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以前の記事(ASDをもつひと同士は共感しやすいのか?)では、自閉スペクトラム症(ASD)をもつひと同士、定型発達(TD)のひと同士、つまり似たもの同士は共感しやすいということについて書きました。

では、ASDをもつひととTDのひと、違うタイプのもの同士が共感し合うにはどうすればよいのでしょうか?

一般的にはASDのひとへの対応方法として
  • 視覚化しましょう。
  • 見通しを立てましょう。
  • 具体的に説明しましょう。
などなどよく聞くフレーズが念仏のように繰り返し語られたりしていますが、このような対応はASDの理解を深めることはありません。かといって、難しい本を読んで思弁的かつ文学的なややこしい表現を追いかけても疲れるだけだったりします。

というわけで、最近たまたま読んだ保育の本にヒントが書いてあったので紹介します。

共感―育ち合う保育のなかで
ミネルヴァ書房
2007-05-01


目次
1 人間発達の軸としての「共感」…佐伯 胖
2 「共振」から「共感」へ―乳児期における他児とのかかわり…須永美紀
3 「共に」の世界を生みだす共感―自閉傾向のある子どもの育ちを支えたもの …宇田川久美子
4 保育の場における保育者の育ち―保育者の専門性は「共感的知性」によってつくられる …三谷大紀
5 「対話」が支える子ども・保護者・保育者の育ち合い―多様な他者が共に育ち合う多声的な「場」…高嶋景子
保育の本って初めて読んだのですが、どれもおもしろかったのでオススメです。このなかで、宇田川久美子による第三章 “「共に」の世界を生みだす共感―自閉傾向のある子どもの育ちを支えたも” に、ASDをもつ幼児とTDの著者が共感するまでの長い道のりが丁寧に記載されていて、臨床経験からもうなずける内容が多くてとても勉強になります。


物理的変化そのものを味わい楽しむ

物理的変化を楽しむ

ASDをもつ子どもは、流れ落ちる砂、海辺の波、流れる水、焚き火の炎、床屋の回転灯、洗濯機の動き、電車の窓から流れる風景などなど、あきもせずにずっと眺めていることがあります。

彼らは「物理的変化」そのものをダイレクトに味わい楽しむ感覚をもっています。一方、TDの子どもは「物理的変化」に対してすぐになんらかの意味づけをしたりストーリーをつくったりする傾向があるので、一緒に楽しめずに孤立化する要因になります。これは中心気質っぽい特性だと思うのですが、それはさておき。。。

ここで宇田川は「子どもを見ること」から「視線の行く先を見ること」を重視することを提案します。つまり、ASDをもつ子どもそのものよりも、子どもの視線のその先にスポットライトを当てるべきであるということです。


ASDをもつ子どもを模倣する

ASDをもつ子どもが執着しているモノに、支援者自身が没頭してみること。つまりASDをもつ子どもを模倣してみることをすすめています。ASDをもつ子どもになりきって支援者自身も物理的変化を楽しみます。

この段階では、支援者自身はモノに一体化しているのでほぼ道具みたいな存在になっています。ここでは「クレーン現象」がみられたりします。

そして、《子どもーモノ》の二項関係と《支援者ーモノ》の二項関係がシンクロしていると、だんだんASDをもつ子どもは「共に」という感覚を感じとるようになり、それを求めるようになります。

ASDをもつひとは一般的に孤独を好むように思われがちですが、お祭りムードとか盛り上がっている雰囲気自体は嫌いなわけではありません。むしろ、その場のバイブスとかグルーヴを人一倍楽しんでいたりします。


特別な道具的存在〜相互模倣まで

「共に」物理的変化を楽しむ経験を重ねることでふたりの関係に変化が生じていきます。物理的変化の延長であり道具的存在にすぎなかった支援者に対して、ASDをもつ子ども自身が模倣をしかけるようになります。相互模倣です。

模倣によって相手とシンクロして共に感覚を楽しむことは群れを形成すること、すなわち共感の起源ではないかと考えられます(共感の起源としての群れ/共感を媒介するオキシトシン)。

その他大勢と同じように道具的存在だった支援者は、特別な道具的存在に格上げされていきます。

この時点で、原始的な情動的共感(EE)は達成されているけれど、相手の意図を理解する認知的共感(CE)はまだ始まっていない段階です(共感のバランス)。

では、ASDをもつ子どもにおいて、CEはどのように達成されていくのでしょうか?


2段階の共同注意/表層模倣から深層模倣へ

「共同注意」は、同じターゲットを一緒に見ること、指差しによって相手にターゲットを示すこと、など他者と協力するための基礎的能力であると考えられています。ちなみに、チンパンジーやオオカミよりもイヌの方が優れているとされています(オオカミの社会性、イヌの定型発達症候群)。

ヒトでは通常生後9ヶ月頃には共同注意ができるようになります。ASDをもつひとはこれがなかなかできないので早期診断のポイントだったりします。そして、生後14ヶ月になると共同注意によって相手の意図を理解できるようになります。つまり共同注意はCEを達成するためにも不可欠な能力であると考えられます。

共同注意には表層模倣によるものと深層模倣によるものの2段階があります
  1. 表層模倣 相手の動作を表面的にマネること
  2. 深層模倣 相手の意図を理解してマネること≒CE
たとえば、TDの子どもたちが粘土細工を料理にみたてて遊んでいるなかで、ASDをもつ子どもは粘土そのものの物理的変化を楽しんでいます。TDの子どもたちは自分たちの作品を「見て」とアピールし、大人の反応を楽しんでいます。ASDをもつ子どもも「見て」というアピールを模倣しますが、大人の反応には全く関心がないようです。とりあえず「見て」という手続きをするという表層模倣の段階です。

ASDをもつ子どもは表層模倣によってなんとか「共に」楽しむことができるようになっていますが、深層模倣がなかなかうまくできません。両者のミゾを埋めるためには何が必要でしょうか?


物理的変化>意味づけ>視線の変化

宇田川の観察によると、流れ落ちる砂の感触を楽しんでいるだけだったASDをもつ子どもが、砂の塊を指して「お山」とアピールするようになった瞬間をとりあげています。宇田川が「本当だ。お山ね。高いわね。」と反応すると満足した表情を浮かべました。

この動作には、自分の作品をアピールするために共同注意をうながす「意図」が組み込まれているので、深層模倣が達成されていると考えられます。

ASDをもつ子どもの視線は、「移動する砂/物理的変化」から「移動した先の砂山/意味づけされた状態」へと変化しました。砂遊びという同一の動作が、視線の変化にともなって「砂の移動」から「山づくり」へと変化しています。
  • 「ある動作」にはその動作を生み出している「目的」があること
  • 「目的」によってその「動作の意味が異なる」こと
  • 「目的」の違いによって「異なる行為」になること
  • 「異なる行為」を生み出す「視線」があること
  • 「視線」の背後には行おうとしている「意図」があること
などを経験します。これらがつながることで他者との意図の共有は可能になるのです。
また、物理的変化に対して言葉をそえる「意味づけ」が行われたことによって、ASDをもつ子どもの世界は他の子どもたちに開かれて、共に楽しむことができる遊びになっていきます。


ASDをもつ子どもと共感するためのプロセス

ASDをもつ子どもがCEに至るまでの長い道のりをざっとまとめてみます。
  1. ASDをもつ子どもになりきる
  2. お気に入りの道具的存在になる
  3. 道具的存在にも意図があることを示す
  4. 共同注意を通じて模倣を深化させる
  5. 物理的変化に意味づけを与える

① ASDをもつ子どもになりきる

まずは、支援者がASDの子どもになりきることから始まります。自らの身体を相手に投げ出して道具みたいな存在になって、大好きな物理的変化を共に楽しみます。

② お気に入りの道具的存在になる

共に楽しむ経験を通して、支援者と身体感覚レベルでの共感(EE)が成立し相互模倣が始まります。この関係をベースとして共感を発展させていきます。発展しなければ支援者は単なる便利な道具で終わってしまいます。熱心な支援者のなかには、道具的な存在のまま2人きりの世界にいつまでも閉じこもり続けることがあったりします。

③ 道具的存在にも意図があることを示す

支援者自身が「意図」をもった存在であること示し、いつでも便利に使える道具ではないことを経験していくために、ときには要求を突っぱねることも必要です。

④ 共同注意を通じて模倣を深化させる

共同注意を模倣することは相手の意図を感じられるようになるための近道です。

⑤ 物理的変化に意味づけを与える

これによって、ASDの子どもの遊びは、他の子どもにも理解できるように開放され、共有することができるようになります。


生身の身体を利用したシュミレーション

TDのひとは、脳内で「意図をもった他者」を想定してシュミレーションを行っていますが、ASDをもつひとはこれがなかなかできません。宇田川は、自らの身体を登場させて道具的に利用させるという手段をとりました。これはなかなかマネできることではありません。

その結果、TDが脳内で行う仮想的なシュミレーションを、現実世界に展開して物理的かつ具体的に再現することができるようにしたわけです。ちょうどソロバンをつかって計算するように。

TEACCHなどでは、発達障害の特性にあわせて環境をコーディネートすることが重要であると言われていますが、支援者自身も環境の一部として物理的構造化に寄与していくという視点を導き出せるのではないかと考えています。