの特性をもつ者同士だったので、うまくコラボレーションできたのかもしれません。あるいは、全然うまくいっていないことに無自覚なまま実験を継続できたのかもしれません。

そう考えると、実験が終了してからふたりが一切の関わりを断っていることも、ある程度うなずけます。


イタール、ヴィクトールを語る?

1828年、50歳になったイタールは、とある知的障害者の療育についての報告書のなかで、
長期間繰り返しスピーチの訓練を続ければ、それ相応の話す能力を身につけるようになるかどうかを決定するためには、医者は非常に慎重でなくてはならない。
(中略)
私がこのことを付記するのは、私がこの点で以前に過ちを犯したからである。
と警鐘を鳴らしています。これはヴィクトールのことについて語っているのかもしれません。

結局のところ、年老いてからのイタールは「ヴィクトールは知的障害であり療育不可能である」と診断したピネル(当時55歳)の見解に近づいています。

ちなみに、この報告書が提出された頃には、ほとんど話題になることもないままヴィクトールは亡くなっていました。

ヴィクトールは思春期以降、30歳年上の養母以外の人間とほとんど関わることなく、自然豊かな故郷に帰ることもなく、パリ市街地のど真ん中で、推定年齢40歳の短い人生を終えていました。

社会的に大成功したイタールの華やかな人生とはとても対称的で、イタールがヴィクトール/勝利者という名を与えていたことは、もはや皮肉としか言いようがありません。


誤診と失敗から始まった物語

アヴェロンの野生児という神話は、若かりしころのイタールの誤診と失敗から始まりました。

イタールは若さと情熱をもって不可能なことにチャレンジしたからこそヒーローになりました。その物語は美談であり、伝説であり、神話となりました。そして、児童精神科臨床と障害児教育の原点となって歴史を切りひらきました。

しかしながら、ヒーローが活躍する華やかな側面ばかりに目を向けていても、得られる知見は少なかったりします。というのも現実には、児童精神科臨床も療育も、華やかさとは無縁の地道な日常の積み重ねと継続性が重要であって、そもそもヒーローなんていらないわけです。

なので、歴史の背景とか負の側面に目を向ける視点をもって、現代の療育について考えてみるといろいろな問題点が浮き彫りになったり、改善点がみえてきたりするのではないかと思っている今日このごろです。

統合失調症の集団分裂促進仮説


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これまでは、統合失調症の適応的な側面についていろいろまとめてきました。






このへんは基本的に個体レベルの能力にまつわる話でしたが、今回は社会=集団レベルの能力についてまとめていきます。

つまり、統合失調症の傾向をもつひとが出現することは、ある社会=集団にとって、どのように作用するのかという問題です。


精神疾患と社会性とSST

精神疾患の症状として「社会性の障害」というものがあります。特に、統合失調症や自閉スペクトラム症/ASDにおいて顕著であるとされています。

あまりにも軽く「社会性の障害」が取り扱われていますが、これはけっこう深い問題なので少し掘り下げていく必要があります。

そもそも、精神疾患にかかると多かれ少なかれ社会性がなくなります。精神疾患の国際的な診断基準では「社会的機能の障害」が必須条件になっているわけです。

逆にいうと、どれだけ激しい精神症状があったとしても、社会的に問題なければ精神疾患とは診断されません。

なので、精神科治療の一貫として「訓練によって社会性を身につけていきましょう」というSST/ソーシャルスキルトレーニングなるものがあります。まずは、あいさつから始めて、みんなと足並みをそろえていきましょうということです。

「足りないものを補う」ってことで、すごくわかりやすくてスジが通っていますし、一定の治療効果はあるようですが、なんというか、目が見えないひとに一生懸命ものを見る訓練をさせているような滑稽さを禁じえません。


戦略としての“ひきこもり”

一方で、社会性の障害があるひとたちが困難な社会的状況に直面すると、それに対処するために“ひきこもり戦略”をとる傾向があります。
 
社会性がなくても個人として生きていける環境が整っている場合は、そこそこ有効な戦略だったりします。

社会性を身につけて集団に所属することは、大きな安心感が得られる反面、所属集団のメンバーから愛されているか嫌われているか、集団における地位が高いか低いか、などなど別の悩みがつきまといます。

それが耐えがたいひとたちは、社会に背を向けて自らが作り上げた世界で生きていこうとするわけです。


愛着とランクの障害 or スペーシング障害

StevensとPriceは進化精神医学にもとづいて、精神疾患についておもしろい理解の仕方を提案しています。



進化の過程でそなわった特性が誤作動した結果として精神疾患を理解しましょうという観点です。

進化精神医学分類図式
うつ病や躁うつ病などの気分障害は、集団のメンバー(インサイダー)として、愛されているか否か/地位が高いか低いか、など「愛着とランク」をめぐる競争と関係しています。

統合失調症や自閉スペクトラム症/ASDは、集団から排除される(アウトサイダー)として、人間関係をつくることや社会集団の一員としてやっていくことに関係している「スペーシング障害」としてひとくくりにされています。

スペーシング障害をもつひとは社会のメインストリームにはなじめないので、その外部に一定の居場所を見い出して生きていくことになります。


フリーライダー/裏切り者をひきずりだせ

スペーシング障害をもつひとは、ひきこもっているわりには社会を憂う傾向があります。やたらと政治経済や社会情勢に詳しかったり、公共心が高かったり、時には政治に物申したりして驚かされます。

生身の社会性が乏しい反面、ある種の社会性は過剰であるというアンバランスさが特徴的です。

また、スペーシング障害をもつひとは、他人に利用されたりダマされたりすることを極度に嫌がるし、他人のウソを見抜くことが得意だったりします。

この特性がエスカレートしすぎて被害妄想に発展してしまうほどに。

これは、統合失調症をもつひとが催眠にかかりにくかったり、SSTを受けると詐欺にひっかかりやすくなったりすることと関係しているかもしれません。

とくに、集団においてコストを払わずに利益だけを得ようとする「フリーライダー」や、味方のふりして敵対集団に利益をもたらしている「裏切り者」に対して、とても敏感で厳しい態度をとる傾向があります。

メディアでバッシングや炎上が過熱する現象です。自分には直接メリットはないのにもかかわらず、いくらコストをかけてでも敵を攻撃することになみなみならぬ情熱を傾けたりします。


妄想はカリスマをつくる

さらに、スペーシング障害をもつ人たちは極端にかたよった考え方を発展させて妄想を抱く傾向があります。

孤立無援の状態であるのにも関わらず、自分には特別な能力や地位があるという幻想を抱くと同時に、他の集団をネガティブにとらえて敵意を抱くようになることがあります。

スペーシング障害をもつ大多数のひとは、妄想をもっていても個人で完結します。せいぜいネットに書き込むくらいで済みますが、言語能力と表現力に優れたひとの妄想は「とんがった思想」として多くの人をひきつけるようになることがあります。

ともすれば、カリスマ的なリーダーとなってフォロワーを引き連れて新しい集団をつくることができるようになるでしょう。


統合失調症の集団分裂促進仮説

StevensとPriceは、「愛着とランクの障害」である気分障害が「個体レベルの競争」に関係していることに対して、「スペーシング障害」である統合失調症が「集団レベルの競争」に関係している可能性を指摘しています。

フリーライダーや裏切り者の割合が多い集団は、他の集団との競争に負けてしまう可能性が高まります。なので、フリーライダーや裏切り者をあぶりだして集団に身を捧げる個体の割合を高め、集団レベルの競争に勝ち抜いていく必要があります。

そのためには、集団が大きくなってフリーライダーや裏切り者の数が増えてくる前に、カリスマ的なリーダーが登場して支配者側の方針に反対し、集団を分裂させなくてはなりません。

そのような役割を担って集団の分裂を促進するために、スペーシング障害をもつひとたちが集団内に一定の割合で出現するようになっているのかもしれません。

このように、StevensとPriceは「統合失調症の集団分裂促進仮説」を提唱しています。


個人の利益と社会の利益は相反する

スペーシング障害は集団レベルの競争において有益な特性だとしても、個体にとってはリスクの高い特性だったりします。社会に背を向けて孤立することで生存率が低下するし、統合失調症を発症する可能性も高まるでしょう。

まさに「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」といったところでしょうか。

ただし、才能に恵まれていったんカリスマ性を身につければ一挙に適応度は高まり、集団による称賛と支持によって精神疾患の発症から守られることになるでしょう。

しかしながら、大多数のひとはこうした成功とは無縁なわけなので、スペーシング障害とどのように向き合っていくべきなのでしょうか?

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