直立二足歩行からの観光、サルコペニアについて。

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ホモ・サピエンスの拡散速度

最近、人類史に興味があって読書に励んでいるんですけど、ホモ・サピエンスの何がスゴイって、その移動速度なんですよね。アフリカで誕生してからめちゃくちゃ短期間で全世界に拡散したわけです。

もちろん、当時は乗り物なんてないわけで、歩いて全世界を踏破したわけです。つまり、ホモ・サピエンスの移動能力が優秀だったからこそ、驚異的な速度で全世界に拡散できたわけです。

ホモ・サピエンスは他の動物と比べて身体能力が劣るため知能を発達させた云々と言われていますが、こと移動する能力に関しては、他の動物を圧倒的に凌駕しています。短距離走はともかく、長距離走にかけてはホモ・サピエンスにかなう動物はいないそうです。

それを可能にしたのは、直立二足歩行です。

人体六〇〇万年史 上──科学が明かす進化・健康・疾病 (早川書房)
ダニエル E リーバーマン
早川書房
2015-09-30






直立二足歩行という革新

直立二足歩行によって手を自由に使えるようになったり巨大な脳を支えることができるようになったりなどの効果は副次的です。直立二足歩行のなにがスゴイって、消費エネルギーを1/4にできてしまうのです。これは圧倒的なイノベーションと言えます。

加えて、ホモ・サピエンスは毛皮をまとうことをやめた代わりに、数百万個もの汗腺を全身にまといました。これは強力な冷却ファンを搭載しているようなものなので、運動によるオーバーヒートを防ぎつつ、長距離移動を可能にすることができるようになりました。

これによって、素早く逃げる獲物に対して持久戦をしかけて狩猟を行うという戦略が可能となり、世界中を移動する狩猟採集民として繁栄を謳歌することができるようになりました。

つまり、走って移動することは遺伝子に組み込まれた人間の本質である、みたいな考え方もあるようです。




移動距離と幸福度の関係

人間の繁栄は長距離を移動する能力によってもたらされたとすれば、生涯における移動距離が長いひとほど人間らしい幸福な人生を送れるのかもしれません。

もちろん、生まれ育った地元から離れず、なじみの仲間に囲まれて半径50kmで完結する幸福な人生もあると思いますが、選択肢と可能性が限定されてしまうというデメリットがあると思うわけです。

逆に、世界を飛び回っている人のなかには、不幸な人はあまりいないでしょう。あるいは、幸福度が高まって自由になることで、人はさかんに移動するという本来の習性を取り戻すのかもしれません。


観光客の時代

人間の本質は狩猟採集生活をしている時からあまり変わっていませんが、物質的に豊かになって情報が流通することによって人間の行動様式は変化します。



グローバル化による繁栄の影響からか、全世界的に観光客が急速に増えています。農耕牧畜社会に移って定住を始めてからいったん影を潜めた長距離移動の本能が、近代以降、観光という形でリバイバルしているのかもしれません。

さらに観光は世界を変える可能性があるし、観光客は他者について考える新しい哲学にも通ずる重要な概念であるという興味深い考えがあります。

ゲンロン0 観光客の哲学
東 浩紀
株式会社ゲンロン
2017-04-08



精神疾患と移動能力の低下

ほとんどの精神疾患は、間接的に移動能力の低下をもたらします。そうすると、生活の幅が狭まって人生における選択肢と可能性が失われていきます。そのような状況自体が精神疾患の回復を阻む要因となって悪循環を形成していることがあります。

その極端な例がここ最近話題になっている座敷牢で、1.5メートルの範囲で20年以上生活していたというから驚きです。

逆に、定期的な運動は、うつ病の治療と予防に効果があるという統計があります。
結果、早歩きやジョギングなど特に適度に活発で、運動プログラムが完了できるように監督されている場合、運動はうつ病に対して「大きく、重大な影響」があることがわかった。人々の精神的な健康は、肉体的に活発だと明らかに向上する傾向にあった。
移動能力はライフスキルトレーニングの重要項目でもあり、うまく快方に向かっている患者さんは行動範囲が拡がっていくし、旅行を楽しむようになったりして、それが回復のバロメーターにもなったりします。


サルコペニア

サルコペニアとは、加齢や疾患により、筋肉量が減少することで、握力や下肢筋・体幹筋など全身の「筋力低下が起こること」を指します。または、歩くスピードが遅くなる、杖や手すりが必要になるなど、「身体機能の低下が起こること」を指します。

産業医研修でも話題になっていたのですが、現在はメタボに代わってサルコペニアがキーワードになっています。メタボよりも生活の質を左右するのではないかと言われていて、なかでも特に足腰の筋力低下は生活に大きな影響を与えます。

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お年寄りが転倒して足を骨折したの機に、心身ともに坂道を滑り落ちるように弱っていくことがよくあります。逆に、毎日坂道を登っているお年寄りはいつまでも元気だったりします。

認知症の治療で重要なのは、認知機能がどうのこうのとか、薬のチョイスではなくて、いかにサルコペニア〜廃用症候群を防ぐか、だったりします。

筋力の低下は加齢とパラレルに進行してしまうので、意識的に予防することが大切です。低強度の有酸素運動が有効なので、エスカレーターやエレベーターは極力使わずに階段を登ったり、早歩きによって日常的に運動負荷をかけることが大切だそうです。

子育て神話の呪縛

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話題の子育て本を読んでいると、とても興味深いことが書いてあったので紹介いたします。「子育ての大誤解」タイトルはかなりアホっぽいのですが、意外とエビデンス重視の骨太な内容の分厚い本でした。





Kellogg博士のクレイジーな実験

自分の赤ちゃん(ドナルド)とチンパンジーの赤ちゃん(グア)を同じように育てるとどうなるか。1931年、心理学者のKellogg博士は今では考えられないクレイジーな実験をやってしまいました。
Kellogg博士とグア
ドナルドとグア
ドナルドとグア2

ネット上には実際の論文「Kellog. W. N. and Kellog, L. A. : 1933. The Ape and the Child.」(PDF注意16.8MB!!!)や動画も公開されています。




想定外の結果、実験の中断


Kellogg夫妻は愛情を込めて我が子とチンパンジーを徹底して対等に育てました。ドナルドとグアはいつも仲睦まじく行動を共にしました。その結果、何が起こったか。

当初この実験はチンパンジーがどこまで人間に近づくかを想定していたようで、グアは簡単な道具を使ったり、いくつか言葉を理解できるようになったのですが、想定外の事態が起こったため実験は中止になりました。

なんと、ドナルドの発達が遅れてしまったのです。


人間とチンパンジーの違い


ドナルドとグアを比較すると運動能力や言語能力など細かい違いはありましたが、決定的な違いは「模倣する能力」でした。ドナルド(人間)はグア(チンパンジー)の行動を模倣することができましたが、グア(チンパンジー)はドナルド(人間)を模倣することができませんでした。

その結果、人間であるドナルドはチンパンジーの行動を模倣するようになり、人間の言葉を覚えなくなってしまいました。

同じ人間である両親がさんざん愛情を込めてドナルドに語りかけていたにも関わらず、チンパンジーであるグアの影響を強く受けてしまいました。つまり、親よりも仲間の影響力の方が「種を超えて」強かったという衝撃的な事実が判明しました。

発達心理学では、幼少期の子どもは親からの影響を強く受けているとされています。いわゆる「三つ子の魂百までも」。そして、思春期になると仲間の影響を強く受けるようになるとされていますが、乳児の段階からすでに親よりも仲間の影響を強く受けるようプログラムされているということになります。


集団社会化説


「子育ての大誤解」では、この他にも子どもは親の影響よりも同世代の子どもの影響を強く受けるというエビデンスがこれでもかと積み上げられ、「集団社会化説」を展開していきます。ざっくりまとめると、、、

昔から子どもの面倒をみるのは年長の子どもたちだった。子どもは自分に似た子どもに惹かれて集団を形成して他集団と差別化を図るようになり、その経験を通じて社会性を獲得していく。結局のところ、親は子どもに対して影響力を行使できないので、親が子どものために犠牲になって努力したってたいてい報われない。だから、親は子どもに執着せずに自分の人生を楽しむべきだ。

これって普段の診療で、子育てに疲れきった親御さんに対してお伝えしていることとかぶっていたりします。


子育て神話の「最後の砦」


ただし、誤解しないでいただきたいのは、親が子育てを放棄していいということではありません。ネグレクトや虐待が子どもに悪影響を与えるのは明白です。

つまり、親が子どもに影響を与えるのはネガティブなことだけで、むしろ虐待が子育て神話の最後の砦になっているのかもしれません。


進化心理学による裏づけ

「集団社会化説」は進化心理学によって裏づけられています。(進化心理学については、過去記事「子育て神話から自由になるための進化心理学」でも紹介しました)

チンパンジーの兄弟はみな歳が5歳以上離れています。チンパンジーの子どもは5歳まで離乳ができずに母親との密着状態を維持します。チンパンジーの母親は育児に没頭しているため、働いたり次子を妊娠することができません。

一方で、人間の母親は授乳期間が短かく、早々に子どもを集団に預けて仕事をしたり次子を妊娠したりすることができます。つまり、どちらかと言いえば人間よりもチンパンジーの母親の方が子育てに熱心だし、人間は昔から保育所や幼稚園に預けて共働きするのがデフォルトで、誰もが保育士の役割を担っていたと言えるでしょう。

「集団社会化説」は、人類が発展するためにとった「共同作業」と「共同繁殖」という二大戦略による、当然の帰結だとするとスッキリ納得できます。


それでも親にできること


学校でいったんスクールカーストが形成されてしまうと、キャラとポジションが固定されて抜け出せなくなってしまいます。

そんな状況下で、精神分析的に親子関係を掘り下げてみたり、行動主義的に行動分析をするだけでは仕方がありません。そればかりか、親の罪悪感を煽ってしまうことすらあります。

勉強熱心な親御さんほど「発達の専門家」の自説に従って一生懸命努力するのですが、結果的に、専門家の助言が正しいことを立証するために奉仕しているだけで、全然子どものためにはなっていないようにみえることがあったりします。

集団社会化説によると、子どもが所属する集団においてうまくいかなくなった場合、親は子どもの環境を柔軟に変更してあげることが重要であるという解が導き出されます。実際の診療場面でも、学校内外にいくつもリソースがあるので積極的に利用すべきだし、子どもが適切な環境に再び所属できるようになるだけで解決する場合がけっこうあったりします。

「子どもには愛情が必要だからと子どもを愛するのではなくて、いとおしいから愛するのだ。彼らとともに過ごせることを楽しもう。自分が教えられることを教えてあげればいいのだ。気を楽に持って。彼らがどう育つかは、あなたの育て方を反映したものではない。彼らを完璧な人間に育て上げることもできなければ、堕落させることもできない。それはあなたが決めることではない。」

「イエ」の呪縛について

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イングルハートの価値マップ

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国民性による価値観の違いをマッピングして俯瞰すると何がみえてくるのか?

アメリカの政治学者ロナルド・イングルハートは、全世界の人々の価値観をプロットするために、ふたつの文化的な対立軸を設定し、大規模なアンケート調査を行いました。

縦軸は、「伝統的価値 Traditional Values」と「世俗ー合理的価値 Secular-Rational Values」。
伝統的価値というのはたとえば権威や伝統的な家族の価値観を尊重し、宗教/親子関係を重要視する一方で、離婚/妊娠中絶/安楽死/自殺を否定するような価値観。世俗ー合理的価値というのはこれらにとらわれない価値観が想定されている。

横軸は、「生存価値 Survival Values」vs「自己表現価値 Self Expression Values」。
生存価値というのは生きて行くのに精一杯であること、自己表現価値は生きていく経済的な力はあるのでその上で自己表現に重きを置く、LGBTに代表されるような多様な生き方を認める価値観といったニュアンス。
まとめると、
左下が「生きていくだけでせいいっぱいの、掟や慣習でがんじがらめになった閉鎖社会(伽藍)」、右上が、「ひとびとが自由に“自己実現”できる開放社会(バザール)」です。
産業が発展して生活水準が向上するごとに、左下から右上へ価値観が変化しますが、地理や宗教や文化圏にかなり影響されていることがわかります。

日本はムラ社会だ、とよく批判されますが、イスラムやアフリカはもちろん、ヨーロッパ・カトリック圏の方がよほどムラ社会だったりして、大したことないのがわかります。

日本人の特徴は、儒教文化圏の中でも世俗合理的価値観が異様に突出していることです。ただ、地縁血縁などの伝統にとらわれないわりには、自己表現が控えめであることがもうひとつの特徴といえるでしょう。それでは、日本人の自己表現を阻むものはなんなのでしょうか?


「イエ」という概念

「イエ」とは、家という建物(ハコモノ)を基礎的単位とした、労働の組織化を起源とする生活保障の単位のことです。起源は家族経営の会社で、けっこう柔軟で拡張性が高かったみたいで、優秀だったら血縁のないひとを養子縁組によって迎え入れたり、血縁があっても役目を終えたひとを隠居させたりと、変幻自在な組織でした。

集団としての秩序だけでなく、そこには情愛があってそれによって構成員を結束させるわけです。

具体的には、学校とか会社とか団体など、家庭のしがらみは持ち込まないけど、たまたま一緒になったメンバーによって構成されて仲間意識・共同体意識が生じます。


アンビバレントな「イエ」

戦後日本の会社は、新卒一括採用・年功序列・終身雇用で、社会保障まで担っていたりします。会社がセーフティーネットを担っているのは、自殺率と失業率の相関していることから明らかです。
失業率と自殺率の推移
共同体の本来の機能は安全保障システムなので、安心を与える代わりにメンバーを拘束します。

たとえば、勤務医は当直があったりするので、病院内で夕食をいただいて風呂に入って寝たりと、「生活」します。なので病院はまさに「イエ」だったりして、独特のしがらみが生じてしまうわけです。

となると、みんな学校や会社が大好きで大嫌い。グチりながらしがみつくアンビバレントな存在なのです。職場のことをけたたましくグチるひとほどなかなか辞めずに永いこと居座っている現象ってよくあると思います。


「イエ」の呪縛

日本人は、英語圏やプロテスタント圏ほど個人主義を徹底して叩き込まれていないので、ひとりで生きていく術を知らないから不安になりがちです。なので、戦後性急に解体された
地縁血縁の代わりに「イエ」の存続を重視するようになったようです。

イエの安全保障感は頼もしいのですが、時に、仕事や職責よりも会社に所属することがアイデンティティになったり、時には法律よりも会社独自の規則を優先したりすることで、不祥事の温床になってしまったりと、なにかと機能不全が目立つようになっている昨今です。

精神科クリニックの外来には、転職したり独立したりする能力があるのにも関わらず、「イエ」の呪縛にとらわれていて苦しんでいるひとがたくさん来るので不思議だなと思っていろいろ調べてみました。

(日本人)
橘玲
幻冬舎
2014-08-07


自閉スペクトラム症のグレーゾーン問題がやっかいな理由

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平等と公平

平等 equalityと公平 equityの違いの図です。

公平の図では、結果が平等になるように箱を積み上げて高さを調節しているのですが、身長は実際には連続的に変化しているので、箱単位では公平さは保たれません。

例えば、左端の水色のひとがもう少しだけ身長が低ければどうなるでしょう?
平等と公平とグレーゾーン
このように、ちょっとだけ身長が低いひとが最も公平ではなくなってしまいます。公平にするために箱をひとつ積むか2つ積むか、あるいは積まないか、ってかなりザックリした判断しかできないのが現状なので、実際には公平は不可能だったりします。

自閉スペクトラム症は重症ほど診断がカンタン?

自閉症も「スペクトラム(連続体)」なので、身長と同様に、重症のひとから軽症のひとまで連続して変化しています。精神科の診断は重症で典型的なほど診断がカンタンなので、重症の自閉スペクトラム症の方は早めに診断され、手厚い支援を受けることができます。

その結果、軽症のひとは重症のひとよりも社会参加が低くなるという統計もあるようです。

高機能と社会参加

さらに、知能が高くて軽症な自閉スペクトラム症のひとはなかなか診断されず、支援が遅れて二次障害が生じてしまい、ますますややこしい病態になることがあったりします。

また、典型的で重症の自閉スペクトラム症のひとほど、充実した人員配置と豊富な資源のある専門機関でフォローされますが、軽症のひとは一般の精神科クリニックを受診していたりします。

つまり、自閉スペクトラム症の専門家ほど簡単なケースを診て、フツーの精神科医ほどややこしいケースを診ているというヘンな現状があったりします。

知能が高くて軽症の自閉スペクトラム症のひとはあまりかわいそうにみえない

知能が高くて、特に言語能力が高くて口が達者な自閉スペクトラム症のひとは、あまりかわいそうにみえないので、うまくいかないことがあって困っていても自業自得と判断されやすく、何かと支援が遅れてしまいます。

支援者は、知能が高いひとよりも低いひと、軽症よりも重症のひと、おっさんよりも女の子、を助けることにやりがいを感じる傾向があったりします。

「黒くて大きい犬問題(Big, Black Dog Syndrome)」あるいは「キモくて金のないおっさん問題」という考え方がありますが、「知能の高い軽症の自閉スペクトラム症問題」はこれに関連する問題だと思うわけです。


グレーゾーンのひとは本当は最も困っているのかも

自閉スペクトラム症を広く診断するか・狭く診断するかは、精神科医によってもまちまちだったりするので、自閉スペクトラム症と診断されるほどでもないけどコミュニケーション能力が低いひとは、コミュニケーション格差が拡大する昨今、誰にも助けてもらえなくて本当は最も困っているひとなのかもしれません(コミュニケーション格差と自閉スペクトラム症の増加)。
このへんの事情を評論家の杉田俊介が「微妙なマイノリティとしてのアイデンティティのキメラ的混乱」とややこしく表現していまして、なにかと重要な概念じゃないかと思う今日このごろです。



コミュニケーション格差と自閉スペクトラム症の増加

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経済格差よりもコミュニケーション格差が重要ではないかと考えられている昨今です。お金がなくてもコミュニケーション能力が高くて友達がたくさんいるひとの方が楽しく幸せな人生を送っていたりするからです。


スクールカーストの世界


実生活において、コミュニケーション格差が容赦なく反映されるところといえば学校、いわゆるスクールカーストの世界です。ひとクラス40人程度の大集団が、教室という狭い空間で、長時間ともに過ごすことによって、自然と序列が生まれます。

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スクールカーストにおける序列の規準は、コミュニケーション能力に一本化されつつあります。この図では、不良とか運動部が上位となっていますが、腕っぷしやスポーツよりもコミュニケーション能力の方が重視されるようになってきています。

自己主張ができて、場の空気に即応して話題提供ができて、周囲のひとを楽しませることができれば、クラスにおいて存在感を発揮できるようになります。

子どもにとって、クラスにおける存在感があるかないかは死活問題で、いったんカーストの序列が決定されると、「キャラ」が固定されて、容易に抜け出せなくなってしまい、いじめの温床になったりするからです。

こうなってしまえば、年に一度のクラスがえや転校をすることでいったんリセットするしかありません。







このバトルロワイヤル状況をサバイバルし、楽しい学校生活を送れるかどうかは、コミュニケーション能力にかかっているといっても過言ではありません。

このあたりの事情は、理屈よりも優れた映画や小説にふれる方がより実感できるし、とてもよい作品としてもおすすめなので、参考までにご紹介します。

桐島、部活やめるってよ
主演:神木隆之介
2013-11-26


12人の悩める中学生 (角川文庫)
木堂 椎
角川グループパブリッシング
2008-07-25




コメディアンの地位向上


コミュニケーション能力が高いひとたち、といえばコメディアン・お笑い芸人です。その頂点を極める北野武と松本人志はまさに天下をとっているといえます。風体もまさにボスじみてきています。

ちなみに海外ではコメディアンが政党をつくって選挙で躍進してたりします。下位の者が上位の者に対して媚びる表情と仕草が笑いの原型である説があったりして、コミュ力があって笑いのとれる者がひとの上に立つのは必然なのかもしれません。


企業の人材採用規準

企業の人事部で働いているひとに、採用面接でドコを重視するかをインタビューしてみると、「会話のキャッチボールができるかどうか」をみるらしいです。こちらが望んでいるところへ正確に球を返せるかどうか。噛み合わないところがあると、落とされてしまうみたいです。

企業において、集団で協力して効率よくプロジェクトを成功させるには、相手の考えに合わせて柔軟に対応できるしなやかさが要求されるということです。コミュニケーションの不具合は営利企業にとってはコストになってしまうので致し方ないというわけでしょう。

同窓会で高校の同級生に会ってみても、コミュニケーション能力が高くて笑いのとれるひとほど出世しているようでした。論理数学的能力よりも重視されているのでしょう。


自閉スペクトラム症の流行
自閉症の増加

自閉スペクトラム症は脳の器質的な障害なので、自然に増えることは考えにくいのにも関わらず、こんなに増えているということは、自閉スペクトラム症のひとたちが生きにくい世の中になってきていることを反映していると思います。

「自閉スペクトラム症と猿山の関係について」でも触れたように、学校におけるスクールカースト、企業における人事採用規準などなど、自閉スペクトラム症のひとが苦手な能力を要求されるという不利な状況が増えているということでしょう。

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