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「アヴェロンの野生児」は児童精神医学の原点なのか


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前回は、滝川一廣「子どものための精神医学」を紹介しました。


滝川が著書の中で「児童精神医学の歴史的出発点」であり「最初の臨床」として「アヴェロンの野生児」という物語を紹介しています。もともと個人的に野生児について興味があったのでこれを機会に調べてみました。
アヴェロンの野生児

原点としての「アヴェロンの野生児」

1800年の秋、パリでふたりの若者が出会いました。ひとりは新進気鋭の若手医師イタール。もうひとりは森にすてられて野生で育ち、人間らしさを失ってしまった「アヴェロンの野生児」と呼ばれる少年。

精神医学の第一人者であり、鎖につながれた精神障害者を解放したことで有名なピネルが「アヴェロンの野生児」を診察しました。

ピネルの診断は、生まれつきの「知的障害」であり、治療不可能かつ教育不可能、つまり療育不可能というものでした。その根拠はとてもシンプルで、当時彼が診療していた劣悪な環境の施設に長期間入所している子どもたちと同じような症状がみられていたからです。

イタールは師であるピネルの診断を否定し、少年に「勝利者/victor」という意味の「ヴィクトール」という名を与え、療育に取り組むことになりました。

その結果、ヴィクトールはジェスチャーや文字の理解が少しだけできるようになり、親しみの感情を示すようになるなど、一定の成果をあげることができたそうです。

師であるピネルの診断をつくがえし、野生児が人間性/社会性を身につけることができた、という痛快かつ感動的な物語です。

イタールの方法論は脈々と引き継がれ、障害児教育からモンテッソーリ教育まで幅広く応用されるようになりました。めでたしめでたし。


神話としての「アヴェロンの野生児」

確かに、イタールの情熱には胸を打つ感動があります。医師としてその姿勢から学ぶものが大きいのですが、これは200年前の神話にすぎません。

イタールの功績は現代の療育の礎になっているのならば、逆にイタールの療育に不足している部分や不適切な部分を再検討することで、現代の療育の問題点や改善策がみえてくるかもしれません。

というわけで、資料をもとによくよく冷静になってこの物語を眺めてみたいと思います。

まずは、古典として不動の地位を得て今も読まれているイタールの有名な著作です。内務大臣への報告書が生のまま記録されているのですが、公文書とは思えないほどに情熱的かつロマンティックな思弁にあふれています。
たとえば、イタールの治療目標
  1. 彼がいま送っている生活をもっと快適なものにして、とりわけ、彼が抜け出したばかりの生活にもっと近づけることによって、彼を社会生活に結びつけること。

  2. 非常に強い刺激によって、時には魂を激しくゆさぶる感動によって、神経の感受性を目覚めさせること。

  3. 彼に新しい欲求を生じさせ、周囲の存在との関係を増すようにさせて、彼の観念の範囲を拡大すること。

  4. どうしてもそうしないではいられないという必要性によって模倣訓練をさせ、彼を話しことばの使用に導くこと

  5. しばらくの間、非常に単純な精神作用を身体的欲求の対象に働かせ、その後、その適用をもっぱら教育課題にふり向けさせること
ざっくり要約すると、
  1. 社会生活ができる
  2. 神経の感受性を目覚めさせる
  3. 観念の範囲を拡大する
  4. 話しことばを使う
  5. 教育課題に集中させる
めちゃくちゃ抽象的で検証不能です。具体的な目標は「4. 話しことばを使う」しかありません。


コンディヤックの考え方

なぜこんなことになっているかというと、とあるタイプの青年にありがちな「哲学」にかぶれているからです。

イタールは当時流行していた聖職者でもある哲学者コンディヤックを信奉していました。コンディヤックの考え方は、「人間はまっさらな状態で生まれてきて、さまざまな感覚が目覚めることによって、観念とか認識とか思考、つまり人間の心が形成されていく」というもので、やたらと「感覚」を推してくるのが特徴です。

今なら「ナニそれ?ナニ教?」という感じですが、とくに根拠のない説であるにもかかわらず、当時は広く信じられていました。その他にもルソーの「自然状態の人間は無垢で清らかで尊い存在である」説など、いわゆる「空白の石版」説がフツーに信じられていました。

現在はスティーブン・ピンカーはじめ、さまざまな研究者が膨大なエビデンスによって「空白の石版」説を徹底的に論破しています。

なぜ、根拠のない「空白の石版」説が世の中を席巻したのかというと、たまたま時代の気分というか空気にマッチしていたからです。


革命後、花の都パリ

当時は社会システムが大きく変わってゆく激動の時代で、1789年にフランス革命が始まって絶対王政が崩壊し、1799年のクーデターによってナポレオンが権力を掌握しつつありました。

身分制度で運命が決まってしまう硬直した社会システムが溶けて流動的になり始めたちょうどその頃、「生まれではなく環境こそが人間の運命を決める」という考え方は、社会改革運動をすすめることを正当化するツールとして便利だったわけです。

しかし「空白の石版」説はまったく根拠がないのが弱点でした。それを証明するためには禁断の実験をしないといけません。

たとえば、
  1. 生まれたばかりの赤ちゃんを社会から隔離する
  2. その結果、社会性が身につかない人間になる
  3. 教育によって社会性を身につけさせる
とてもじゃないけど、そんな実験をすることが許されるはずもありません。

そのような時代に、「空白の石版」説を証明する実験材料そのものである「野生児」が発見されたという事件は大ニュースになりました。

野生児は一躍有名人となり、発見以来半年にわたって新聞にとりあげられ、野生児を主人公とした喜劇が上演されて好評を博し、政府からの命令でパリに移送され、彼をひと目見ようと集まった野次馬たちの歓声と熱狂に包まれました。

そして、いよいよイタールによる禁断の実験が始まるわけですが、、、その前に、ふたりの専門家が野生児に関わっていました。それがとても興味深いのでまとめていきます。


ひきこもりのメリットその1「闘争しなくてもいい」


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前回からの続きです。


今回は、ひきこもりのメリットについて具体的に考えていきます。


年間 288人 / 20,465人 

これは何の数字でしょうか?

正解は、日本における他殺者数/自殺者数です(厚生労働省 2017年人口動態統計より)。

日本は他殺に比べて圧倒的に自殺が多い国です。さらに他殺数はどんどん減少しています。

推移はこちら。
他殺と自殺の推移


殺人の動機=成熟の条件

一般的に、殺人の動機は「イロ・カネ・メンツ」といわれています。恋人やお金を奪われたり、メンツをつぶされたりすることでトラブルが生じて「ぶっ殺す!」ってなるのは想像に難くありません。

同時に「イロ・カネ・メンツ」は「成熟の条件」でもあります。成熟、つまり「オトナ」になるための条件。

自分でお金を稼いで経済的に自立して、パートナーをゲットして結婚して、社会的な役割を果たして評判を得ることができるひとのことを、世間は「立派なオトナ」と呼んでいます。

なぜ、成熟の条件が殺人の動機になるかと言うと、「イロ・カネ・メンツ」は特定のひとに集中して極端にかたよってしまうというやっかいな性質があって、熾烈な競争が生まれるからです。

成熟と闘争

「イロ・カネ・メンツ」には平等なんてありえません。身長や体重のように穏やかな正規分布にすらなりません。100倍身長の高いひとはいませんが、100倍年収の高いひとはゴロゴロいます。

それは、べき乗分布のごとく過激なカーブを描きます。
べき乗分布
めちゃくちゃモテるひと・めちゃくちゃ金持ちなひと・めちゃくちゃ評判のいいひとはごくひと握り。大多数のひとは、モテないし・お金がないし・評判がよくありません。

なので、モテるため・大金を手に入れるため・評判を上げるためには、闘争して勝って頭ひとつ飛びぬけなければいけません。リスクはあるけどワンチャンあるかも!というわけです。

受験も恋愛も就職も完全なる競争です。勝つことなしに「イロ・カネ・メンツ」をゲットできるほど世の中は甘くありません。

こんなことをいうと不機嫌になるひとがいるのですが、そうなっているのだから仕方がありません。

競争を毛嫌いするひとの真逆に、競争を極端に賛美するひとがいて2極化がはなはだしいのですが、どちらの立場とも現状をリアルにとらえられません。

マクロのレベルで考えてみると、生物の世界が弱肉強食なのかといえば全くそうではないからです。


絶滅寸前のトラ/はびこるネズミ

生物の世界は「弱肉強食」と考えられがちですが、正しくは「適者生存」です。強いものではなく環境に適したものが生き残ります。

強い生物はしばしば絶滅危惧種で、アジア最強のトラは3000頭あまりに減少しているそうです。一方で、トラよりも圧倒的に弱いネズミはうじゃうじゃと世界中にはびこっています。

そこそこ「か弱い」人間は、社会インフラをつくることで環境自体を変えるようになりました。それによって、成熟できない・自分のチカラでは生き延びられない・「か弱い」個体でも生存可能にする戦略をとって繁栄することができました。

ある環境において「か弱い」という形質/特性が、別の環境においては逆に「強み」になることはめずらしくありません。

人間は、多様な形質/特性を社会に抱えることによって、さらに多様な環境に適応できるようになりました。今風にいうとダイバーシティを推進してイノベーションを起こそう!ってノリを地でいってたわけです。

こうして、個体レベルでは局所的に闘争することはあるものの、種のレベルでは協調が行われています。


社会インフラの成熟と個人の成熟は反比例する

成熟できない・ひとりでは生き残れない・「か弱い」個体をどれだけ保護できるかは、社会インフラがどのくらい成熟しているかに比例します。

戦後の焼け野原、社会インフラがボロボロだった時代は、成熟できないことは死に直結していたでしょう。個体が成熟することが強く求められていたので、団塊世代は強くたくましく育成されました。

現代の日本は世界的にみても社会インフラが非常に発達しています。交通網と通信網が張り巡らされ、欲しいモノや情報やサービスがすぐ手に入ります。

成熟できない・ひとりでは生き残れない・「か弱い」ひとでも、さまざまなリソースを利用することによって快適に生活することができるようになっています。

いったんそんな社会ができあがると、ムリして成熟しなくても生きていくことができようになります。リスクある闘争を避けてひきこもり、成熟しない戦略をとる個体が増えることはとても合理的なことです。

誰しも闘争なんてしたくはありません。平和がイチバン。闘争せずに生きていけるならそれに越したことはありません。

つまり「ひきこもり」のメリットは「闘争しなくてもいい」ことです。


少年犯罪は増えているのか?

若者の〇〇離れ、草食化が進んでいるといわれる一方で、少年犯罪がセンセーショナルにとりあげられて親の不安をあおったりします。

ひきこもりの状態になったお子さんを持つ親から「将来うちの子は事件を起こしたりしませんか?」と質問されることはめずらしくありません。

実際に統計を調べてみると、、、

少年犯罪の推移
出典:少年犯罪データベースより作成
10歳以上20歳未満の少年人口10万人当たりの少年刑法犯検挙人員の比率

このように、少年犯罪は減少傾向にあります。ちなみに、強くたくましい団塊世代の犯罪率が異常に高かったことがよくわかります。

もっとマクロな視点で、全人類史を通して全世界的にみても、殺人は減少しているようです。進化心理学者スティーブン・ピンカーは、膨大なデータを精査してそれを実証しました。先史時代から現代にかけて全世界における戦争で死亡した人の割合を並べた壮大なグラフがこちら。
暴力の人類史_戦争により死亡する人の割合

ひきこもることで闘争しなくてもよくなることはメリットなのですが、自殺のリスクが高まってしまうことは大問題です。

次回は、就労と自殺の問題を考えていきます。


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