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イングルハートの価値マップ

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国民性による価値観の違いをマッピングして俯瞰すると何がみえてくるのか?

アメリカの政治学者ロナルド・イングルハートは、全世界の人々の価値観をプロットするために、ふたつの文化的な対立軸を設定し、大規模なアンケート調査を行いました。

縦軸は、「伝統的価値 Traditional Values」と「世俗ー合理的価値 Secular-Rational Values」。
伝統的価値というのはたとえば権威や伝統的な家族の価値観を尊重し、宗教/親子関係を重要視する一方で、離婚/妊娠中絶/安楽死/自殺を否定するような価値観。世俗ー合理的価値というのはこれらにとらわれない価値観が想定されている。

横軸は、「生存価値 Survival Values」vs「自己表現価値 Self Expression Values」。
生存価値というのは生きて行くのに精一杯であること、自己表現価値は生きていく経済的な力はあるのでその上で自己表現に重きを置く、LGBTに代表されるような多様な生き方を認める価値観といったニュアンス。
まとめると、
左下が「生きていくだけでせいいっぱいの、掟や慣習でがんじがらめになった閉鎖社会(伽藍)」、右上が、「ひとびとが自由に“自己実現”できる開放社会(バザール)」です。
産業が発展して生活水準が向上するごとに、左下から右上へ価値観が変化しますが、地理や宗教や文化圏にかなり影響されていることがわかります。

日本はムラ社会だ、とよく批判されますが、イスラムやアフリカはもちろん、ヨーロッパ・カトリック圏の方がよほどムラ社会だったりして、大したことないのがわかります。

日本人の特徴は、儒教文化圏の中でも世俗合理的価値観が異様に突出していることです。ただ、地縁血縁などの伝統にとらわれないわりには、自己表現が控えめであることがもうひとつの特徴といえるでしょう。それでは、日本人の自己表現を阻むものはなんなのでしょうか?


「イエ」という概念

「イエ」とは、家という建物(ハコモノ)を基礎的単位とした、労働の組織化を起源とする生活保障の単位のことです。起源は家族経営の会社で、けっこう柔軟で拡張性が高かったみたいで、優秀だったら血縁のないひとを養子縁組によって迎え入れたり、血縁があっても役目を終えたひとを隠居させたりと、変幻自在な組織でした。

集団としての秩序だけでなく、そこには情愛があってそれによって構成員を結束させるわけです。

具体的には、学校とか会社とか団体など、家庭のしがらみは持ち込まないけど、たまたま一緒になったメンバーによって構成されて仲間意識・共同体意識が生じます。


アンビバレントな「イエ」

戦後日本の会社は、新卒一括採用・年功序列・終身雇用で、社会保障まで担っていたりします。会社がセーフティーネットを担っているのは、自殺率と失業率の相関していることから明らかです。
失業率と自殺率の推移
共同体の本来の機能は安全保障システムなので、安心を与える代わりにメンバーを拘束します。

たとえば、勤務医は当直があったりするので、病院内で夕食をいただいて風呂に入って寝たりと、「生活」します。なので病院はまさに「イエ」だったりして、独特のしがらみが生じてしまうわけです。

となると、みんな学校や会社が大好きで大嫌い。グチりながらしがみつくアンビバレントな存在なのです。職場のことをけたたましくグチるひとほどなかなか辞めずに永いこと居座っている現象ってよくあると思います。


「イエ」の呪縛

日本人は、英語圏やプロテスタント圏ほど個人主義を徹底して叩き込まれていないので、ひとりで生きていく術を知らないから不安になりがちです。なので、戦後性急に解体された
地縁血縁の代わりに「イエ」の存続を重視するようになったようです。

イエの安全保障感は頼もしいのですが、時に、仕事や職責よりも会社に所属することがアイデンティティになったり、時には法律よりも会社独自の規則を優先したりすることで、不祥事の温床になってしまったりと、なにかと機能不全が目立つようになっている昨今です。

精神科クリニックの外来には、転職したり独立したりする能力があるのにも関わらず、「イエ」の呪縛にとらわれていて苦しんでいる、いわゆる「メランコリー親和型」なひとがたくさん来るので不思議だなと思っていろいろ調べてみました。