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センセイはASD。



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フラットな人間関係/ヒエラルキーの人間関係

自閉スペクトラム症/ASDのひとは友人関係などフラットな人間関係が苦手だったりしますが、ヒエラルキーにおける上下関係なら比較的うまくやれたりします。

フラットな人間関係はルールが不明瞭でコロコロ変化するので臨機応変な立ち回りが必要になったりしますが、ヒエラルキーの上下関係はルールが明確で固定的かつシンプルなので見通しを立てやすいからです。

最もわかりやすい上下関係と言えば「先生―生徒」の「教える―教わる」関係ではないでしょうか。

たとえば、昔なら「センセイ」と呼ばれる職業である教師や医師のなかにはASDのひとがゴロゴロいたであろうことは、ご高齢の「センセイ」方をみればカンタンに想像できます。

今やどちらとも権威が失墜していて「教えること」以外に何かと対人折衝とかやらなくてはいけなくなっているので、ASDのひとにはちょっと厳しい状況になっています。

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ドラマ「グッド・ドクター」では、わかりやすくそのような状況が描かれていて泣けます。

今でも、伝統的かつ閉鎖的な世界で純粋に学問や技術を教える状況であれば、ASDのひとでもやりやすかったりするでしょう。
センセイ
実際に、パッと見てわかるくらい重めのASDをもっている「エラいセンセイ」はあちらこちらでたくさん観察することができます。


奇妙な形式の講演会

この前、興味深い講演会がありました。

ASDの研究をしている精神科医のプロデュースによるもので、ASD当事者がASDの特性について精神科医向けに講演をするという斬新な企画でした。

しかも、講演の題材として、ASD当事者のひとの体験談ではなく、とある書籍「大人のアスペルガー症候群が楽になる本」(備瀬哲弘)で紹介されているASD事例をとりあげていました。

つまり、ASD研究者のプロデュースによって、ASD当事者が、別のASD事例を題材として、ASDの対応方法について、精神科医向けにレクチャーする、という形式になっています。

ややこしいので図解してみます。
  • ASD研究者/プロデューサー
  • ASD当事者/講師
  • ASD事例/題材
  • ふつうの精神科医/聴衆
こんな講演会は初めてだったのでめちゃくちゃ期待していたのですが、内容は予想を大きく裏切るものでした。


マウンティングはASDの特性か?

ASD事例をざっくり説明すると、とある精神科クリニックの診察室での出来事。分厚い紹介状をもってきたセカンドオピニオンの患者さん(40代男性会社員)が登場します。

精神科医が確認のために病歴をたずねたところ、いきなりブチ切れて怒涛の罵倒が始まります。以下、セリフの一部です。
「繰り返しになるかもしれない」だって!? そうだよ、その通りだよ。繰り返しにしかならないことを答えたってなんの意味もない。

だ~か~らぁぁ、文章をちゃんと読んでいるんだったら、そこに全ての答えは書いてあるだろ!! 何で同じ質問ばかりするんだよ… 

そもそも医者って言うのは、紹介状を出されたらそれに全部目を通して、患者の状態を完全に把握してから診察に臨むもんだろうが! 

どうして全部を理解せずに診察に臨んで、同じことばかり繰り返すんだよ。しかも、こっちが言ってることには全く耳を貸さないし、理解しようともしていないじゃないか。

こっちはできるだけいろんな側面から、アスペルガー症候群というものを理解しようとして複数の医者にかかろうと思ってるんだよ。こんなムダなやり取りのために来てるんじゃないよ!!
あわてて謝罪して弁解してもおかまいなしに罵倒は続きます。何を言ってもすぐさま罵倒されるので最終的には沈黙してしまった精神科医に対して、
「あなたは医者として、精神科医として、まだ十分な力量がないということがわかりました」
と捨てゼリフを残して去っていくというものでした。

講演会には若干名の当事者も参加していて「ホントにこんな医者いるんですね、信じられない!これではどっちが患者かわかりません!」と軽蔑のコメントが寄せられました。

ちなみにこの精神科医はわりと丁寧かつ誠実に対応している方なのですが、、、それはともかく、このケースをASDの特性が現れている事例として紹介しているところにかなり無理があります。

というのも、これは単なるマウンティングであってASDの特性ではないからです。こんなことをしないひとの方が圧倒的に多数派ですし、マウンティングはASDのひとでなくても全人類がやることで、そもそもゴリラでもやる原始的な行為です。

フロアからもASDは関係ないとか二次障害ではないかという意見が出ていましたが、ASD研究者もASD当事者もこれがASDの特性であるという主張を曲げません。

と、前提がおもいっきりズレまくったまま講演会は進行します。

ASD当事者は彼なりに一生懸命考えた理屈で「ASD特性に配慮した対応」をすればトラブルを防げるとレクチャーしてくれます。

ASD当事者はまだ20代の青年で医療関係者でもないので仕方ありませんが、残念ながらどれも机上の空論でした。例えば「(過去の嫌な経験を想起させるため)いきなり沈黙してはいけない」とか。

いやいや、ふたりきりの密室で罵倒され続けたら気の弱いひとは沈黙しても仕方ありません、精神科医も人間なのです。密室でマウンティングをしかけてくるひとを理屈で納得させることなんてそうそうできるものではありませんから。


教育者としてのポジション

マウンティングにASDの特性が現れているわけではありませんが、100歩ゆずってマウンティングの終え方には若干ASDらしさが出ていると考えることが可能です。

ASD事例にとって精神科医は「ASDのことを教えてくれるかもしれない医師」から「教育してあげるべき医師」へ転落します。彼は罵倒によって無力化した精神科医に対して、声量をおさえて諭すような口調で語りかけます。
「そういう面に配慮して診察するのが精神科医でしょう? 理解不足、勉強不足ですよ、あなたは。」
この時点で、ASD事例は精神科医に対して教育者のポジションに立っています。それに満足したかのように事態は終息していきます。

つまり、「教育者のポジションに立つことを目的としてマウンティングが行われた」というところがポイントかもしれません。


講演会のヒエラルキー

ここで興味深いのは、ASD当事者はこのASD事例を紹介することでワンランク高い教育者のポジションに立つことができていました。

そしてさらに、これをプロデュースしたASDの研究をしている精神科医は最も高いポジションに立っているわけです。

この精神科医はいかにも「エラいセンセイ」という感じのひとで、大学や行政機関に就職していて研究活動をメインとしているので実務経験は乏しいのにも関わらず、この場においてはASDの特性をものすごく熟知していることになっていました。

ちなみに、このひとに異論をぶつけてみると「それは定型発達/TDの考え方」なので「ASDのことは理解できない」という前提で返してくるので議論になりません。つまりご自身はASDであるという前提みたいなので、とりあえずASD1としておきます。

ASD当事者は学生時代からASD1に教育を受けてASDの理解を深め、現在はピアカウンセラー(みたいな)活動をされているようです。ASD2とします。

ASD事例はいくつもの精神科を受診されているので、まだ社会との折り合いがつかずに苦悩しながら、なんとかASDの特性を理解しようとしています。ASD3とします。

事例のなかの精神科医や講演を聴いている精神科医はTDであるがゆえにASDの特性を理解できていないとされています。

再び図解するとこうなります。わかりやすいヒエラルキーが形成されています。

↑ ASDを理解している 尊敬される 教育する立場
  • ASD1 ASD研究者
  • ASD2 ASDピアカウンセラー
  • ASD3 ASD患者さん
  • TD  ふつうの精神科医
↓ ASDを理解していない バカにされる 教育される立場


俯瞰の過剰さ

ASDのひと(の一部)は、対象と距離をとって俯瞰でモノをとらえることを好む特性があります。いわゆるメタに立つ視点です。
  • ASD1は、ご自身が直接ASDについて講演するのではなくASD2に講演させました。
  • ASD2は、ご自身の体験よりも書籍で紹介されているASD3を題材にしました。
  • ASD3は、様々な精神科医から意見を聞くことで理解を深めようとしました。
どなたも現実的な問題から距離を置いて俯瞰しようとする行動をとっています。そのような「俯瞰の過剰さ」は、教育者のポジションにつくことによってこそ満たされます。

結果的に、ASD1・ASD2・ASD3のみなさんそれぞれが、教育者のポジションにおさまっているのでめでたしめでたし、と言いたいところですが、俯瞰の過剰は様々なデメリットを引きよせます。

たとえば、とあるTD(ふつうの精神科医)が、ASD3は最終的には罵倒をやめてその場を収めて落としどころを見出そうとしているので、今後は変化したり治療が進展する可能性があるのではないかと、実務家ならではの鋭い指摘をしました。それに対して、ASD1は「あのひと(ASD3)は変わらない」という見解を示して否定しました。

ASD1は俯瞰することによってASDを理解したつもりになっていますが、実際の臨床はカオスなので予想外の変化にあふれています。特に発達障害はバリエーションが大きく可塑性に富んでいるのでしばしば驚かされることがあります。

ASD1のように実務経験が乏しく研究や出版に関心が強い医師は、しばしば硬直的な理論にしがみついて個人の多様性とか変化の可能性を見失いがちだったりすることがあります。

このような現象はしばしばみられるので、次回以降にまとめてみたいです。


コミュニケーション格差と自閉スペクトラム症の増加



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経済格差よりもコミュニケーション格差が重要ではないかと考えられている昨今です。お金がなくてもコミュニケーション能力が高くて友達がたくさんいるひとの方が楽しく幸せな人生を送っていたりするからです。


スクールカーストの世界


実生活において、コミュニケーション格差が容赦なく反映されるところといえば学校、いわゆるスクールカーストの世界です。ひとクラス40人程度の大集団が、教室という狭い空間で、長時間ともに過ごすことによって、自然と序列が生まれます。

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スクールカーストにおける序列の規準は、コミュニケーション能力に一本化されつつあります。この図では、不良とか運動部が上位となっていますが、腕っぷしやスポーツよりもコミュニケーション能力の方が重視されるようになってきています。

自己主張ができて、場の空気に即応して話題提供ができて、周囲のひとを楽しませることができれば、クラスにおいて存在感を発揮できるようになります。

子どもにとって、クラスにおける存在感があるかないかは死活問題で、いったんカーストの序列が決定されると、「キャラ」が固定されて、容易に抜け出せなくなってしまい、いじめの温床になったりするからです。

こうなってしまえば、年に一度のクラスがえや転校をすることでいったんリセットするしかありません。







このバトルロワイヤル状況をサバイバルし、楽しい学校生活を送れるかどうかは、コミュニケーション能力にかかっているといっても過言ではありません。

このあたりの事情は、理屈よりも優れた映画や小説にふれる方がより実感できるし、とてもよい作品としてもおすすめなので、参考までにご紹介します。

桐島、部活やめるってよ
主演:神木隆之介
2013-11-26


12人の悩める中学生 (角川文庫)
木堂 椎
角川グループパブリッシング
2008-07-25




コメディアンの地位向上


コミュニケーション能力が高いひとたち、といえばコメディアン・お笑い芸人です。その頂点を極める北野武と松本人志はまさに天下をとっているといえます。風体もまさにボスじみてきています。

ちなみに海外ではコメディアンが政党をつくって選挙で躍進してたりします。下位の者が上位の者に対して媚びる表情と仕草が笑いの原型である説があったりして、コミュ力があって笑いのとれる者がひとの上に立つのは必然なのかもしれません。


企業の人材採用規準

企業の人事部で働いているひとに、採用面接でドコを重視するかをインタビューしてみると、「会話のキャッチボールができるかどうか」をみるらしいです。こちらが望んでいるところへ正確に球を返せるかどうか。噛み合わないところがあると、落とされてしまうみたいです。

企業において、集団で協力して効率よくプロジェクトを成功させるには、相手の考えに合わせて柔軟に対応できるしなやかさが要求されるということです。コミュニケーションの不具合は営利企業にとってはコストになってしまうので致し方ないというわけでしょう。

同窓会で高校の同級生に会ってみても、コミュニケーション能力が高くて笑いのとれるひとほど出世しているようでした。論理数学的能力よりも重視されているのでしょう。


自閉スペクトラム症の流行
自閉症の増加

自閉スペクトラム症は脳の器質的な障害なので、自然に増えることは考えにくいのにも関わらず、こんなに増えているということは、自閉スペクトラム症のひとたちが生きにくい世の中になってきていることを反映していると思います。

「自閉スペクトラム症と猿山の関係について」でも触れたように、学校におけるスクールカースト、企業における人事採用規準などなど、自閉スペクトラム症のひとが苦手な能力を要求されるという不利な状況が増えているということでしょう。


発達障害の特性をレーダーチャートで一望する



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MSPAレーダーチャート

MSPA(Multi-dimensional Scale for PDD and ADHD)

発達障害の特性をレーダーチャートで一望できるアセスメントツール『MSPA(Multi-dimensional Scale for PDD and ADHD)』を開発した船曳康子先生の講演を聴きました。MSPAは実際に支援の現場で問題となる発達障害の症状14項目を9段階で評価し、レーダーチャートで表現するものです。
DSM5との関係
  • DSM5から発達障害の下位分類が撤廃されたかわりに重症度分類が導入された。
  • MSPAのスコアリング3-4-5はそれぞれDSMの重症度分類Level1-2-3に対応しているので便利。

下位分類との関係
  • MSPAでデータを集めてまとめてみると、PDDNOSとADHD不注意型はほとんど同じような形のチャートになった。
  • というわけで下位分類の意義は乏しいかもしれない。論争しても無意味かもしれない。

知能指数IQとの関係
  • IQが高ければ、スコアリングの3点くらいまでは代償できるので見守りでOK。
  • IQが低ければ、積極的に支援を導入するなど将来予後を予測できる。 
  • 得意分野を把握しておくことも重要。

発達障害アセスメントの煩雑さ


発達障害のアセスメントは各機関によって多種多様で、だいたいレポートが読みにくいのです。ダラダラダラダラ長文で記述されていて情報が雑多です。しかも評価者が主観的だったりするとそれはもう大変で、情報をひろうのにひと苦労するわけです。この煩わしさが発達障害の難しさの大部分を占めてる気すらしてます。

これまで自分なりにアセスメントの書式を工夫してみたりしたのですが、MSPAのように視覚的に一望できるレーダーチャートはとても便利だと思うわけです。


診断が先か、支援が先か

船曳先生はもともと内科医で、発達障害の専門外来の予約が2年待ちだったりする現状を憂いて急遽コレを開発したそうです。医療機関へ受診して診断されなくても、現場でできる支援があるハズなので先にやってしまおうということみたいです。

実際に支援の現場では、そのひとの特性に合せた支援が診断よりも先に行われていることは珍しくありません。とある就労支援施設では「このひとはうつ病の診断なんですがこちらでは発達障害として支援してます」ってこともしばしば。


統合失調症と発達障害、診断ー治療の差異について

統合失調症を診断する時、精神科医は確固たる疾患単位を想定し、症例をそれに寄せて診断します。そして統合失調症という診断名は即治療を意味します。現在は通院でも治療が可能になっていますが、昔だったら即入院なわけです。 

一方、発達障害は医師が診断を下したところで事務手続き上の意義しかなかったりします。健常者からなめらかに連続するスペクトラムだし、ひとりの患者さんのなかでも複数の診断名がオーバーラップしたりするし、実際に支援が必要な特性は同じ診断名でも違っていたりするので、患者さんそれぞれの特性をアセスメントすることが必要になります。

前回の記事で紹介した十一先生的なスプリット診断は、疾患理解のためには重要で精神科の従来診断とも相性がよくて受け入れやすいのですが、それ単独では実用性という点ではやや不十分だったりすると思います。   


統合失調症と固有名・発達障害と確定記述

ここで唐突に以前の記事で紹介した固有名vs確定記述の話に寄せて考えてみると『統合失調症は固有名の疾患であり、発達障害は確定記述の疾患である』と言えるかもしれません。

患者さん自身も、統合失調症のひとは固有名というか象徴的なものにこだわりがちで、発達障害のひとは確定記述というかデータベースやスペックにこだわりがちな傾向にあるという対応があっておもしろいなあと思っている次第です。



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