ひきこもりのメリットその1「闘争しなくてもいい」


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ひきこもりのメリットを考えてみようというわけで、ひきこもりのメリットについて具体的に考えていきます。

年間 288人 / 20,465人 

これは何の数字でしょうか?

正解は、日本における他殺者数/自殺者数です(厚生労働省 2017年人口動態統計より)。

日本は他殺に比べて圧倒的に自殺が多い国です。さらに他殺数はどんどん減少しています。

推移はこちら。
他殺と自殺の推移


殺人の動機=成熟の条件

一般的に、殺人の動機は「イロ・カネ・メンツ」といわれています。恋人やお金を奪われたり、メンツをつぶされたりすることでトラブルが生じて「ぶっ殺す!」ってなるのは想像に難くありません。

同時に「イロ・カネ・メンツ」は「成熟の条件」でもあります。成熟、つまり「オトナ」になるための条件。

自分でお金を稼いで経済的に自立して、パートナーをゲットして結婚して、社会的な役割を果たして評判を得ることができるひとのことを、世間は「立派なオトナ」と呼んでいます。

なぜ、成熟の条件が殺人の動機になるかと言うと、「イロ・カネ・メンツ」は特定のひとに集中して極端にかたよってしまうというやっかいな性質があって、熾烈な競争が生まれるからです。

成熟と闘争

「イロ・カネ・メンツ」には平等なんてありえません。身長や体重のように穏やかな正規分布にすらなりません。100倍身長の高いひとはいませんが、100倍年収の高いひとはゴロゴロいます。

それは、べき乗分布のごとく過激なカーブを描きます。
べき乗分布
めちゃくちゃモテるひと・めちゃくちゃ金持ちなひと・めちゃくちゃ評判のいいひとはごくひと握り。大多数のひとは、モテないし・お金がないし・評判がよくありません。

なので、モテるため・大金を手に入れるため・評判を上げるためには、闘争して勝って頭ひとつ飛びぬけなければいけません。リスクはあるけどワンチャンあるかも!というわけです。

あまり表立って言われませんが、受験も恋愛も就職も完全なる競争です。勝つことなしに「イロ・カネ・メンツ」をゲットできるほど世の中甘くありません。

こんなことをいうと不機嫌になるひとがいるのですが、そうなっているのだから仕方がありません。

競争を毛嫌いするひとの真逆に、競争を賛美するひとがいて2極化がはなはだしいのですが、どちらの立場とも現状をリアルにとらえられません。

もっとマクロのレベルで考える必要があります。生物の世界が弱肉強食なのかといえば全くそうではないからです。


絶滅寸前のトラ/はびこるネズミ

生物の世界は「弱肉強食」と考えられがちですが、正しくは「適者生存」です。強いものではなく環境に適したものが生き残ります。

強い生物はしばしば絶滅危惧種で、アジア最強のトラは3000頭あまりに減少しているそうです。一方で、トラよりも圧倒的に弱いネズミはうじゃうじゃと世界中にはびこっています。

そこそこ「か弱い」人間は、社会インフラをつくることで環境自体を変えるようになりました。それによって、成熟できない・自分のチカラでは生き延びられない・「か弱い」個体でも生存可能にする戦略をとって繁栄することができました。

ある環境において「か弱い」という形質/特性が、別の環境においては逆に「強み」になることはめずらしくありません。

人間は、多様な形質/特性を社会に抱えることによって、さらに多様な環境に適応できるようになりました。今風にいうとダイバーシティを推進してイノベーションを起こそう!ってノリを地でいってたわけです。

こうして、個体レベルでは局所的に闘争することはあるものの、種のレベルでは協調が行われています。


社会インフラの成熟と個人の成熟は反比例する

成熟できない・ひとりでは生き残れない・「か弱い」個体をどれだけ保護できるかは、社会インフラがどのくらい成熟しているかに比例します。

戦後の焼け野原、社会インフラがボロボロだった時代は、成熟できないことは死に直結していたでしょう。個体が成熟することが強く求められていたので、団塊世代は強くたくましく育成されました。

現代の日本は世界的にみても社会インフラが非常に発達しています。交通網と通信網が張り巡らされ、欲しいモノや情報やサービスがすぐ手に入ります。

成熟できない・ひとりでは生き残れない・「か弱い」ひとでも、さまざまなリソースを利用することによって快適に生活することができるようになっています。

いったんそんな社会ができあがると、ムリして成熟しなくても生きていくことができようになります。リスクある闘争を避けてひきこもり、成熟しない戦略をとる個体が増えることはとても合理的なことです。

誰しも闘争なんてしたくはありません。平和がイチバン。闘争せずに生きていけるならそれに越したことはありません。

つまり「ひきこもり」のメリットは「闘争しなくてもいい」ことです。


少年犯罪は増えているのか?

若者の〇〇離れ、草食化が進んでいるといわれる一方で、少年犯罪がセンセーショナルにとりあげられて親の不安をあおったりします。

ひきこもりの状態になったお子さんを持つ親から「将来うちの子は事件を起こしたりしませんか?」と質問されることはめずらしくありません。

実際に統計を調べてみると、、、

少年犯罪の推移
出典:少年犯罪データベースより作成
10歳以上20歳未満の少年人口10万人当たりの少年刑法犯検挙人員の比率

このように、少年犯罪は減少傾向にあります。ちなみに、強くたくましい団塊世代の犯罪率が異常に高かったことがよくわかります。

もっとマクロな視点で、全人類史を通して全世界的にみても、殺人は減少しているようです。進化心理学者スティーブン・ピンカーは、膨大なデータを精査してそれを実証しました。先史時代から現代にかけて全世界における戦争で死亡した人の割合を並べた壮大なグラフがこちら。
暴力の人類史_戦争により死亡する人の割合

ひきこもることで闘争しなくてもよくなることはメリットなのですが、自殺のリスクが高まってしまうことは大問題です。

次回は、自殺の問題を考えながら、ひきこもりのメリットその2「働かなくてもいい」を紹介していこうと思います。

ひきこもりのメリットを考えてみよう


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あけましておめでとうございます。さてさて、精神科のクリニックのなかではめずらしく訪問診療をやっていたり児童思春期のケースに関わっている関係上、ひきこもりの支援方法について尋ねられることが多かったりするのでまとめていきます。

一般的に、ひきこもって社会に背を向けることは悪いことであるとされているので「将来、ひきこもりになってしまったらどうしよう」という悩んでいるひとはとてもたくさんいます。

ここは視点を変えて考えてみる必要があります。ひきこもりの問題を考える上でまず重要なのは、ひきこもりのメリットについて考えることです。それによってひきこもりについての理解が深まります。

まずは、ひきこもりの定義から確認していきます。


ひきこもりの定義

ザックリ説明すると、

①就学・就労をしていない
②人間関係がない
③その状態が長期間持続している

つまり、友だちのいないニートです。
①だけならいわゆるニートですが、親のお金を使って友だちと楽しく遊んでいる場合は問題にはなりません。むしろ、就学や就労というイス取りゲームにおいて、他の誰かにイスをゆずって親世代の資産を循環させているので、社会のためには貢献しているとも言えなくもありません。

問題は、友だちがいなくて、家族とも険悪で、ほとんど人間関係がなくなってしまったケースです。人間は社会的な生物なので、人間関係が長期間ない状態が続くと悪影響がでてくるのは想像しやすいかと思います。まして、人間関係を広げていく青年期であればなおさらです。

ひきこもりは精神医学的にも、発達障害とくにグレーゾーンの問題が背景にあったり、
うつや不安の問題が生じたり、身体的にも影響があったりと、密接に関連しています。

このように、ひきこもりのデメリットについてはなにかと指摘されているのですが、メリットはなかなか語られません。


ひきこもり支援で必要な「ためらい」

ためらい

なぜわざわざひきこもりのメリットを考えないといけないかと言うと、ひきこもり支援に必要な「ためらい」が生じるからです。

ひきこもりの状態になっているひとは、基本的にプライベート空間にこもって他人との関わりを拒否しています。支援なんて大きなお世話。誰であろうと他人のプライベート空間に踏み込むことはとても難しいわけです。

世の中には、ひきこもりのひとを強引に施設に入所させて無理やり更生させようとするハードボイルドな業者があります。部分的に有効なこともあるのでしょうが、あちこちでトラブルが続出しているようです。彼らは自分たちがやっていることは絶対的に正しいと信じていて「ためらい」がないからでしょう。

「ためらい」のない人は、決断は早いんだけれどブレーキがきかなくてエスカレートしてしまいがちです。

逆に、そのような業者を全否定して批判することに精を出すひとも「ためらい」がなくて逆方向にエスカレートしがちです。ひきこもりのひとがどうなっていてもプライベート空間には絶対に踏み込んではいけない、と考えることは度が過ぎていて現実的ではありません。

というわけで、ためらいながらも介入するチャンスを「待つ」という微妙なバランス感覚が必要になるわけです。


どうしても踏み込まないといけないとき

ひきこもりによって二次的にメンタルヘルスの問題が生じる場合はありますが、ひきこもりそのものは精神疾患ではありません。

ですが、まぎらわしいことに精神疾患が原因で「ひきこもり」の状態になることがあります。

なので、その場合はまず精神疾患の治療にとりかからなくてはいけません。特に、重いうつ病や統合失調症で精神状態が悪化して食事もとれない状態になってしまっていたり、自殺のリスクがあるケースはのんびり支援している場合ではないので積極的に踏み込んでいく必要があります。

そのへんの判断は経験を積んだ精神科医でないと難しいので、一度相談しておくことをおすすめします。


前置きが長くなってしまいました。次からはより具体的に「ひきこもりのメリット」を考えていきたいと思います。


対人援助職のひとが幸せになりにくい理由


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対人援助職

精神保健の支援者向けに講演をすることがあったので、 いろいろ考えたことをまとめてみました。


支援者を支援すること

うちの精神科クリニックには、悩みを抱えた対人援助職のひとが数多く訪れます。ダントツで多いのは保育士さん。ついで介護士さん、教員、看護師、作業療法士、理学療法士、社会福祉士、心理士などなど。同業の精神科医療従事者も多い傾向にあります。

患者さんや支援の対象になるひとたちの権利が保たれるようになっていてとても喜ばしいわけなのですが、それにともなって支援者側に求められる技能のハードルが上がっていることが背景にあるのかもしれません。

なので、「支援者を支援すること」は患者さんを支援することと同じくらいか、もしくはそれ以上に大切だと思う今日このごろです。


対人援助職のミッション

当然のことながら対人援助職のミッションは「困っているひとを支援すること」です。困っているひとが立ち上がって自分のチカラで困難を乗り越えていけるように支援するわけです。

つまり、支援される側のひとが「支援者のおかげで乗り越えることができた」のではなく「自分のチカラで乗り越えることができた」と実感してもらうことができるかどうかが大切だったりします。

とくに、精神科の治療ではコレが重要です。

治療を終結するときに患者さんから「先生のおかげですっかり良くなりました」と感謝されると個人的にはうれしいのですが、精神科医としては治療失敗つまり「感謝されたら負け」というわけで反省しなければなりません。なので、どこがまずかったのか過去のカルテを振り返ることにしています。

「なんか頼りない先生やったけど、まあなんとかなってよかったわ」と言われることをいつも目指しています。


医師に奉仕する患者さん

極端に言うと、患者さんから感謝されるということは、患者さんの手柄をヨコドリしていることも同然だからです。「医師に奉仕する患者さん」になってしまっては元も子もありません。

もしも、お世辞ではなく本気で「医師のおかげ」だと思われているとすれば、それは医療ではなく「別の何か」なので、科学の一端を担う医師としては極力さけるべきです。

ほとんどの精神科治療は、患者さんの資質なりストレングスなり自然治癒力を引き出すことでしか達成されません。薬物療法とか心理療法を活用しますが、あくまでも補助的なものだったりします。

なので、「医師のおかげで」「お薬のおかげで」改善したと思われてはいけないわけです。医師も薬もリソースにすぎませんから。  

百歩ゆずって、とても深く絶望している患者さんに「医師のおかげで、お薬のおかげで、なんとかなる」と一時的に錯覚させることで治療を導入することはありますが、そんな場合も最終的には幻想からさめてもらってシラフに戻ってもらって、患者さん自身のチカラを信じてもらわないと治療になりません。

つまり黒子のような役割こそ支援者のあるべき姿なわけです。
黒子



誠実な支援者は目立たない

なので、誠実な支援者は目立たないひとが多いです。見た目パッとしなくて地味で声が小さくて背筋が曲がっている素朴なひとはとてもいい仕事をする傾向があります。

逆に、派手で有名な支援者はやたらと「支援者に奉仕する患者さん」をたくさん抱えていて、いつまでたっても治療がすすんでいなかったりすることもあります。

誠実な支援者はどことなく陰があって不幸そうで、ダメな支援者はとても幸せそうだったりと対照的です。


対人援助職のジレンマ

支援される側からの要望と、経営側からの要望はしばしば競合します。サービスの質をよくするためには経営を圧迫しなくてはいけなかったりして、そのへんの線引きがあいまいだからです。

なので、対人援助職のひとは必ず板ばさみを経験することになります。これを割り切ってやりくりできる器用なひとはともかく、誠実なひとほど苦悩を深めていきます。

おまけに、対人援助職のひとが頑張って成果をあげても、支援される側のひとと経営側に成果をもっていかれてしまいます。

かくして、誠実な対人援助職のひとは精神科クリニックを訪れる確率が上がってしまうわけです。

これはもう存在論的な問題で、対人援助職のひとは本質的に不幸なんじゃないかと。「成長を見守る喜び」とか「笑顔のため」というモチベーションでなんとか駆動されていますが、支援者として誠実なままでいることはなかなか厳しいことなのではないかと。

なので、一部の限られた才能のあるナチュラルボーン支援者以外は、支援者の道をひたすら極めるのではなくて、趣味・家庭・副業・管理職・研究などなど他の活動やアイデンティティをもっておくことが重要です。


研究の論理をもつこと

とくに「研究」というアイデンティティをもつことはオススメです。研究といっても、がっつり大学院に入って研究して論文を執筆するという意味ではありません。

研究という視点をゆるくもつことによって、日々の業務に「一次情報の収集」という意義が生まれます。それを仲間と共有して語り合ったり、よりよいシステムを構築するための大切な糧にしたりすることで、精神衛生がかなり向上します。

さらに、このような視点は、異なるタイプのひと同士がつながるための作法として重要であることが当事者研究から導き出されています。
というわけで、支援者を支援することを通じて、自分自身 も日々研究という視点をもちながら日々の支援を続けていこうと思う今日このごろです。

ASDと定型発達が共感するまでのプロセス


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以前の記事(ASDをもつひと同士は共感しやすいのか?)では、自閉スペクトラム症(ASD)をもつひと同士、定型発達(TD)のひと同士、つまり似たもの同士は共感しやすいということについて書きました。

では、ASDをもつひととTDのひと、違うタイプのもの同士が共感し合うにはどうすればよいのでしょうか?

一般的にはASDのひとへの対応方法として
  • 視覚化しましょう。
  • 見通しを立てましょう。
  • 具体的に説明しましょう。
などなどよく聞くフレーズが念仏のように繰り返し語られたりしていますが、このような対応はASDの理解を深めることはありません。かといって、難しい本を読んで思弁的かつ文学的なややこしい表現を追いかけても疲れるだけだったりします。

というわけで、最近たまたま読んだ保育の本にヒントが書いてあったので紹介します。

目次
1 人間発達の軸としての「共感」…佐伯 胖
2 「共振」から「共感」へ―乳児期における他児とのかかわり…須永美紀
3 「共に」の世界を生みだす共感―自閉傾向のある子どもの育ちを支えたもの …宇田川久美子
4 保育の場における保育者の育ち―保育者の専門性は「共感的知性」によってつくられる …三谷大紀
5 「対話」が支える子ども・保護者・保育者の育ち合い―多様な他者が共に育ち合う多声的な「場」…高嶋景子
保育の本って初めて読んだのですが、どれもおもしろかったのでオススメです。このなかで、宇田川久美子による第三章 “「共に」の世界を生みだす共感―自閉傾向のある子どもの育ちを支えたも” に、ASDをもつ幼児とTDの著者が共感するまでの長い道のりが丁寧に記載されていて、臨床経験からもうなずける内容が多くてとても勉強になります。


物理的変化そのものを味わい楽しむ

物理的変化を楽しむ

ASDをもつ子どもは、流れ落ちる砂、海辺の波、流れる水、焚き火の炎、床屋の回転灯、洗濯機の動き、電車の窓から流れる風景などなど、あきもせずにずっと眺めていることがあります。

彼らは「物理的変化」そのものをダイレクトに味わい楽しむ感覚をもっています。一方、TDの子どもは「物理的変化」に対してすぐになんらかの意味づけをしたりストーリーをつくったりする傾向があるので、一緒に楽しめずに孤立化する要因になります。これは中心気質っぽい特性だと思うのですが、それはさておき。。。

ここで宇田川は「子どもを見ること」から「視線の行く先を見ること」を重視することを提案します。つまり、ASDをもつ子どもそのものよりも、子どもの視線のその先にスポットライトを当てるべきであるということです。


ASDをもつ子どもを模倣する

ASDをもつ子どもが執着しているモノに、支援者自身が没頭してみること。つまりASDをもつ子どもを模倣してみることをすすめています。ASDをもつ子どもになりきって支援者自身も物理的変化を楽しみます。

この段階では、支援者自身はモノに一体化しているのでほぼ道具みたいな存在になっています。ここでは「クレーン現象」がみられたりします。

そして、《子どもーモノ》の二項関係と《支援者ーモノ》の二項関係がシンクロしていると、だんだんASDをもつ子どもは「共に」という感覚を感じとるようになり、それを求めるようになります。

ASDをもつひとは一般的に孤独を好むように思われがちですが、お祭りムードとか盛り上がっている雰囲気自体は嫌いなわけではありません。むしろ、その場のバイブスとかグルーヴを人一倍楽しんでいたりします。


特別な道具的存在〜相互模倣まで

「共に」物理的変化を楽しむ経験を重ねることでふたりの関係に変化が生じていきます。物理的変化の延長であり道具的存在にすぎなかった支援者に対して、ASDをもつ子ども自身が模倣をしかけるようになります。相互模倣です。

模倣によって相手とシンクロして共に感覚を楽しむことは群れを形成すること、すなわち共感の起源ではないかと考えられます(共感の起源としての群れ/共感を媒介するオキシトシン)。

その他大勢と同じように道具的存在だった支援者は、特別な道具的存在に格上げされていきます。

この時点で、原始的な情動的共感(EE)は達成されているけれど、相手の意図を理解する認知的共感(CE)はまだ始まっていない段階です(共感のバランス)。

では、ASDをもつ子どもにおいて、CEはどのように達成されていくのでしょうか?


2段階の共同注意/表層模倣から深層模倣へ

「共同注意」は、同じターゲットを一緒に見ること、指差しによって相手にターゲットを示すこと、など他者と協力するための基礎的能力であると考えられています。ちなみに、チンパンジーやオオカミよりもイヌの方が優れているとされています(オオカミの社会性、イヌの定型発達症候群)。

ヒトでは通常生後9ヶ月頃には共同注意ができるようになります。ASDをもつひとはこれがなかなかできないので早期診断のポイントだったりします。そして、生後14ヶ月になると共同注意によって相手の意図を理解できるようになります。つまり共同注意はCEを達成するためにも不可欠な能力であると考えられます。

共同注意には表層模倣によるものと深層模倣によるものの2段階があります
  1. 表層模倣 相手の動作を表面的にマネること
  2. 深層模倣 相手の意図を理解してマネること≒CE
たとえば、TDの子どもたちが粘土細工を料理にみたてて遊んでいるなかで、ASDをもつ子どもは粘土そのものの物理的変化を楽しんでいます。TDの子どもたちは自分たちの作品を「見て」とアピールし、大人の反応を楽しんでいます。ASDをもつ子どもも「見て」というアピールを模倣しますが、大人の反応には全く関心がないようです。とりあえず「見て」という手続きをするという表層模倣の段階です。

ASDをもつ子どもは表層模倣によってなんとか「共に」楽しむことができるようになっていますが、深層模倣がなかなかうまくできません。両者のミゾを埋めるためには何が必要でしょうか?


物理的変化>意味づけ>視線の変化

宇田川の観察によると、流れ落ちる砂の感触を楽しんでいるだけだったASDをもつ子どもが、砂の塊を指して「お山」とアピールするようになった瞬間をとりあげています。宇田川が「本当だ。お山ね。高いわね。」と反応すると満足した表情を浮かべました。

この動作には、自分の作品をアピールするために共同注意をうながす「意図」が組み込まれているので、深層模倣が達成されていると考えられます。

ASDをもつ子どもの視線は、「移動する砂/物理的変化」から「移動した先の砂山/意味づけされた状態」へと変化しました。砂遊びという同一の動作が、視線の変化にともなって「砂の移動」から「山づくり」へと変化しています。
  • 「ある動作」にはその動作を生み出している「目的」があること
  • 「目的」によってその「動作の意味が異なる」こと
  • 「目的」の違いによって「異なる行為」になること
  • 「異なる行為」を生み出す「視線」があること
  • 「視線」の背後には行おうとしている「意図」があること
などを経験します。これらがつながることで他者との意図の共有は可能になるのです。
また、物理的変化に対して言葉をそえる「意味づけ」が行われたことによって、ASDをもつ子どもの世界は他の子どもたちに開かれて、共に楽しむことができる遊びになっていきます。


ASDをもつ子どもと共感するためのプロセス

ASDをもつ子どもがCEに至るまでの長い道のりをざっとまとめてみます。
  1. ASDをもつ子どもになりきる
  2. お気に入りの道具的存在になる
  3. 道具的存在にも意図があることを示す
  4. 共同注意を通じて模倣を深化させる
  5. 物理的変化に意味づけを与える

① ASDをもつ子どもになりきる

まずは、支援者がASDの子どもになりきることから始まります。自らの身体を相手に投げ出して道具みたいな存在になって、大好きな物理的変化を共に楽しみます。

② お気に入りの道具的存在になる

共に楽しむ経験を通して、支援者と身体感覚レベルでの共感(EE)が成立し相互模倣が始まります。この関係をベースとして共感を発展させていきます。発展しなければ支援者は単なる便利な道具で終わってしまいます。熱心な支援者のなかには、道具的な存在のまま2人きりの世界にいつまでも閉じこもり続けることがあったりします。

③ 道具的存在にも意図があることを示す

支援者自身が「意図」をもった存在であること示し、いつでも便利に使える道具ではないことを経験していくために、ときには要求を突っぱねることも必要です。

④ 共同注意を通じて模倣を深化させる

共同注意を模倣することは相手の意図を感じられるようになるための近道です。

⑤ 物理的変化に意味づけを与える

これによって、ASDの子どもの遊びは、他の子どもにも理解できるように開放され、共有することができるようになります。


生身の身体を利用したシュミレーション

TDのひとは、脳内で「意図をもった他者」を想定してシュミレーションを行っていますが、ASDをもつひとはこれがなかなかできません。宇田川は、自らの身体を登場させて道具的に利用させるという手段をとりました。これはなかなかマネできることではありません。

その結果、TDが脳内で行う仮想的なシュミレーションを、現実世界に展開して物理的かつ具体的に再現することができるようにしたわけです。ちょうどソロバンをつかって計算するように。

TEACCHなどでは、発達障害の特性にあわせて環境をコーディネートすることが重要であると言われていますが、支援者自身も環境の一部として物理的構造化に寄与していくという視点を導き出せるのではないかと考えています。

不登校の対策として「子ども部屋」を活用する


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自律を育む子ども部屋の機能

前回(自立はややこしいので、とりあえず自律しておこう)紹介した環境心理学者の北浦かほるは、自律とプライバシー意識を形成していくために、子ども部屋が果たす機能を4段階にまとめています。
  1. ひとりで考えごとをする
  2. 空間をコントロールする
  3. 自分の行動を選択する
  4. プライバシー情報をコントロールする



それぞれざっくりまとめてみると、

① ひとりで考えごとをする

ひとりで、静かに、誰にもジャマされない空間を確保することから自律が始まります。
  • 考えごとをする
  • 空想する
  • ボーっとする
  • 本を読む

② 空間のコントロールをする

他でもない自分だけの場所を確保して、維持していく練習をしていきます。
  • 誰も許可なく入れないようにする
  • 入ってくるひとを選べるようにする
  • 大切なものをしまう
  • 部屋を飾る

③ 自分の行動を選択する

自分の行動を選択する場所を持つことは、自律にとって重要です。
  • したいことが自由にできる
  • そこでしかできないことをする
  • 音楽を聴く
  • 叱られたり腹がたったときに行く
  • ひとりになりたいときに行く

④ プライバシー情報のコントロールをする

自分のプライバシーを守るための空間として子ども部屋を利用するようになります。
  • 着替えをする
  • 手紙や日記を書く
  • 友だちと連絡をとる
  • 聞かれたくない話をする
  • 見られたくないことをする

子ども部屋とメンタルヘルスの関係

不登校などの問題が長期化していて困っている児童思春期の患者さんをたくさんみていると、子ども部屋の使い方が独特であるケースが多いことに気づきます。

10歳を過ぎても個室が与えられていなかったり、険悪な兄弟と部屋を共有していてギスギスしていたり、1日中リビングで過ごしていたり。子ども部屋があったとしても、親兄弟が勝手に入って良いことになっていたり、デスクだけ置いてあまり活用されていなかったり、ほぼ物置き部屋になっていたり。

ともかく、あまり機能していないことが多いように感じますし、子ども部屋があってもなくても母親と一緒に寝ることが多かったりします。

もちろん、子ども部屋が活用されていないことが不登校やメンタルヘルスの問題の原因ではないのですが、回復を促進するためには子ども部屋をうまく活用した方がいいのではないかと考えています。


居は気を移す

「居は気を移す」とは、孟子の言葉で「住む場所や環境が多大なる影響を与える」という意味です。

昔から、住居などのアーキテクチャが精神面に与える影響に興味があったので、住居の間取りと動線と活用の仕方を聞くようにしています。家族の関係性とか力のバランスが反映されていることが多かったりするからです。

逆に、精神状態の変動が住居環境に大きな影響を与えることがあります。訪問診療で患者さんのお宅をよく観察する機会があるのですが、精神状態が悪化すると住居環境も荒れてしまいます。

なので、家族システムが不調なケースは、初回の診察時にはなるべく部屋の間取りを聞き取るようにしています。


不登校の対策は休息から始まる

子どもが不登校になったり、メンタルヘルスの問題があると、親子ともに懸命になって解決しようと限界まで努力します。なので、精神科へ相談に来るころにはクタクタになって疲れはてた状態になっています。いくら敷居が低くなったとはいえ、誰もすすんで精神科を受診したくはありませんから。

クリニックでお会いした時点でエネルギー切れの状態になっているので、まずは休息してエネルギーを充電していくことから始めます。


不登校の対策として「子ども部屋」を活用する

子どもが不登校になると、親は不安になって監視や干渉を強めようとしますが、たいていは逆効果となってしまいます。子どもにとっては、おちおち休息できずに疲れをつのらせてしまうことが多いからです。

子どもが休息できずに状態が悪化すると、さらに親は監視と干渉を強めてしまい、以下繰り返しと、悪循環してしまう状況ができあがります。

こんなとき、子ども部屋という空間をうまく活用すればゆっくり休息することができるようになるので、この悪循環を絶つキッカケになることがあります。物理的に距離をとることで、心理的にも距離をとることができるようになります。お互いひと息ついて冷静になったところでまた話し合うチャンスができてきます。

不登校などの問題を乗り越えることは、しばしば自律と成長のキッカケになったりします。それらのプロセスをうまく媒介する便利なツールとして子ども部屋を活用していくことが重要だと考えています。


補足

  • 重い精神障害などで自殺の危険性が切迫しているケースなど、子ども部屋でゆっくり休息している場合ではない状態もありますので、疑わしい場合は医療機関で判断を仰いでください。

  • 住宅の構造的に子ども部屋をつくれない場合でも、可能な限りパーテーションをつけるなどプライベート・スペースを確保することが有効だったりします。

  • 子ども部屋が機能していなくてもうまくいっているご家庭はたくさんありますので、もちろんそのような場合はムリして子ども部屋をつくらなくてもよいと思います。

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