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職場はうつ病の玄関口か?



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うつ病が増えた原因としてSSRIが発売されたこともひとつの要因でしょうが、今回はそれ以外の要因についてまとめてみました。


ホンモノのうつ病とは?

最近はすっかり、うつ病は「ストレスの病」として認識されていますが、もともとうつ病はめずらしい精神病の一種でした。僕が精神科医になった当時はメランコリー親和型のひとに多い「内因性うつ病」こそがホンモノのうつ病だと言われていました。

「内因性うつ病」は症状の出方と症状の内容に特徴があると言われていました。

症状の出方としては、明確なきっかけがなくても「なんだかよくわからないけど勝手に出てくる」という大雑把な感じで「了解不能」とか言われていました。

なので、でっかいストレスでうつ病になった、みたいに因果関係が明確なケースは「心因性うつ病」とか「反応性うつ病」と呼ばれてホンモノのうつ病ではないことになっていました。

症状の内容としては、ちょっと凹んでるとかじゃなくて「がっつりと身体の芯から気力がわいてこない」感じが重要で、「生気的」とか言われていました。

いろいろと難しい理屈がたくさんあるのですが、ともかく内因性の概念は観察者の主観に左右されやすいことが欠点だったりします。


うつ病はいつから「ストレスの病」になったのか

「内因性うつ病」は、遺伝と環境の相互作用によってうつ病が発生するという概念ですが、時代の流れは環境要因の方をより強調するようになっていきます。

第二次大戦後のドイツでは、強制収容所から帰還した健常者の多くがうつ病にかかったということで、政府に対して補償を求めていました。

また、ナチス時代の「遺伝が全てを決める」という考え方への反省から「どのような状況でうつ病が発症するのか」という点に関心が高まり、「疲労困憊性うつ病」という概念が取り上げられるようになっていました。

うつの医療人類学
北中 淳子
日本評論社
2014-09-19


一方、高度経済成長期の日本はどうでしょうか?


1984年の精神障害労災認定第1号

東北新幹線開通
1984年、東北新幹線上野地下駅の設計を請負っていた建設コンサルタント会社の設計技師(当時31歳)が、過重労働の末に通勤途中の駅ホームより電車に飛び込み、両下肢切断の重症を負いました。

これをめぐる裁判において、精神科医の金子嗣郎は「過重労働によって『反応性うつ病』を発症した結果自殺未遂に至った」という意見書を提出しました。

遺伝や気質など本人の要因よりも、過重労働という環境要因がうつ病の発症に決定的な影響を与えたこと、つまり「反応性うつ病」がホンモノのうつ病に格上げされたことがパブリックにみとめられ、精神障害が労災の仲間入りをした初めてのケースとなりました。



1991年の電通事件/内因性うつ病の敗北

1990年、大嶋一郎さん(当時23歳)が広告代理店最大手の電通に入社したちょうどその頃にバブルが崩壊、月140時間を超える残業をこなす激務のなか、翌1991年に自殺されました。

遺族側は過重労働によってうつ病を発症したことが自殺の原因であるとして、約2億2260万円の損害賠償請求を起こしました。

金子嗣郎はこの事件においても「過重労働によって疲労困憊性のうつ病を発症し自殺に追い込まれた」という旨の意見書を提出し、原告側の主張を支えました。

これに対して電通側の医師は伝統的なうつ病論を展開して対抗します。大嶋さんの真面目で几帳面で責任感の強い完璧主義である性格が「内因性うつ病」の特徴であるメランコリー親和型であると主張し、本人の素因がうつ病の発症から自殺までのプロセスに影響を及ぼしているという旨の意見書を提出しました。

いったんこの主張は受け入れられ、東京高裁では賠償額が30%減額されています。

そして最高裁。大嶋さんのメランコリー親和型性格は社会人としてはごくありふれた特性であり特別なことではないと判断され、減額は違法であるとして破棄ザ・レターズた。

結果的に電通側が遺族側に対して約1億6800万円を支払うことで和解が成立しました。

電通事件の判例によって、うつ病の原因は本人の素因よりも過重労働などの環境要因が大きく影響するというコンセンサスが得られていくことになります。つまり「内因性うつ病」は敗北したと言えるでしょう。

バブル崩壊後、次々と過労死の問題が明るみに出てくるようになり、企業側はその責任を追求されていくことになりました。


1999年の労働省通達/産業メンタルヘルスの拡大

1999年、ちょうど日本で最初のSSRIが発売された頃、労働省(当時)は全国の労働基準監督署に対して「職場の心理的負荷の評価法に関する通達」を行い、精神障害対策に関する三つの方向転換を示しました。

ざっくりまとめると、労災をめぐる精神疾患について、
  1. 国際的な診断基準である「ICD」が採用されました。ICDやDSMなどの国際基準には「内因性」の概念は採用されていないので、内因性うつ病はその存在価値を失っていきます。

  2. 従来よりも広範囲の精神疾患が労災の対象に含まれるようになりました。

  3. ストレス脆弱性モデルが採用され、「うつ病はストレスの病」という考え方は産業医学の常識となっていきます。
大風呂敷をひろげた結果、精神疾患による労災申請は爆発的に増加していくことになります。当然のことながら患者さんの数も増えていくわけです。

脳心臓疾患と精神疾患の労災申請件数と認定件数の推移

社会的救済としてのうつ病診断

一連の流れをみてみると、高度経済成長の象徴である新幹線に携わっていた設計士が精神障害労災認定第1号になってしまったり、バブル崩壊直後のエリートサラリーマンが過労死したことが制度変更のターニングポイントになってしまったことがとても印象的です。

高経済成長期の頃は過重労働やパワハラなんて日常茶飯事だったのでしょうが、「とにかく儲かっているからアリでしょ」で済まされていたのだと思います。好景気の豊かさは、さまざまな矛盾を覆い隠すことができるからです。しかし、バブル崩壊後ドッチラケになった世の中では、様々な不条理がむき出しになってしまいます。

そして、不条理に直面して打ちのめされ苦悩するひとたちを社会的に救済するための手段として、なかば強引に精神科医療が拡大解釈されて運用されてきました。

これこそ、うつ病が急増した要因のひとつと言えるでしょう。

しかし、うつ病の環境要因が重視されることになっても、医療は基本的に「個人の素因・脳の機能異常・認知の歪み」などを対象とするものなので、環境要因に対しては無力だったりします。

僕が精神科医になった2003年の時点でも「内因性うつ病」はまだ健在で、産業メンタルヘルスの観点など当時は全く持ち合わせていませんでした。

いったん医療化によって救済することは応急処置としては有効ですが、そのままでは肝心な問題は解決されないどころか状況が次第に悪化していくことになったりします。

なので、徐々に脱医療化していくことが必要になってくる局面もあるということで、これはまた次回以降にまとめていきたいと思います。


うつ病が増えた理由を高校生にもわかるように説明してみた。



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先日、とある高校生からクリニックへ問い合わせがあって、ちょっとしたインタビューを受けたので、その時のことをまとめてみました。どうやら夏休みの宿題で「産業社会と人間」という壮大なテーマについていろいろ調べているらしいです。

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このように、うつ病は明らかに増えてます。


ブラック労働やパワハラに耐えられる理由

高校生はいわゆるブラック労働やパワハラが原因でうつ病が増えているのではないかと考えていました。

これは一理あるのですが正確ではありません。おそらく昔から、いや、昔のほうがずっとブラック企業やパワハラは多かったからです。

かつては「新卒採用&年功序列&終身雇用」というルールがうまく機能していました。これを前提とすれば、ブラックだろうがパワハラだろうが、理不尽で嫌なことがあっても辞めずにガマンして、職場に尽くすべきでしょう。

後になってから、これまでやってきたこと以上の恩恵を受けることができるからです。なので、モチベーションを保ち続けることができるわけです。

そして、一生お世話になることになる職場は『イエ』として機能していきます。

ですが、この前提は経済が成長してパイが拡大しているという条件がないと成り立ちません。

円錐

一般的に、職場などの組織構成はトップから末端まで「円錐形」なのですが、「新卒採用&年功序列&終身雇用」を続けていると「円柱形」になってしまいます。

高度経済成長期は、事業を拡大して次々に系列会社や子会社を増殖させることで、すそ野を広げて円柱を円錐に変えることができていました。しかし、ご存知のように今の日本はほとんど経済成長していないので、すそ野がほとんど広がりません。
時価総額ランキングの推移
そんな中で、円柱を円錐に変えるためには、限られたポストにしがみついているひとたち以外を適当な理由をつけて次々に落としていくほかありません。「非正規雇用」という形でごまかしていくこともひとつの方法でしょう。

このように、かつて機能していたルールが通用しなくなってしまっています。

職場に尽くしても十分な恩恵が得られない場合、合理的なひとは働き方を変えていくでしょう。しかし、これまで通り律儀に尽くすひとはどうなってしまうのでしょうか?


うつ病になりやすい性格/メランコリー親和型

かつての「新卒採用&年功序列&終身雇用」というルールにうまく適合していたのが、いわゆる『メランコリー親和型』のひとたちです。

メランコリー親和型/Typus Melancholicus:TMは、1961年にドイツの精神科医テレンバッハによって提唱された概念です。「秩序を重んじて、律儀で、几帳面で、責任感が強い」という特性で、うつ病になりやすい性格であるとされていました。

メランコリー [改訂増補版]
H. テレンバッハ
みすず書房
1985-12-06


TMは1980年代に日本へ輸入され、これこそ「模範的な日本人」ということでもてはやされました。つまり、うつ病になるひとはみんなイイひと、みたいなイメージがあったりしました。

なので、うつ病の患者さんにはやたら優しいけど、うつ病っぽいけど違う病気の患者さんにはやたらと厳しい精神科医が多かったように思います。

個人的にはやや持ち上げられ過ぎてないかという違和感がありました。というのも、まちがったトップのもとでまちがったシステムを運用している組織があったとして、そこで働くひとがもしもTMをガンガン発揮していたら「エルサレムのアイヒマン」的にヤバいんじゃないかと思うからです。

エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告【新版】
ハンナ・アーレント
みすず書房
2017-08-24




それはさておき、1990年代にバブル崩壊してグローバル化の時代になってからより顕著になりましたが、そもそもTMのひとが病気になりやすいということは、TMが社会生活において不利になっていることを示唆しています。


企業戦士から社畜へ

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かつて『企業戦士』とか『モーレツ社員』とか『古き良き模範的日本人』とか、ある種持ち上げられていたTMは、今や『社畜』と呼ばれてバカにされるようになっています。

これは前提となるルールが変わってしまったからです。一部の例外をのぞいてこのルールは崩壊しつつあるので、かつてのように職場に一生懸命奉仕して理不尽なことに耐えて、職場における地位を上げても、業績が傾けば一瞬でおしまいなのです。

また、いくらブラック労働でパワハラを受けても、TMを発揮すれば耐え続けることができるのですが、いよいよ限界というところで精神科医療の門を叩くことになるわけです。

このように、今やTMそれ自体がリスクであることの方が多かったりします。


ハイテク資本主義に適合する人材

現在の不透明な時代のルールに適合している特性とは、メンバーや状況が変わっても素早く対応できる柔軟性や、職場にふりまわされるのではなく、職場に利用価値があるのかどうかを客観的に見極めて、職場を通してスキルを高めたり人脈を広げたりするしたたかな能動性、などが必要になっていると思われます。

これはピーター・クレイマーのいう「ハイテク資本主義に適合する人材」です。一番最初に発売された抗うつ薬/SSRI「プロザック」は、それらの特性を安上がりで手に入れることができる「ビジネスオリンピックのステロイド」であると彼は主張していました。

驚異の脳内薬品―鬱に勝つ「超」特効薬
ピーター・D. クレイマー
同朋舎
1997-07



共感のダークサイド



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ダークサイド・ムーン
いいことずくめのようにみえる共感にもダークサイドがあるようです。



共感の時代?

共感の時代へ―動物行動学が教えてくれること
フランス・ドゥ・ヴァール
紀伊國屋書店
2010-04-22





動物行動学者のフランス・ドゥ・ヴァールは、チンパンジー社会でも観察できる共感能力が、ヒト社会において薄れているのではないかと危惧しています。

「競争こそが進化の本質であり人間のあるべき姿である」という『利己的な遺伝子』に開き直って利益のみを追求する「強欲なアメリカ的資本主義」を「共感欠如の病理」として批判しました。

これは現代においてリアリティーのある指摘でしょうか?

むしろ「共感」は絶対的な善であり神聖なモノとして祭り上げられているのではないでしょうか?

【これはひどい】というタグのついた共感を呼びおこすエピソードは、インターネットを通じて世の中を席巻しています。

そもそも『ロボティクスによる人工共感』でみてきたように、「共感」はひとつの「機能」であって、それ自体はニュートラルなものです。使い方次第で良い面も悪い面もあらわれてくることがあるので、そこに価値観を持ち込む必要はありません。

また、「共感欠如の病理」があるのと同時に「共感過剰の病理」も存在していて、精神科臨床ではどちらかといえば後者の方がやっかいな問題だったりします。


精神科医の仕事は共感すること?

一般的に、精神科医は「共感」することが仕事だと思われています。確かに共感することは診療の第一歩として重要ですが、それだけでやっていけるわけではありません。

逆に、共感能力はあらかじめ誰にでも備わっているものなので、精神科医になってからは共感のスイッチをオフにするトレーニングが必要になったりします。

よく「患者さんに影響されて“うつ”になったりしませんか?」と心配されたりするんですが、共感をずっとオンのままにしていたら身がもちません。いつまでも患者さんに共感しすぎて右往左往ふりまわされている医師は一人前であるとみとめられることはありません。

患者さんに共感しすぎてしまうと冷静さを失って客観的にみれなくなるため適切な判断ができなくなるリスクが高まります。なので、医師は自分の家族を診療することができません。

たとえば、かつて天才と呼ばれていた高名な精神科医は、妻が精神科疾患を発症していることに気づくことができませんでした。研修医でも診断できるほどに病状が進んでいたにもかかわらず、です。

加えて、精神科疾患には境界性人格障害、解離性障害、依存症などなど「安易に共感されることで悪化する病態」がたくさんあったりします。

また、メランコリー親和型性格や過剰適応といわれるひとたちは、他人に対して過剰に共感してしまうことで消耗し、病状が悪化することがあります。

つまり、医師と患者さんの関係のみならず患者さん自身にとっても、共感によって失われるものは大きいのです。


共感によって失われるもの

反共感論/Against Empathy というおもしろい本があります。共感を無条件に称揚する風潮に対するアンチテーゼとして、安易にサイコパスを称揚したりする本ではありません。

共感のダークサイドをまとめつつ、バランスのよい批判を展開しています。
もちろん共感には利点がある。美術、小説、スポーツを鑑賞する際には、共感は大いなる悦楽の源泉になる。親密な人間関係においても重要な役割を果たし得る。また、ときには善き行ないをするよう私たちを導くこともある。

しかし概して言えば、共感は道徳的指針としては不適切である。愚かな判断を導き、無関心や残虐な行為を動機づけることも多い。非合理で不公正な政策を招いたり、医師と患者の関係などの重要な人間関係を蝕んだり、友人、親、夫、妻として正しく振舞えなくしたりすることもある。私は共感に反対する。本書の目的の一つは、読者も共感に反対するよう説得することだ。

反共感論―社会はいかに判断を誤るか
ポール・ブルーム
白揚社
2018-02-02


以前とりあげたように、共感には大きくわけて情動的共感と認知的共感というふたつの異なるシステムがあります。

認知的共感のダークサイドとして、
「認知的共感」は、善きことをなす能力として過大評価されている。つまると ころ、他者の欲望や動機を正確に読み取る能力は、上首尾の〔警察に捕まっていない〕サイコパスの特徴でもあり、残虐な行為や他者の搾取に利用し得る。
と、軽く触れていますが、この本で問題としているのはおもに「情動的共感」についてです。

共感の機能には「限局性」という特徴があります。同時に共感できる相手はせいぜい数人で、たくさんのひとたちに対して同時に共感することはできません。

つまり、共感はスポット・ライト的に作用するので、視野が狭くなってしまい、しばしば道徳的な判断を間違えることになります。

たとえば、最近みた映画『デッドプール2』と『万引き家族』。どちらもすばらしい作品なのですが、共感のスポットライト作用が存分に発揮されています。

『デッドプール2』では、虐待を受けていた14歳の少年を救うために、とある組織の構成員を主人公たちが殺しまくります。

『万引き家族』では、これまた虐待を受けていた4歳の女の子を救うひとたちが、犯罪を繰り返していたりします。

どちらとも虐待されている子どもが登場して、あまりにもかわいそうな場面をみせつけられるので、観客は思わず感情移入してしまいます。その結果、子どもを救う側のひとたちが悪に手を染めることは、もはやどうでもいいことのように思えてしまいます。

現実でもこのような事態は枚挙にいとまがありません。冷静に考えるとこれはとても危険なことで、過度な共感は道徳的な判断をするときには有害であることが指摘されています。


共感に抵抗することがむつかしい理由

著者のポール・ブルームは、共感に抵抗するために「理性の力」を重視しています。しかしこれはとても困難な道のりです。

『共感の起源としての群れ/共感を媒介するオキシトシン』でみてきたように、共感という機能は生物が群れをつくる能力から脈々と受け継がれていて、脳の報酬系はいまだに共感ベースで作動しています。つまり、共感にもとづいて行動を起こすことで脳はキモチイイというシグナルを発してしまうのです。

さらに、ツイッター等のSNSを介して共感を瞬時に増幅・拡散させることがインターネットによって可能になっています。

情動的共感は扁桃体を介して作動することに関連して、反共感論の訳者である高橋洋氏は、『ツイッターはインターネットの扁桃体』と指摘しています。

このように、脳から社会インフラのレベルまで浸透している共感というシステムに対抗することは難しいのではないかと思ってしまいます。

なにか別のシステムを想定することで、乗り越え可能なのかどうか、これから考えていきたいです。

ところで、他人に共感することが苦手な自閉スペクトラム症のひとは、ルールに沿って公平な判断をするため、普通のひとよりも道徳的である場合が多いことが知られています。

その辺がヒントになるかも知れません。



オオカミの社会性、イヌの定型発達症候群



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エライ人に従順なひとのことを「◯◯の犬」 とバカにしたりしますが、いいオトナになっても「社交辞令のひとつも言えやしない」不器用なひともいたりして、なかなかどうして犬の社会的能力はあなどれないのです。というわけで、最近はイヌについて勉強しています。



ヒトとイヌの分岐

およそ8000万年前にヒトとイヌは別の道を歩み始めました。

その頃はちょうど恐竜が陸上世界を支配していて、ヒトとイヌ共通の祖先である哺乳類は毎日怯えながら生活していました。やがて、ヒトの祖先は森へ、イヌの祖先は暗闇へ、それぞれ身を隠して脅威的な捕食者から逃れ、出し抜き、生き延びるために独自の知能を発達させます。

ヒトの祖先は樹の上を自在に動いて木の実を食べるために色彩感覚や立体視(両眼視のできる顔)を発達させ、イヌの祖先は暗闇の中で動けるように聴覚(尖った耳)と嗅覚(尖った鼻)を発達させたため、それぞれまったく違う姿に進化していきました。


ヒトとイヌの邂逅

およそ3500万年前には、肉食哺乳類の中でイヌとネコが分岐しました。

両者は狩りの様式が異なっていて、ネコの祖先は単独で草木に隠れて一撃必殺で獲物をしとめ、イヌの祖先は草原にいる獲物を集団で追いつめてしとめていました。

霊長類をのぞけばイヌ科の動物は状況に応じて行動を変える能力に長けるようになりました。キツネやタヌキもイヌ科ですが、相手を騙して出し抜くという「ソーシャル・スキル」に長けていたからこそ「化かされる」逸話ができたのかもしれません。

イヌ科の中でも、イヌの祖先となるオオカミは、狩猟のために組織化された集団を形成し、意志を伝達して役割を分担することで、自分よりも大きな獲物を狩ることができます。

この集団狩猟こそが、種として大きく隔たったヒトとの共通点=収斂進化と言えます。

また、イヌはヒトと同様に持久走に長けています。後肢の指は骨が癒合して4本になって強靭になっていますし、パンティング(舌を出してハァハァ)は呼吸ではなく冷却のためのものだったりします。


ヒトとオオカミの競合

オオカミはイヌ科の中でも社会性が高い動物で、家族以外とも協力して狩猟や育児を行う柔軟な共同体を形成していることが認められています。

イヌの動物学 (アニマルサイエンス)
猪熊 寿
東京大学出版会
2001-09-01


オオカミは度重なる過激な気候変動に直面し、動的で可変的な社会システムを洗練させ、その優れた適応能力によって世界中に拡散し、ヒトが新世界へ移住を始めた頃(1万5000〜2万年前)までには最上位捕食動物の地位を確立していました。

イヌの動物行動学: 行動、進化、認知
アダム ミクロシ
東海大学出版部
2014-11-26


やがて、食糧資源をめぐってヒトとオオカミは競合するようになります。食糧が豊富な環境であれば両者は友好な関係を結び、時にオオカミは信仰の対象となりましたが、野生動物が減少し牧畜が始まる頃になるとオオカミは忌み嫌われる存在となりました。

ともかく、集団狩猟という共通の習性ゆえにヒトとオオカミは関わり続けることになり、そのような状況が土壌となって、イヌへの最終進化がもたらされました。


オオカミとイヌの境界線

犬が私たちをパートナーに選んだわけ 最新の犬研究からわかる、人間の「最良の友」の起源
ジョン・ホーマンズ
CCCメディアハウス
2014-01-30



何しろ犬というのは、いつの間にか仲間を裏切っていた連中の子孫なのだ。確かに最初に人間の懐に飛び込んで、媚びを売り始めた間抜けなオオカミがどこかにいたはずだ。
では、オオカミとイヌの違いは何でしょうか?

イヌには、共同注視(アイコンタクト)で相手の視線や指差しから意図を理解するなど優れたコミュニケーション・スキルがみとめられています。オオカミやチンパンジーはなかなかコレができないので、イヌの認知機能が優れていると一般的には考えられていたりします。

一方で、ただ単に「攻撃性が欠如している従順な気質をもったイヌ」が選ばれるようになったことで、ヒトとスムーズに協力的な関係をもつことができるようになり、既存の認知機能がいかんなく発揮されたという説もあります。
ゲノム的には気質の変化ほど効率的なプロセスはない。アンドロゲンの発現を制御する遺伝子を少しだけ移動させるか、セロトニントランスポーター遺伝子を動かすだけで雪だるま式効果が得られる。しかも極めて効率がいい。それは費用対効果の高い進化上のトリックで、莫大な見返りも期待できる 
優秀さよりも従順さが「社会性」として評価されることってよくあると思います。

ここで乱暴ですが、イヌを定型発達に、オオカミをASDに対比してみると、優秀でも従順さに欠けるひとはしばしばASDと診断されやすかったり、ASDでも従順なひとはなかなか診断されにくかったりする事情が理解しやすくなりそうです。


オオカミのオスはイクメン

あと意外なことに、オオカミのオスは子育てに対して非常に協力的だそうです。一方、イヌのオスは自分の仔犬にあまり関心を示しません。にもかかわらず、飼い主の子どもには大きな関心を示して世話をすることがあります。

なので、いったん家畜化されて(イクメン本能を失って)その後野生化した野犬の場合は悲惨なことに、メスがワンオペ育児をすることになり、仔犬の生存率が低くなってしまいます。

イヌが獲得した社会性とは、家族よりも共同体を優先する習性と言えます。

家庭を犠牲にして所属集団(イエ)に尽くすヒトは「社会性」が高いと言われますが、うっかり尽くすべき相手を間違えると、野犬のように悲惨な運命をたどることになったりします。

こうしてみると、オオカミは自分たちでちゃんと社会をつくっていたけど、イヌは自分たちで社会をつくることを放棄して人間社会に参入したとも言えます。


生物にとっての社会性とは?

ヒトにとっての社会性とは、ざっくり言うとアカの他人と協力することなので、社会性を身につけることは悪意あるひとにダマサれてカモられるリスクと常に隣合わせです。ソーシャルスキルトレーニングを受けると詐欺の被害に遭いやすくなることもあったりします。

自閉症コミュニティの「定型発達症候群」というジョーク、メンタルヘルス領域で言うところの「過剰適応」「メランコリー親和型」は、他人に合わせて協力し過ぎるがゆえに消耗してしまう傾向です。

なまじ定型発達が過剰であるがゆえに不幸になっているヒトは、オオカミ的な社会性を身につけた方がイイのではないかと思う今日このごろです。


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