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精神科治療を受けていたひとの犯罪

このところ、重大犯罪をおかしたひとのなかで、幻覚や妄想などの精神症状をもっていて精神科の治療を受けていたことのあるひとがチラホラ増えてきているようです。精神科の敷居が下がってアクセスしやすくなったためでしょうか。

しばしば論点になるのは、その精神症状が精神病によるものなのか、薬物による影響なのか、という問題です。精神病による影響が大きければ責任能力がなかった、ということで罪が軽くなることがある一方で、薬物による影響が大きければ自己責任ってことで、責任能力をみとめられるという風潮があったりします。

たとえば、先日死刑判決になった相模原障害者施設殺傷事件と無期懲役判決になった淡路島5人殺害事件。どちらも被告は事件前から精神症状があって精神科治療を受けていました。そして、どちらも精神鑑定の結果では、薬剤性精神病という診断になっていました。つまり、精神病ではなく薬剤が原因で精神症状が出ていたと考えられていたわけです。


相模原障害者施設殺傷事件の場合

精神鑑定では薬剤性精神病(大麻精神病)で、完全責任能力/死刑判決となりました。ざっくり説明すると、
  1. 被告は大麻を使用することで大麻精神病になり、妄想に支配されて犯行におよんだため、限定責任能力であり刑を軽くするべきだと弁護側は主張しました。

  2. しかし、周到な犯行準備をして犯行時は柔軟な対応ができているため、妄想があったとしても影響は軽かったであろうと判断されました。

  3. よって、完全責任能力があると判決されました。
つまり、純粋な精神病ではなく薬物による精神症状があるものの、精神症状の程度は軽いであろうと結論されました。

しかし、この1と2の説明はどちらも間違っています。
  1. まず、大麻精神病という診断名は国際的には認められていません。大麻の使用によって起こる精神症状は知覚変容や幻覚や興奮など断片的で一時的なもので、持続的にあのような壮大な妄想を構築することや突飛な言動を説明することは到底できません。もともと精神病をもつひとが大麻の使用によって精神症状が悪化することはあっても、大麻の使用だけで持続的に精神病の状態になって精神科を受診するひとはまずいません。大麻は国によっては合法的な嗜好品に過ぎないものです。

  2. そもそも妄想というのは、間違った前提を信じているものの、思考パターンは因果関係が明確で理論的にはスジが通っているものです。なので、むしろ妄想があるからこそ目的に向かって周到な準備や柔軟な対応ができるようになるわけです。精神病には妄想型(思考がまとまるタイプ)と解体型(思考がとっちらかるタイプ)があって、まとまった行動ができなくなるのは解体型のほうで、妄想型は目的に応じてまとまった行動をとるようになるわけで、このへんがごっちゃになっているようです。
薬物の影響だけでは説明できない精神症状があらわれいて、強固な妄想にもとづいて犯行におよんだかもしれない、つまり精神病をもっていた可能性を吟味する必要があるケースではないかと考えられます。


淡路島5人殺害事件の場合

こちらはちょっとややこしくて、一審と二審で精神鑑定の結果が大きく異なっています。
一審では薬物による影響が大きいものの精神症状の程度は軽いため完全責任能力となり死刑判決でしたが、二審では一転して薬物による影響は否定されて、もともともっている精神病の影響が大きいため責任能力は限定されていたとして無期懲役判決になりました。

一審の鑑定医が薬剤性精神病と診断したのは、犯行の約10年前にメチルフェニデート(リタリン®・コンサータ®)を使用していたからです。しかし、被告は犯行時にはメチルフェニデートを使用していませんでした。

100歩ゆずって、相模原のケースは薬物の影響が多少なりともあったとしても、淡路のケースは約10年前に使用していた薬物の影響が残っているはずもありません。そんなことは精神科医でなくても誰にでもわかることです。一審の鑑定医はメチルフェニデート中止後も幻覚や妄想が持続しているケースレポートをエビデンスにしているようですが、そのケースはメチルフェニデート以外にもたくさんの薬物を併用しているのでエビデンスとしての価値はほとんどありません。

そもそも薬物の使用をやめた後、長期間にわたって精神病状態が持続していたとしたら、もともと精神病をもっていたひとであると誰もが診断するでしょう。しかも、メチルフェニデートはADHDの治療薬として多くのひとが常用している比較的安全な薬物です。これはもう、あらかじめ薬剤性精神病と診断したかったのではないか、と感じてしまうほどです。


精神鑑定はけっこういいかげん?

淡路島5人殺害事件の一審と二審の判決文は、精神科医のみならず一般のひとが読んでも驚くべき内容になっています。一審の鑑定医は明らかに知識が乏しく、論理の組み立てが場当たり的で、コロコロと意見を変えているからです。

たとえば、法廷でテンパっているときの発言。
人格自体は,本人の人格,その責任を取るという意味での,その事件時の人格というものは十分保たれていたというふうなことです。
このうっかり発言によって、被告を完全責任能力にしようとする意図がバレてしまっています。結論ありきで理屈をこじつけてきたからこそ、論理が破綻しているのではないかと感じてしまいます。

二審の鑑定は、被告は生まれながらの自閉スペクトラム症をもっていて、偏った性格になって/つまり二次障害を経て、妄想を形成して精神症状があらわれた、という流れの説明になっています。何でもかんでも自閉スペクトラム症で説明するのは流行りなので仕方ないとして、それ以外はまずまず説得力のある内容です。

一審の鑑定医は二審で矛盾点を容赦なくツッコまれ、「信用することはできない」とまで断定され、完膚なきまでに叩きのめされています。こんなに恥ずかしい記録が未来永劫webに残るなんて、とても恐ろしい仕打ちです。ホント、司法の世界は怖すぎます。。。

ちなみに、ひと昔前なら精神鑑定は精神科医の花形でありステータスだったので、優秀な精神科医が引き受けていたそうですが、今ではステータスにもならないし、めんどくさいわりに報酬も少ないので、引き受けるひとが少なくて困っているみたいです。優秀な精神科医は他の業務にいそがしいので、鑑定医の質が落ちるのは仕方ありません。

ちなみに、物好きなぼくはもともと精神鑑定に興味があったので、とある先輩に頼んで鑑定の助手をさせてもらったことがあります。はじめての経験で勝手がよくわからなかったのですが、先輩からはなんの指導もなく、とりあえず鑑定主文を書くよう頼まれました。とりあえず拘置所へ行って診察して、文献を調べながら鑑定書の下書きを作成してみました。もちろん先輩が添削してくれるものと思っていたのですが、結局そのまんま鑑定書に採用されていてビックリしたことがあります。もちろん報酬ゼロのボランティアです。おいおい、どんだけテキトーなんだと。。。

ともかく、相模原のケースや淡路のケース(一審)でみられたように、精神病をもっているかもしれないひとが犯罪をおかすと、精神病である可能性が排除されて薬物依存として裁かれるトレンドがあるのではないか、と思う今日このごろです。次回はそれについてまとめていきたいと思います。