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ライジングサン

あけましておめでとうございます。2019年はひきこもり関連のニュースがメディアで多くとりあげられていました。ぼくもひきこもりのケースに関わることが多かったり、ひきこもりの支援者向けに講演をすることがあるので、これを機会にまとめてみようと思います。

ひきこもりの権威である精神科医の斎藤環は、ひきこもりのひとを強制的に処遇する業者を痛烈批判しています。また、そのような業者と連携している精神科病院/成仁病院の精神科医は「犯罪者」であり、資格を剥奪されるべきであると言っちゃうくらいヒートアップしています。

TwitterなどのSNSで影響力を行使しようとするインフルエンサーっぽいひとは、だんだんと情熱にまかせて極端にトンガッたことばかりをつぶやくようになるので冷静に観察することが必要です。

斎藤環による成仁病院の精神保健指定医批判

ネットメディアでは、正義の精神科医・斎藤環 VS 悪徳業者&悪徳精神科病院という極端な構図になっているようですが、当然のことながら事態はそれほど単純ではありません。

というわけで、まずはひきこもりの定義をみてみましょう。


ひきこもりの定義

厚生労働省の「ひきこもりの評価・支援に関するガイドライン」による、ひきこもりの定義です。
  1. 長期間(6ヶ月以上)社会参加をしていない
  2. 精神病が直接の原因ではない
1の社会参加とは、就業・就学のほかに、趣味的な交遊もふくまれます。つまり「友だちのいないニート」です。

問題は2です。統合失調症などの病状によっては、ひきこもりの状態になってしまうことがあります。そもそも「社会的ひきこもり」は統合失調症の症状のひとつがオリジナルです。

つまり、「統合失調症などの精神病によってひきこもりの状態にあるひとは“ひきこもり”ではない」という「ねじれ」があります。統合失調症のイチ症状である「ひきこもり」がオリジナルよりも有名になってしまっているわけです。

とはいえ実際問題として、統合失調症をひきこもりから除外できているかといえば、あまりできていないのが現状です。


ひきこもりのなかの統合失調症

内閣府・ひきこもり新ガイドラインについて(講演録)/齊藤万比古[PDF]によると、ひきこもりの相談窓口を訪れる人たちの中に10%弱くらい、診断・治療をされていない統合失調症が含まれていることが指摘されています。ぼく自身の臨床経験でもそのくらいの割合が妥当であると実感しています。

統合失調症などの精神病にかかってしまうと多かれ少なかれ「ひきこもり」の状態になってしまうし、そのまま放置しているとさまざまなリスクが生じるので、早急に薬物療法はじめ医療による手当てが必要になるわけです。

ひきこもりの中には約10%統合失調症のひとが含まれていて、診断がついて治療を導入すれば比較的すみやかに回復するという事実があります。これは、精神科救急などの実務をやっている精神科医にとっては常識なのですが、世間では意外と知られていなかったりします。

医療福祉関係者でさえ、ひきこもりと統合失調症の関係について説明するとビックリされることがあります。「え?ひきこもりがクスリで改善こともあるんですか!?」と。

統合失調症には(特効薬ではないものの)治療薬はあるので、統合失調症による「ひきこもり」には薬物療法が有効です。

つまり、ひきこもりの定義では、あらかじめ統合失調症のひとは除外されていることになっているために、まるで「統合失調症によるひきこもり」は存在しないことになっていることが問題なわけです。

統合失調症は軽症化しているからそのうち無くなるんじゃないの?って、のんきなことを言う精神科医が多くなりましたが、そんなに急激に精神疾患の概念が変化するわけがありません。クリニックで軽症のケースばかりをみている精神科医と、救急で重症なケースをみている精神科医とでは、かなり温度差があったりします。


精神科医がひきこもりに関わるべきたったひとつの理由

その一方で、さらにややこしいことに、逆にもともと精神面が健全であっても、長期間ひきこもりの状態でいると、精神状態に不調をきたすことがあります。



もともとなのか、二次的なものなのか、にわかにはわかりにくい状態はあるのですが、生活の歴史をひもといて情報収集すれば、経験を積んだ精神科医であればだいたい判別できたりします。

精神科医療の観点からまとめると、ひきこもりという枠にくくられているひとのなかには、ざっくり分けて3種類のパターンがあります。

 A  統合失調症などの精神病によって、ひきこもっているひと
 B  長期間のひきこもりの結果、精神状態が悪化しているひと
 C  長期間ひきこもっていても、精神状態が健全なひと

まず、Aは完全に精神科医療マターなので、精神科医療でなんとかしないといけません。Aのケース、たとえば統合失調症などの精神病で病状が悪くなると、いわゆる「自分が病気であるという感覚=病識」がなくなることが多いため、自分から治療を受ける可能性が低くなるので、場合によっては強制的な治療導入が必要だったりします。

というのも、統合失調症などの精神病は未治療の期間が長期化すればするほど回復しにくくなったり、身体面のトラブルや自殺のリスクがめちゃくちゃ高かったりするからです。

Bも医療的なサポートがあった方がよいので、精神科医療は責任の一端を担いつつ、さまざまな業種と協力してサポート体制をつくることが必要です。Aとは違って、ゆっくりと時間をかけて関わればよいケースです。

Cはひきこもっている本人への医療的なサポートは必要なかったりしますが、周囲のひとが困って相談に来る場合があります。

まとめると、(誰でも関わることができる)ひきこもりという問題に対して、精神科医が関わるべきたったひとつの理由は、統合失調症などの精神病を確実に診断して、ひきこもりから除外する必要があるからです。


ひきこもりの医療化と脱医療化

しかし、精神科医である斎藤環はAについては多くを語らず、もっぱらBについて饒舌に語っています。

これはおそらく、精神医学的に重症のケースが少なくて比較的のんびりした病院で勤務されていたのでしょう。精神科救急の実務経験をあまりお積みになられていないのかもしれません。

また、「ひきこもり」を精神科医として治療の対象であると定めながらも、その中身は精神科医じゃなくてもできることばかりを語っています。いったん医療のターゲットにしながらも、医療的な方法はほとんど使わない「医療化しつつ脱医療化する」という「ねじれ」があります。

とはいえ、たとえばかつて「うつ病」も社会的救済のために医療化されてきた歴史があったりするので、これは決して悪いプロセスではありません。




ひきこもり支援の建前と実際

しかし実際のところ、精神科医の多く(とくに精神科病院の勤務医)は主にAのケースに対して関わっています。BまたはCのケースに関わっているのは、(ぼくを含め)物好きな一部の精神科医でしかありません。

Aのケース、つまり統合失調症などの精神病をサポートするために、精神科医療にはさまざまなリソースとシステムが与えられ、精神科医には権限が与えられているので、役割としてやりがいがあるのは当然です。わざわざややこしくてねじれたBとかCのケースに関わりたいと思うひとは少なくなるし、精神科医でなくてもできることなので、当然のことながら民間業者が参入してくるわけです。

つまり、ひきこもりは建前として精神科医療がサポートするべきであると定められていても、実際には精神科医がほとんど関わっていないので、適切に診断されることなくABCの分類が曖昧でいっしょくたになったまま、精神医学的知識の乏しい行政機関や民間業者によってなんとなくサポートされている、という現状があったりします。

そのような状況で、斎藤環はひきこもりのひとは全肯定されるべきで「胸をはってスネをかじれ」と呼びかけていたりしますが、適切な精神医学的診断と治療がなされないまま、このような見解が独り歩きするのは非常に危険です。

たとえば、かなり重い統合失調症をわずらっているひとが、適切な医療を受けることなく状況が悪化しているなか、ひたすら“ひきこもり”としてサポートされて「胸をはってスネをかじれ」をやり続けた結果、とりかえしがつかなくなってしまっている事例はめずらしくありません。

というわけで今回は、正義の精神科医・斎藤環 VS 悪徳業者&悪徳精神科病院という極端にシンプルな図式について、精神病のケースを除外するという前提なしに斎藤環の見解が流通してしまっているのは問題ですよ、という話でした。

次回はひきこもり支援をしている民間業者について考えていきたいと思います。