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ASDをもつひと同士は共感しやすいのか?

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共同作業によってシンクロする脳

MRIはひとりで測定するものだと思っていたのですが、最近は2人の脳機能を2台のfMRIで同時に測定する実験ができるみたいです。
2個人同時計測MRI研究
それによると、2人で共同作業をしているときに、シンクロして作動する脳部位(右下前頭回)が特定されましたが、ASDをもつひととペアを組むとシンクロが起こらなかったようです。

やはりASDのひとは「共感が苦手」なのでしょうか?


ASDをもつひとは共感が苦手?

共感には認知的共感(CE)と情動的共感(EE)という2種類のシステムがあります(共感のバランス)。

ASDをもつひとは共感が苦手なことになっていますが、あまり表現しないのでわかりにくいだけで、CEは苦手でもEEはできたりします。

CEできるようになるためには、他者の視点に立って、他者の気持ちを理解することが必要になります。つまり「心の理論(ToM)」のサリー・アン課題です。
サリーアン課題
ASDをもつひとが理解しにくいこの物語を、CE/ToMのくくりではなく、情報を認知して意志決定するまでのプロセスとして考えてみます。


時間情報より空間情報を優先する傾向

サリーの視点に立ってサリーの気持ちを理解するためには、この物語における時間と空間を正しく把握しなくてはなりません。

物語の時間情報として重要なのは、
  1. サリーが去っていなくなる
  2. アンがパンを箱に入れる
という部分です。ASDをもつひとは、この時間の流れよりも「アンがパンを箱に入れた」という空間情報にもとづいてサリーの視点を取得してしまうので、「サリーは箱からパンを取り出そうとする」と考えてしまいがちです。

時間情報は変動しますが、空間情報は固定されているので、ASDをもつひとは後者を優先して認知し、意思決定の根拠にする傾向があります。

また、ASDをもつひとは、昔のイヤな出来事がとつぜん鮮明に思い出されてパニックになってしまう「タイムスリップ現象」が知られていますが、これも時間情報よりも空間情報を優先するためではないかと考えられています。

ここからASDをもつひと(の一部)にみられる、
  • 時間の流れと共にある「聴覚」よりも、空間を把握する「視覚」を優先する
  • 時間的な「見通し」を立てることが苦手
  • まるで高解像度カメラのように詳細な空間把握をする
などの特性が説明できたりします。

つまり、ASDをもつひとも「心の理論」が欠けているために共感できないのではなく、他者を理解するためのプロセスが特徴的であると言えるでしょう。


類は友を呼ぶ/類似性仮説

とすると、他者を理解するためのプロセスが共通しているASDをもつひと同士ならば共感しやすいのではないでしょうか?

教育学博士の米田英嗣は「類似性仮説」を提唱しています。
Perceivers empathize with targets similar to themselves, which facilitates subsequent cognitive processing.


研究では、ASDをもつひとはASDっぽいエピソードの記憶をスムーズに呼び起こすことがわかりました。

自分と似ている人物に共感することで認知プロセスが促進されて自動的に理解が進んでいくのではないかと。逆に、自分とは異なるタイプの主人公に対しては、認知プロセスが抑制されて分析的に理解しなければならないのではないかと。

似た者同士と違う者同士では、異なる脳部位のシステムを使って理解しているかもしれなくて、似た者同士は素早く認知されて自動的に理解がすすむのではないかというわけです。


一面的な理解から多面的な理解へ

かつて、ASDをもつひとは自己意識(自分と他人を区別すること)が低下しているとか、自己準拠効果(自分にあてはめて記憶すること)がないとされていました。

ASDの理解を深めるためには、ASDと定型発達(TD)との隔たりをいかに見つけていくか、ということも重要なのですが、エスカレートしすぎると一面的な理解と対処法が提示されてしまいがちです。

一方で、発達障害をもつひとの特性とか症状は、環境や状況によって大きな影響を受けてダイナミックに変動するので一面的な理解と対処法は役に立たなかったりします。

類似性仮説によって、ASDをもつひと同士であれば互いに自己意識をもって自己準拠効果を発揮する可能性が示唆されたことは画期的で、ASDの多面的な理解につながるかもしれません。


ピア・サポート/当事者研究の可能性

同じ障害をもって悩んでいる者同士が集まって、自助グループやピア・サポートをするのが効果的なのは、お互いが共感しやすいし、同じ目線から放たれる言葉には説得力があるからです。

過去に弱い立場になったことがあるひとや、身近に障害のある方がいるひとは優れた共感能力を発揮して優秀な援助者になることがあります。

また、最近は優れた当事者研究がたくさん出版されていて、当事者ならではの生々しい記述や独特の視点、障害のとらえ方など、とても勉強になります。

ただ、「当事者だからよくわかる」から「当事者じゃなければわからない」ということになるのは行き過ぎていて、想像力の敗北だと思うのであまり賛成できません。


「類は友を呼ぶ」から「分断」が始まる

ASDをもつひとたちのコミュニティでは「定型発達症候群」という考えがあります。
定型発達症候群
ASDをもつひとにとっては、TDのひとこそが非典型的でヘンだとされたりします。

いったん分割線が引かれて2つの集団が生まれてカテゴリー化されていくと、それぞれが独自の文化をつくるようになります。その結果、異なる集団に対して敵対心を抱くようになるという厄介な習性がみられるようになります。

傷ついたひとたちが集まって自助グループやピア・サポートが組織されて回復のキッカケになることはすばらしいことだと思うのですが、均質な集団はしばしば外部に対して攻撃的になってしまいます。

「当事者のことがわかるオレ、最強!」ということで、やたらと無茶な要求をしてくる自助グループのひとがいて困ることがあったりします。でも、最もタチが悪いのは、自分は安全なポジションで高みの見物をしながら、分断を煽っておもしろがってるひとなのですが。


それはさておき、ここから先は「異なるタイプのひと
同士の間で、いかに共感と理解が可能になるか」ということが問題になってくるので、いろいろ調べていきたいと思います。

共感のダークサイド

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ダークサイド・ムーン
いいことずくめのようにみえる共感にもダークサイドがあるようです。



共感の時代?

共感の時代へ―動物行動学が教えてくれること
フランス・ドゥ・ヴァール
紀伊國屋書店
2010-04-22





動物行動学者のフランス・ドゥ・ヴァールは、チンパンジー社会でも観察できる共感能力が、ヒト社会において薄れているのではないかと危惧しています。「競争こそが進化の本質であり人間のあるべき姿である」という『利己的な遺伝子』に開き直って利益のみを追求する「強欲なアメリカ的資本主義」を「共感欠如の病理」として批判しました。

あまりピンとこないんですが、これは現代においてリアリティーのある指摘でしょうか?

むしろ今や「共感」は絶対的な善であり神聖なモノとして祭り上げられているのではないでしょうか?たとえば、【これはひどい】というタグのついた共感を呼びおこすエピソードは、インターネットを通じて世の中を席巻しています。

そもそも『共感するロボットを設計すること』でみてきたように、「共感」はひとつの「機能」であって、それ自体はニュートラルなものです。使い方次第で良い面も悪い面もあらわれてくることがあるので、そこに価値観を持ち込む必要はありません。

また、「共感欠如の病理」があるのと同時に「共感過剰の病理」も存在していて、精神科臨床ではどちらかといえば後者の方がやっかいな問題だったりします。


精神科医の仕事は共感すること?

一般的に、精神科医は「共感」することが仕事だと思われています。確かに共感することは診療の第一歩として重要ですが、それだけでやっていけるわけではありません。

むしろ逆に、共感能力はあらかじめ誰にでも備わっているものなので、精神科医になってからは共感のスイッチをオフにするトレーニングが必要になったりします。

よく「患者さんに影響されて“うつ”になったりしませんか?」と心配されたりするんですが、共感をずっとオンのままにしていたら身がもちません。いつまでも患者さんに共感しすぎて右往左往ふりまわされている医師は一人前であるとみとめられることはありません。

患者さんに共感しすぎてしまうと冷静さを失って客観的にみれなくなるため適切な判断ができなくなるリスクが高まるからです。なので、医師は自分の家族が病気になったら別の医師に診てもらいます。たとえば、かつて天才と呼ばれていた高名な精神科医は、妻が精神科疾患を発症していることに気づくことができませんでした。研修医でも診断できるほどに病状が進んでいたにもかかわらず、です。

加えて、精神科疾患には境界性人格障害、解離性障害、依存症などなど「安易に共感されることで悪化する病態」がたくさんあります。

また、メランコリー親和型性格や過剰適応といわれるひとたちは、他人に対して過剰に共感してしまうことで消耗し、病状が悪化することがあります。

つまり、医師と患者さんの関係のみならず、患者さん自身にとっても「過剰な共感」によって失われるものは大きいわけです。


共感によって失われるもの

反共感論/Against Empathy というおもしろい本があります。共感を無条件に称揚する風潮に対するアンチテーゼなのですが、安易にサイコパスを称揚したりする本ではありません。共感のダークサイドをまとめつつ、バランスのよい批判を展開しています。
もちろん共感には利点がある。美術、小説、スポーツを鑑賞する際には、共感は大いなる悦楽の源泉になる。親密な人間関係においても重要な役割を果たし得る。また、ときには善き行ないをするよう私たちを導くこともある。

しかし概して言えば、共感は道徳的指針としては不適切である。愚かな判断を導き、無関心や残虐な行為を動機づけることも多い。非合理で不公正な政策を招いたり、医師と患者の関係などの重要な人間関係を蝕んだり、友人、親、夫、妻として正しく振舞えなくしたりすることもある。私は共感に反対する。本書の目的の一つは、読者も共感に反対するよう説得することだ。

反共感論―社会はいかに判断を誤るか
ポール・ブルーム
白揚社
2018-02-02


以前とりあげたように、共感には大きくわけて情動的共感と認知的共感というふたつの異なるシステムがあります(共感のバランス)。

認知的共感のダークサイドとして、
「認知的共感」は、善きことをなす能力として過大評価されている。つまると ころ、他者の欲望や動機を正確に読み取る能力は、上首尾の〔警察に捕まっていない〕サイコパスの特徴でもあり、残虐な行為や他者の搾取に利用し得る。
と、軽く触れていますが、この本で問題としているのはおもに「情動的共感」についてです。

共感の機能には「限局性」という特徴があります。同時に共感できる相手はせいぜい数人で、たくさんのひとたちに対して同時に共感することはできません。つまり、共感はスポット・ライト的に作用するので、視野が狭くなってしまい、しばしば道徳的な判断を間違えることになります。

たとえば、最近みた映画『デッドプール2』と『万引き家族』。どちらもすばらしい作品なのですが、共感のスポットライト作用が存分に発揮されています。

『デッドプール2』では、虐待を受けていた14歳の少年を救うために、とある組織の構成員を主人公たちが殺しまくります。

『万引き家族』では、これまた虐待を受けていた4歳の女の子を救うひとたちが、犯罪を繰り返していたりします。

どちらとも虐待されている子どもが登場して、あまりにもかわいそうな場面をみせつけられるので、観客は思わず感情移入してしまいます。その結果、子どもを救う側のひとたちが悪に手を染めることは、もはやどうでもいいことのように思えてしまいます。

現実でもこのような事態は枚挙にいとまがありません。冷静に考えるとこれはとても危険なことで、過度な共感は道徳的な判断をするときには有害であることが指摘されています。


共感に抵抗することがむつかしい理由

著者のポール・ブルームは、共感に抵抗するために「理性の力」を重視しています。しかしこれはとても困難な道のりです。

『共感の起源としての群れ/共感を媒介するオキシトシン』でみてきたように、共感という機能は生物が群れをつくる能力から脈々と受け継がれていて、脳の報酬系はいまだに共感ベースで作動しています。つまり、共感にもとづいて行動を起こすことで脳はキモチイイというシグナルを発してしまうのです。

さらに、ツイッター等のSNSを介して共感を瞬時に増幅・拡散させることがインターネットによって可能になっています。

情動的共感は扁桃体を介して作動することに関連して、反共感論の訳者である高橋洋氏は、『ツイッターはインターネットの扁桃体』と指摘しています。

このように、脳から社会インフラのレベルまで浸透している共感というシステムに対抗することは難しいのではないかと思ってしまいます。なにか別のシステムを想定することで、乗り越え可能なのかどうか、これから考えていきたいです。

ところで、他人に共感することが苦手な自閉スペクトラム症のひとは、ルールに沿って公平な判断をするため、普通のひとよりも道徳的である場合が多いことが知られています。

案外その辺がヒントになるかも知れません。

共感するロボットを設計すること

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ロボティクスによる発達の理解

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共感の起源としての群れ/共感を媒介するオキシトシン)より、共感というシステムは生物種を越えて拡張可能であるということが示されましたが、もしかしたらロボットでも可能になるのではないでしょうか?

というわけで、人工的に共感するロボットを設計するというおもしろい試み「情動発達ロボティクスによる人工共感設計に向けて」があるので紹介します。

発達心理学の知見を参照してロボットを設計するして、その過程で得られた知見によってさらに発達のメカニズムがより深く理解できるようになるのではないか、という考え方です。

興味深いのは、設計者がロボットの脳に直接プログラムを書き込んでいくのではなく、ロボットと人間との身体的な接触を通じて得られたデータを元にして、ロボット自身が能動的に学習してプログラミングしていくという方式をとっているところです。

つまり、ロボットの赤ちゃんにも母親役が必要みたいです。


ロボティクス(ロボット工学)という思考法



「理学」は「どうなっているのか」を探求する学問で、「工学」は理学をベースとして「どうしたら実現できるか」を探求す学問です。

工学の考え方は「とりあえずやってみないとわかんない」というノリなので、実践の積み重ねによって帰納的に試行錯誤を重ねて理解を深め、少しずつ解決に近づいていくアプローチをとります。

この考え方は臨床医学に通じるところがあります。

発達心理学や精神分析は「かくあるべし」という考え方になりがちで、ともすれば独善的になったりします。実際の臨床現場ではひとりひとり複雑な事情がからんでいて一般化しにくく、知識が役に立たないことが多かったりします。

単純に独特の表現や用語が苦手なので敬遠しているひとも多かったりするので、これからはロボティクスから発達を学ぶ方が理解しやすいという人が増えるのかもしれません。


人工共感の設計

オランダ出身の著名な動物行動学者フランス・ドゥ・ヴァールは、共感の構造をマトリョーシカみたいな入れ子構造であると説明しています(情動感染<EE<CEの3層構造)。

共感の時代へ―動物行動学が教えてくれること
フランス・ドゥ・ヴァール
紀伊國屋書店
2010-04-22

人工的に共感するロボットの設計は、それとは比べものにならないくらい精緻な構造になっていて、概念図がスゴイことになっています。
人工共感の発達

ざっくり解説すると、
  1. 自分と他人の区別がつかない状態において、ミラーニューロンシステムを基盤とした身体運動の同期(ものまね)と他人の感情が自分へ伝わること(情動伝染)が連携し、養育者とのやりとりを通じて、自分と他人を認識するようになります。

  2. 自分と他人の区別ができるようになることに並行して、共感も発達します。

  3. 自分を基準に考えることができるようになると情動的共感(EE)が生まれます。

  4. 自分と他人を完全に区別できるようになると、他人の視点で考えたり、他人の心をシュミレーション(心の理論)できるようになり、認知的共感(CE)が生まれます。

  5. 自分の感情を制御できるようになることで、相手の感情に同期しながら、異なる感情を引き出すこと(同情・憐れみ)ができるようになります。

  6. 自分を自分で客観的に観察すること(メタ認知)ができるようになると、

  7. 相手の感情とは逆の感情を社会的文脈(自分が所属する集団と外部の集団との関係)に沿って引き出すこと(妬み・メシウマ)ができるようになります。


カウンセリング・ロボットの可能性

ロボットによる人工的な共感が可能になれば、カウンセリング・ロボットができたりするかもしれません。

キャリアカウンセラーの役割を人間とロボットで比較した研究があります。まだまだ発展途上のロボットなので、カウンセリングの満足度は低かったようですが、意外な効果があったようです。
ロボット群の参加者の中には,「キャリアカウンセラーだったら,ついつい相手に答えがあると思って頼りにしてしまうけれど,相手がロボットだから,自分でストーリーをつくらなきゃと思う」と認識し,ロボットを発話の記録主体と位置づけ,自分でメモをつくり,メモの記録内容を最終過程で統合し,キャリアアンカーを意味づけた者が存在した.
カウンセリング・ロボットは発話内容を繰り返す「リボイス」によって、クライアントから「聞き手」として認識され、共感が生まれた事例が報告されていることがとても興味深いです。

そもそもカウンセリングは、クライアントに対して答えを教えてあげるのではなく、自分自身で答えをみつけることを支援するものなのですが、ついついカウンセラーに対して「答えを知っている人」という幻想を抱いて依存してしまい、自分で答えを探すことができなくなることがあります。


ドラえもん療法

JOJO風ドラえもん
ところで、ロボットと言えば「ドラえもん」。四次元ポケットからいつも凄い道具を出してくれますが、調子に乗って使っているとろくなことにはなりません。頼りになるのか頼りにならないのか、そもそもなんでネコなのか、わけのわからない存在です。

「決して頼りにはならないけど、いつも味方になってくれる、わけのわからない存在」というのは理想の治療者像なのではないかと個人的に思っていたりします。つまり「ドラえもん療法」。

というわけで、「なんでも知っている」という幻想をふりまいてとっても頼りになりそうな治療者よりも、ちょっとした共感システムを搭載したロボットの方が優秀な治療者になる可能性があるかもしれません。

次回は、「共感のダークサイド」について考えてみたいです。

共感の起源としての群れ/共感を媒介するオキシトシン

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前回は「共感のバランス」についてまとめました。
今回は共感の起源とオキシトシンとの関係をまとめてみました。


共感の起源

鳥の群れ
群れのメンバーが近接した距離で共存し,安定して群れの移動が維持されるためには行動を同調させる必要がある。
この論文によると、動物における群れの機能が共感の起源と関連しているのではないか、と考えられています。

群れをつくるために、まずはメンバー間が行動を同調させることが必要になります。リズムや周期のある行動の同期化は、ゲンジボタルや魚の群れにもすでに認められています。

これは原初的な情動的共感(EE)と言えるかもしれません。

哺乳類では、相手の意図や行動の意味を予測する能力が備わることによって、行動・注意・情動の変化を相手と一致させ、他者の視点を獲得できる素地ができるようになります。

この時点で認知的共感(CE)まであと少しで到達できそうです。


群れから社会へ

群れの形成は集団の安定と発展のみならず、個体の生存と適応度を上昇させて、社会的な緩衝作用や弱者保護の概念をもたらします。

今からおよそ250年前に哲学者ジャン=ジャック・ルソーは共感のひとつである「憐れみ」について独特な考え方をしていたことが東浩紀の著作によって紹介されています。
人間は「憐れみ」のゆえに、幸せな孤独を捨てて群れて生きてしまう。そしてこの「憐れみ」は、決して人間独特のものではない。それは理性や反省から離れたもので、一部の動物たちにも備わる能力である
人間は、まさにその「獣」に近い能力によってこそ社会を作って自分たちを守ることができたというのが、ルソーの主張なのである


通常、「憐れみ」はプライベートな感情であると考えられています。しかし、ルソーは「憐れみ」はパブリックな営みであり「憐れみ」こそがひとを結びつけて社会をつくると考えました。

人間の理性が社会をつくると考える一般論とは逆に、動物的な共感こそが社会をつくる基盤であることをルソーが見出していたことはとても示唆に富みます。


共感を媒介するオキシトシン

オキシトシンはギリシャ語で「すばやい出産」という意味で、産婦人科領域で陣痛促進剤として知られている、神経系や血液を介してシグナルを伝達する物質です。

その後、小動物では愛着行動を促進する作用があることがわかり、社会的シグナルの認知や養育行動の発現を促進すると考えられました。つまり、共感を媒介する物質と言えるでしょう。


自閉スペクトラム症(ASD)ではオキシトシンの伝達に異常があることが指摘されているため、オキシトシンはASDの治療薬になるのではないかと考えられています。
東京大学医学部附属病院 精神神経科 山末英典准教授らは自閉スペクトラム症と診断がつく20名の成人男性を対象にランダム化二重盲検試験を探索的に行い、オキシトシン経鼻剤の6週間連続投与によって対人相互作用の障害と呼ばれる自閉スペクトラム症の中核症状が改善することを発見しました。

哺乳類の母仔間において、仔の鳴き声や吸乳行動は母のオキシトシン分泌を促進して、母性行動を高めます。さらに、母性行動を受けた仔もオキシトシン分泌が促進されて身体的な接触を求めるようになって以下繰り返し、という連鎖反応が起こって正のループを形成します。

双方から発せられる感覚的なシグナルのやりとりがオキシトシンによって促進されることによって、情動伝染・警戒の伝搬・移動の同期化が可能になり、群れの運営が可能になります。

ヒトはこのプロセスをアイコンタクトのみで達成できるように進化しました。また、ヒトと収斂進化したイヌは(チンパンジーやオオカミと違って)この能力を獲得しているとされています(オオカミの社会性、イヌの定型発達症候群)。

オキシトシンを投与されたイヌは飼い主を見つめるようになり、見つめられた飼い主はオキシトシン分泌が高まり、正のループが形成されます。

つまり、ヒト同士はもちろん、ヒトとイヌの間でもオキシトシンによる正のループが起こるわけです。


共感の拡張性は?

というわけで、オキシトシンが媒介する共感はめでたく種の壁を越えました。人間は母子間だけでなくアカの他人からペットの犬にいたるまで、共感によって社会を拡張させることができます。

それならば無生物、たとえばロボットならどうなのか、という疑問が湧いてくるわけで、次回は人工的な共感が可能かについて調べてみたいと思います(共感するロボットを設計すること)。

共感のバランス

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「共感」という言葉は当たり前のように使われ過ぎていて、深く考えることがなかったりします。あらためてよくよく調べてみると、けっこうややこしくて奥が深いモノだったのでまとめてみます。

EEとCE、ふたつの共感

ふたつの脳機能

まず、共感は大きく分けて2種類あります。

①情動的共感(Emotional Empathy:EE) 
②認知的共感(Cognitive Empathy:CE)

①EEは、相手の感情に自らも同調して生じる共感です。
古い系統発生の原始的なシステムで、生得的で自動的に「情動感染」や「ミラーニューロンシステム」による模倣からボトムアップに生じる、自律神経系を巻き込んだ身体的な反応です。

②CEは、相手の立場になって気持ちを推しはかる共感です。
比較的新しいシステムで、類人猿とヒトに発達。後天的、意識的で、知識や推論を統合してトップダウンに生じる、いわゆる、心の理論(ToM)とかメンタライジングと呼ばれるものです。

ASDの共感/サイコパスの共感

「アスペルガー症候群」という名称は、1944年に最初の症例を報告したハンス・アスペルガーの名を冠して、1981年にローナ・ウィングが発表したものです。

もともとは「自閉的精神病質=自閉的サイコパス(Autistische Psyachopathie)」と名づけられていました。

症状のひとつとして「共感能力の欠如」があげられて「サイコパス」と称されているのでまぎらわしいのですが、一般的には自閉スペクトラム症(ASD)と反社会性人格障害(サイコパス)との違いはCEとEEの二分法で説明されていたりします。

サイコパスは「高CE+低EE」です。他人の立場に立って相手の弱点や欲望を把握するのが得意なので、他人をうまく操作することができます(高CE)。一方で、他人にひどいことをしても心拍数が上がらなかったりします(低EE)。

前回(色彩感覚からの共感能力)とりあげたサイモン・バロン=コーエンの「共感-システム化理論(EST)」では、自閉スペクトラム症(ASD)は「低CE+普通EE」と言われています。他の研究者の間でも、ASDはCEが苦手ということはコンセンサスを得られています。

一方で、EEに関しては諸説さまざまで、ASDは高EEだという立場もあったりします。


共感不均衡仮説「低CE+高EE」

ASDが高EEかもしれないのは、他者よりも自己志向でToMが弱いためEEが抑制されにくいのではないかという考えがあって「共感不均衡仮説(empathy imbalance hypotheses:EIH)」と言われていたりします。

ASDの二次障害が重いケースでは、不幸にもつらい体験を重ねることによって共感能力がすり減って、シゾイドパーソナリティ(低CE+低EE)っぽくなるひとがいたりします。

あるいは、高EEを保つことよってサイコパス化やシゾイド化を回避することができるのかもしれません。


高EEは感覚過敏?

ASDの症状のひとつに感覚過敏があります(触覚過敏から考える共通感覚について)。最近はなんでもかんでも感覚過敏としてひとくくりにされがちだったりしますので診断基準を確認してみると、、、
Hyper- or hyporeactivity to sensory input or unusual interests in sensory aspects of the environment(DSM-5)
ざっくり言うと、特定の刺激に対して敏感に反応してしまったり、ハマってしまったりすることです。

単に感覚が鋭いというわけではなく、いくつかの感覚を統合することが苦手だったり、感覚刺激を予測することが苦手なために、特定の感覚に対してビックリしてしまう傾向のことを言います。

というわけで、直接は共感能力に関わりがなさそうですが、なんらかの形で関与している可能性があるのかもしれないので、また調べてみたいです。

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