モジュール化したあとで流動化する知能


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前回からの続きです。認知考古学者スティーヴン・ミズンの「認知的流動性」という考え方を活用して、児童精神科医の滝川一廣の考え方をアップデートできるかもしれない、という話です。


滝川一廣2分法をアップデートする

児童精神科医の滝川一廣は、心の発達を2軸で説明しています。これをミズンの知能分類にあてはめると以下のようになります。
  • 関係の発達/社会的知能
  • 認識の発達/技術的知能+博物的知能

子どものための精神医学
滝川一廣
2017-03-27




2軸を想定したのはセンスがいいのですが、滝川も社会科学者と同様に「人間の認識は文化や社会によって強く規定されている」と考えているがゆえに、「認識の発達」は「関係の発達」に支えられているという素朴で月並みな想定をするだけに終わっています。

児童心理学の大御所ピアジェは、人間の心はコンピューターみたいなものであると強く信じたひとでした。そして滝川はピアジェの発達論を「認識の発達」の説明に活用しています。

これはとても妥当なことで、ピアジェの発達論は技術的知能や博物的知能を説明するにはとても便利なツールになっていますが、便利であるがゆえに不十分なところがありました。


ピアジェ発達論を活用した考古学者

同様にピアジェの発達論を活用したひとをみてみましょう。前回紹介した考古学者スティーヴン・ミズンよりも前に「認知考古学」を試みたひとがいました。

心の先史時代
スティーヴン・ミズン
1998-08-01


考古学者トマス・ウィンは、30万年前に存在していた手斧/ハンドアックスが左右対称の構造であることから、当時の人類は道具の完成形をあらかじめイメージして制作することができていたと想定しました。

これはピアジェ発達論の最終段階である「形式的操作期」に該当するため、当時の人類には現代人の心が完成されていたのではないかと推測しました。

これはとても画期的なことで、考古学によって絶滅した祖先の心を理解することができた、、、かのようにみえました。
ルヴァロワ技法
しかし残念ながら、30万年前は石器こそ洗練されていたものの、その他の文化はほとんど発達した形跡がみあたりません。

つまり、技術的知能だけにスポットライトをあてると、高度に発達しているようにみえていても、それ単独では人間の心や文化を説明することはできないわけです。

なので、それぞれの知能モジュールとの関連を考えなければなりません。


比喩という叡智

ここでミズンが注目するのは「比喩」です。比喩といえば村上春樹。
彼女が一枚ずつ服を身にまとっていく様は、ほっそりとした冬の鳥のように滑らかで無駄な動きがなく、しんとした静けさに充ちていた。
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」
三つめの納屋と四つめの納屋は年老いた醜い双子みたいによく似ている。
「納屋を焼く」
氷男は暗闇の中の氷山のように孤独だった。
「氷男」
世の中には比喩表現があふれていて、人々は比喩が大好きで、比喩をしたくてしかたがありません。人間は動植物やモノにも心があると想定せずにはいられない性質があるようです。

また、万物には霊魂や精霊が宿るというアニミズムは、古今東西・老若男女にみられる現象です。

つまり、人間の心は人間以外のモノを擬人化して社会的文脈におくことができるようになっています。

これは社会的知能と博物的知能がコラボレーションすることで可能になります。

それぞれの知能モジュールが連動して作動することを、ミズンは『認知的流動性』と呼びました。それこそが、人間の心の特徴であり、文明をもたらすものであると。


言語機能の拡張/言語による侵食

人類学者のロビン・ダンバーによると、もともと言語は社会的な情報をやりとりする毛づくろい/グルーミングの代替手段として活用されていました。

それまで社会的知能に特化していた言語の機能が、認知的流動性によってどんどん多様化していきます。社会的知能の領域外にある技術的知能や博物的知能などの「非社会的」な概念や情報が乗り入れ、「比喩」のように言語の機能が大きく拡張されることになりました。
人間の知能の進化
スティーヴン・ミズン「心の先史時代」
これは逆に考えると、脳科学者スタニスラス・トゥアンヌや理論神経生物学者マーク・チャンギージーが指摘したように、言語や読字機能が他の脳領域(視覚認知や形態認識)を浸食して取って代わっているといえるでしょう。


社会的知能が基礎にあって、その他の知能が派生していく、という二元論的な考え方ではなく、それぞれの知能モジュールがダイナミックに連合していく流れがみてとれます。


認知的流動性

ミズンはこのような人間の知能が進化するプロセスを、「聖堂」というアーキテクチャにたとえて表現しています。
聖堂のような心
スティーヴン・ミズン「心の先史時代」
まずは汎用知能が発達していきますが、徐々にモジュールが形成され、各モジュールに交通が生まれ、一体となって動き出すというコンセプトです。

認知的流動性の結果、さまざまな文化が発明されていきます。
認知的流動性の結果としての文化の開花
スティーヴン・ミズン「心の先史時代」
  • 社会的知能+博物的知能 人と自然を重ねるトーテミズム
  • 博物的知能+技術的知能 目的に応じた専門技術
  • 社会的知能+技術的知能 社会的交渉のための道具・人間を道具的に使う技術
そして、3つが融合することによって芸術・宗教・科学が生まれ、文明が開花しました。

滝川一廣2分法では、自閉スペクトラム症/ASDは社会的知能に劣るから支援しなければならない、という悲観的パターナリズムで終わってしまいます。

しかし、認知的流動性というコンセプトによって、社会的知能をひとつのモジュールとして相対化しつつ、他のモジュールによる代償・補完を想定することができれば、ASDの回復やリハビリテーションに新たな発想が生まれる可能性があります。

次回は、良いことづくめにみえる認知的流動性にもダークサイドがあるということを考えてみます。

考古学で解き明かす人間の心


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社会的知能とその他の知能との関連について、スティーヴン・ミズンの「認知考古学」という考え方を紹介しながらまとめていきます。


考古学で解き明かす人間の心

考古学者であるスティーヴン・ミズンは、考古学的手法を用いて頭蓋などの化石や人工物をすることによって「人間の心」を解き明かしていく「認知考古学」という興味深い試みをやっているひとです。
認知考古学
心の先史時代
スティーヴン・ミズン
1998-08-01


ミズンは知能を大きく3つに分類しています。
  • 社会的知能 他者の意図を理解して、つきあい方をおぼえる
  • 技術的知能 物理法則を理解して、道具のつくり方をおぼえる
  • 博物的知能 生物の性質を理解して、食物のありかをおぼえる

社会的知能

類人猿は社会的知能を確実にもっていますが、キツネザルは確実にもっていません。
  • キツネザルと猿の共通祖先がいたのは5500万年前
  • 猿と類人猿の共通祖先がいたのは600万年前
よって、5500万〜600万年前にかけて社会的知能ができあがったと推測します。もっとも歴史が古い知能です。

社会的知能はマキャベリ的知性/心の理論と呼ばれることもあって、いわゆる「人間の心」と同等のものと想定されがちですが、いわゆる心の基盤ではあるものの、単独ではまだまだ「人間の心」と呼べる代物ではありません。


技術的知能

人類は道具を使う生き物だ、という素朴な考え方がありますが、野生のチンパンジーはシロアリの巣穴をほじくる棒やナッツの殻を割る石器など、簡単な道具を使うことが知られています。

人類は、道具を用いて道具を加工したり、異なる道具を連結させて新しい道具を作り出したり、より複雑な方法で道具を作成することができるようになりました。

複雑に加工された石器が発見されるようになったのは300万〜200万年前であり、この頃から技術的知能が発達していたことが想定されます。


博物的知能

動植物や自然物の性質を理解して知識として蓄えておくことは狩猟採集生活には必須の能力だったことでしょう。

チンパンジーはすぐれた植物学者で、熟して食べごろになった果物がある場所へまっすぐ向かうことができます。つまり、頭の中に食糧資源についての知識や分布などのデータベースをもっています。

人類はそれを応用して狩猟採集を行う範囲を広げていきました。居住区に多様な動物の骨が発見されるようになった200万年〜150万年前には、博物的知能が発達していたことが想定されます。


ジェネラリストかスペシャリストか

  • 社会科学者は人間の心をジェネラリスト、つまり強力な汎用プログラムによって学習するコンピューターのようなものであると想定します。

  • 進化心理学者はスペシャリスト、つまり特定の領域を担当する知能のモジュールがならんだ十徳ナイフのようなものであると想定します。

コンピューターのような心

社会科学者は、人間の心は生まれた時にはまっさらな「空白の石版」であり、文化の影響を大きく受けながら、強力な汎用プログラムによって「学習」されていくと想定しました。

プログラムの内容は基本的にブラックボックスで、なんともざっくりした考え方のようです。

ただ、人間の心はプログラムにしたがって思考するだけではありません。この世界にはありえないものを思考したり想像したり創造してしまうことを説明できません。


十徳ナイフのような心

一方で、進化心理学者は人間の心をスペシャリストであると想定します。つまり特定の領域を担当する知能のモジュールがならんだものであると。
十徳ナイフ
つまり、十徳ナイフのようにさまざまな道具(知能モジュール)が折りたたまれていて、ひとつひとつの道具が特殊な問題を処理するようにできているということです。

たとえば、自閉スペクトラム症/ASDのひとは、社会的知能のモジュール/刃が欠けているか、開かずにたたまれたままになっているというイメージでしょうか。

人間が対処すべき問題領域は多岐にわたっているので、汎用コンピューターの知能では違うタイプの問題にうまく対処できなくて不便なわけです。


生まれながらの言語学者・心理学者・生物学者・物理学者

言語学者のノーム・チョムスキーは、人間には文法の設計図など「言語獲得装置」が遺伝的にあらかじめ搭載されていて、幼児期になるとそれが発動して言語を身につけることができると論じました。

同様に、幼児はごく早い段階から直観的な知識/モジュールをあらかじめ身につけているようです。十徳ナイフのようにしのばせていて、必要な状況に応じて対応する道具として知識/モジュールを活用するようにしています。これらは、はるか昔の狩猟採集生活によって培われてきたと考えられます。

幼児が直観的にもっている知識/モジュールを挙げると、
  • 直観的に相手の意図を読みとる心理学/社会的知能
  • 直観的に生物と無生物を区別して分類したがる生物学/博物的知能
  • 直観的に硬さ・重力・慣性などの概念を理解する物理学/技術的知能
ちなみに、算数とくに九九あたりからやっかいになってくるのは、直観的な知識/モジュールではなく、純粋に学習しなくてはならないからだとか。

コンピューターよりも十徳ナイフという考え方のほうが説得力があるようですが、ミズンはそれにとどまらず、さらに一歩考えを進めて「認知的流動性」という概念を提唱します。

いっぱしの心理学者であり生物学者であり物理学者であるはずの幼児が、無生物である人形に対して、あたかも人間の心があるかのように語りかけ、一緒に遊んでしまうのはなぜか、という問題がきっかけになっています。

それはまた次回に。


生き延びるためのマキャベリ的知性


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前回からの続きです。

最近ニュースで、女帝とかお局さんとそのなかまたちによる壮絶ないじめがめちゃくちゃ叩かれています。

彼女たちのような「社会的知性」だけがやたらと高くて他の知性とかモラルに欠けているひとって、いろんなところにのさばっていて、嫌な思いをしたことのあるひとが多いからこそヘイトが盛り上がるのでしょう。

とくに、地方の病院とか福祉施設とか家族経営の中小企業あるあるなんですよね、経営者の嫁とか愛人が君臨するパターン。

それはさておき、社会的知性は暴走すると犯罪行為にもつながるリスクがあるのですが、ほどよく活用することで世の中をうまく渡っていくスキルにもなるわけです。


社会的知性とは

社会的知性について書いてある、著者が精神科医の新書があります。後半は自己啓発っぽくなってダルいんですが、前半はわかりやすくコンパクトにまとまっています。
「社会的知性」とは、他者に働きかけ、他者をコントロールすることによって、自分の居場所を確保し、自分の望む目的を達成する能力である。
マキャベリー的知性 危機の時代を生き抜く社会的知性の磨き方 (アスキー新書 145)
岡田尊司
2010-03-09





社会的知性はあまりにも俗っぽい能力なので、精神医学的に関心をもたれることが少なくて、適切に論じられているとはいえません。どうやら、世俗にうといひとたちが集うアカデミズムとは相性が悪いようです。

ですが、社会的知性はアカデミックな知性よりも社会的成功や家庭的幸福に相関するし、自閉スペクトラム症/ASDを考えるうえでとても重要な能力だったりします。

ASDをもつひとは「社会性の困難」があるとされていて、アカデミックな知性が高くても社会的知性が低い傾向があるので、社会的状況ではなにかと苦労しがちです。


社会的知性は学業成績や知能検査では測れない

「社会的知性」は学業成績に反映されないし、知能指数/IQとも相関しないので、知能検査(発達検査)では測定できません。

なので、「知能検査の結果でASDと診断された」とか「ASDの診断のために知能検査をしてほしい」というひとがけっこういますが、知能検査でASDを診断できるはずもなく、あくまで参考資料にすぎません。

それはさておき、「社会的知性」は学校や職場などの社会的状況でうまくやっていくためには必須な能力です。

たとえば、有名大学を卒業して専門的知識をもっている正社員の優秀な若者が、海千山千のしたたかなパートのおばちゃんたちにいじめられてメンタル不調になって精神科を受診してASDと診断されました、というパターンがよくあるわけです。

いくらアカデミックな知性が高くても、社会的知性ではパートのおばちゃんたちにはかないません。とくにガバナンスが効いていない職場ほど業績よりも社会的知性だけがものをいう世界になりがちです。


相手の出方をみて自分の出方を変える

パートのおばちゃんたちにいじめられないようになるためには、「相手の思考や意図を推測し、先回りして行動する」つまり「相手の出方をみて自分の出方を変える」というスキルを身に着けなくてはなりません。

これは社会的知性のなかの「マキャベリ的知性」と呼ばれるものです。マキャベリといえば「君主論」が有名で権謀術数の政治学を代表する考え方で、最近ちょっとしたリバイバルで人気が出てきているらしいです。

また、マキャベリ的知性は「認知的共感」とか「心の理論」とも関連しています。

心の理論とは、

「Aさんは〇〇であると考えている」▶ 一次的信念 をイメージすることです。

これはだいたい4歳までに理解できるようになりますが、これだけではパートのおばちゃんたちには到底かないません。

そのためには、もう1段階アップグレードして、

「 “Aさんは〇〇であると考えている” と、Bさんは考えている」▶ 二次的信念 をイメージできなくてはいけません。

これは6〜10歳までに理解できるようになります。二次的信念を理解することによって、相手と駆け引きをしたり、だまくらかしたり、出し抜いたりすることができるようになります。

たとえば、自分が「嘘泣き」をすることで、相手が「かわいそう」と考えるであろうことが予測できるようになります。つまり、自分の行動によって相手を操作することができるのです。

実際、子どもは6歳頃から上手に嘘をついたり仮病をつかったりして、大人を翻弄することができるようになります。

また、二次的信念は三次・四次へと拡張するための大きな足がかりになります。高次になればなるほど、複雑な物語や文学の理解からマーケティングや政治にいたるまで、大勢のひとを巻き込んで動かす能力に発展していきます。


政治するチンパンジー

考えるチンパンジー
動物行動学者のフランス・ドゥ・ヴァール「チンパンジーの政治学」には、チンパンジー社会にも権力闘争があることが紹介されています。政治の歴史は人類史よりも古いということです。

チンパンジーの政治学―猿の権力と性 (産経新聞社の本)
フランス・ドゥ ヴァール
2006-09





  1. ボスとして君臨するチンパンジーAに対し、チンパンジーBが権力闘争をしかけます。
  2. BはAのいないスキをみて、Aを支持するメスたちに毛づくろいをして仲良くなります。
  3. Bは別のチンパンジーCと同盟を結び、Aを孤立させ、ボスの座を奪います。
  4. それまで低ランクだったCは、ナンバー2の地位を確保します。
  5. ボスの座についたBは、闘争をやめてケンカの仲裁に奔走し、群れを安定させます。
  6. Bは、メスを攻撃していたCを追い払います。
  7. そして最終的に、CはAと同盟を結んで、Bからボスの座を奪いましたとさ。
チンパンジーが社会的知性を発揮していることがよくわかります。人間社会でも似たような血で血を洗う権力闘争があちこちで繰り返されています。

このように、社会的知性を単独でとりあげてみると、人間とチンパンジーの間にはあまり差がなくなってしまいます。

というわけで次回は、人間固有の知性を考えるために、社会的知性とその他の知性との関連についてまとめてみようと思います。

脳と言葉は社会のために?


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前回の続きです。


滝川は「子どものための精神医学」において「関係(社会性)」の発達についてこう説明しています。フロイトの発達論にそって、あるいは養育者や社会・文化の影響を受けることによって発達していくと。

もちろん、養育者による刺激がトリガーとなって「関係(社会性)」の発達が促進されることはあるのでしょうが、そもそも霊長類の段階から備わっている「社会性」が発展して社会的知性を形成していく、という考えを紹介していきます。

まずは、人類学者ロビン・ダンバーの「社会脳仮説」です。



燃費の悪い脳

人間の脳はとても燃費が悪い器官です。体重のたった2%の重さしかないのに、20%ものエネルギーを消費しています。なぜ人間の脳はここまで異常に発達し、膨大なエネルギーを喰うようになったのでしょうか。

一般的には、共同で狩りをするためとか、道具をつかうためとか、言語をつかうためとか、いろいろ説明されたりしますが、ダンバーは興味深いデータを提示しています。
ダンバー数
霊長類の群れの大きさ(タテ軸)と脳の発達(ヨコ軸)が相関しているという事実です。集団で仲間とうまくやっていくため、良好な人間関係をつくって維持するために、脳が発達していることになります。

たとえば、野生のサルが2頭で生活しているときは1ペアの関係だけ把握すればよいのですが、3頭で3ペア、4頭で6ペアと集団が大きくなるにつれて把握するべき関係は格段に増えて複雑になり、脳のスペックが必要になるというわけです。

サル関係
現代社会は法律が整備され、情報が流通し、衣食住が確保されているので、集団生活にそれほど脳のスペックを使用しなくてもよくなっているのでイメージしにくいかもしれません。

ですが、そのような文明が確立したのは人類史ではつい最近のことで、人間の祖先は長い時間をかけて社会集団を形成するように進化してきました。

少ない情報のなか、外敵や食糧不足に怯えながら、仲間と協力したり助け合ったり、フリーライダーや裏切り者を牽制し、過酷な環境を生き抜くために。集団内でうまくやることができないことは、リスクが高い死活問題だったからです。

お互いが仲間であることを確認するためには一定のコストを支払う必要があります。人間をふくむ社会的動物は、そのために「毛づくろい/グルーミング」を行うようになりました。


社会的毛づくろい/ソーシャル・グルーミング



毛づくろいは、もともとノミやシラミなどの寄生生物を除去して清潔を保つための行為でした。群れで生活する動物たちは、それを社会的コミュニケーションとして活用するようになりました。

毛づくろいによってお互いの身体をきれいにすることで、家族や友人との信頼関係をつくったり、自分の地位・ランキングを確認したり、ストレスを回避して和解や紛争解決の手段にしたりします。

身近なところからだんだん仲間を増やして、フリーライダーや裏切り者を遠ざけていく戦略です。逆に、フリーライダーや裏切り者を発見して制裁を加える戦略もありますが、これはとても骨が折れることなので、なるべくやらずに済ませたいところでしょう。
 

集団生活する霊長類は、1日の活動時間のうちなんと20%も「毛づくろい」に費やしています。


毛づくろいからムダ話、そしてSNS

人間の脳のスペックなら群れの大きさは約150人(ダンバー数)で、これを維持するためには活動時間の40%を「毛づくろい」のために費やさなくてはなりません。

音声グルーミング

とてもそんなことはできないので、人間は音声によるグルーミング、つまり「おしゃべり」で代用するようになりました。物理的なグルーミングよりも労力が少なく、同時に複数の個体とやりとりができて便利だからです。

いわゆるスモールトーク、雑談・冗談・世間話・うわさ話などのくだらないムダ話にこそ「人間の言葉」の起源があるというシンプルなダンバーの仮説です。言葉を大切にするマジメなひとから怒られそうな話です。

その延長線上に、飲み会・パーティー・ゴルフなどの社交的活動や文化が形成されていきます。さらに、ソーシャル・ネットワーク・サービス/SNSの「いいね!」で代用されるにいたって、ますますお手軽になっています。


社会的知性とASD

自閉スペクトラム症/ASDをもつひとはかかえている「社会性の困難」は、このような社交を要求される場において顕著となります。どれもこれも苦手なのです。

彼らにとっては、社交的活動のためにコストを払うことは意味のない茶番にみえてしまうからです。ASDをもつひとのなかには言語能力が非常に高いひとがいますが、実務的な議論やスピーチや演説などはうまくやれても、スモールトークはなかなかうまくできません。

逆に、スモールトークがやたらとおもしろいひとは、社会的地位と豊富な人脈を得て楽しく人生を謳歌していたりします。

これはいわゆる「社会的知性」といわれているもので、「アカデミックな知性」よりも重要であるという考え方があったりするので、次回まとめてみます。

ピアジェとフロイトの発達論について/滝川一廣「子どものための精神医学」を読む。その2


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滝川一廣「子どものための精神医学」を読む。その2
というわけで、今回はひさしぶりにこの本を紹介していきます。

子どものための精神医学
滝川一廣
2017-03-27


第1部の理論編のうち第4〜6章、滝川の発達論について、ぼくなりに考えをまとめてみました。とりあえず、滝川はピアジェとフロイトの発達論をミックスしていますが、ピアジェはともかくフロイトはまずいでしょ、という話です。
第4章 「精神発達」をどうとらえるか
第5章 ピアジェの発達論
第6章 フロイトの発達論

滝川一廣2分法

滝川は人間の発達を「認識の発達」と「関係の発達」の2つにわけて表現しました。
  • 認識の発達 いわゆる知識と理解。意味や約束を「知ること」 
  • 関係の発達 いわゆる社会性。集団の中で人間と「関わること」

滝川一廣2分法

知的障害をもつひとは認識の発達が遅れていて、自閉スペクトラム症/ASDのひとは関係の発達が遅れているとシンプルに説明しています。

この2分法はとてもわかりやすくて便利なので、ぼくもASDの講義をするときに利用させていただいております。

しかし問題なのは、滝川は「認識の発達」をピアジェの発達論に、「関係の発達」をフロイトの発達論にそれぞれ対応させて説明しているところです。ピアジェはともかく、フロイトにしたのは大失敗です。

なぜなら、フロイトの発達論は実際の乳幼児を対象にした研究ではないし、理論的に間違っていることが明白で、もはや見向きされなくなっている理論だからです。ひと昔前は、教員採用試験や看護師の国家試験に出題されることがあったのですが、今はもうほとんど出題されなくなっています。

なので、この本では「関係の発達」がどのようになされていくのか、という説明がわかりにくくなっています。


フロイトの色眼鏡

高齢の精神科医はフロイト精神分析の洗礼を受けている率が高いのですが、若い精神科医はあまり影響を受けなくなっています。あまりも役に立たないばかりか有害なことすら多いからです。

フロイトの発達論で特徴的なのは、親子関係に対する異常な執着です。フロイトに影響を受けた精神科医は幼少期の親子関係について根掘り葉掘り聞くクセがあって、親子関係が子どもの将来に決定的な影響をおよぼすという信念をもっています。しかも、だいたいネガティブな内容の予言になっていて、まるで「呪い」とか「占い」のたぐいみたいになりがちです。

さらに、親と子の格差を強調するあまり、どうしても親が加害者で子が被害者であるという発想にかたよってしまいます。

確かに、虐待が発生している極端な親子関係であれば、子どもに大きな影響をおよぼすことは明白ですが、一般的に親の影響力は児童期以降だんだん小さくなり、思春期に入るとほとんど影響力を行使できなくなります。

自分の子ども時代を思い出してみると明らかですが、児童期以降はだんだん親よりも友人や恋人から大きな影響を受けるようになります。せいぜい5コ上の先輩や10コ上の有名人に憧れることはあっても、30コ上のおっさんに憧れることはほとんどありません。


フロイトの発達論はパンチがきいてる

フロイトの発達論/心理性的発達理論
  • 口唇期 Orale Phase   0~1歳頃
  • 肛門期 Anale Phase   1~3歳頃
  • 男根期 Phallishe Phase   3~6歳頃
  • 潜在期 Latente Phase   6~12歳頃
  • 性器期 Genitale Phase    12歳頃~

それぞれ、授乳している口唇期、トイレット・トレーニングしている肛門期、性器に関心があつまる男根期。それぞれの時期にトラブルが起こると、甘えん坊、ドけち、マザコン/ファザコンになっちゃうというパンチのきいた説です。

はじめて教わったときは「なにかのギャグ?」と思って笑いをこらえるのに必死でした。こうしてひさしぶりに眺めてみると、なかなか壮観で感動すら覚えます。しかし、この枠組がおおマジメに正しいとされていた時代がつい最近まであったわけです。


語られない潜在期

聡明な滝川は、さすがにフロイトの発達段階説は古めかしい決定論であり現代社会にはなじまないと批判していますが、最終的にはフロイト理論をしっかり受け入れてしまっています。

フロイトの発達論がダメなところを端的に示しているのは、6歳から12歳頃までの「潜在期」を軽視しているところです。その名のとおり「潜在期」はあまり動きのない時期とされていますが、この時期は、子どもが社会化をはじめるもっとも重要な時期であり、もっともダイナミックな変化に富む時期であることは臨床経験からも明白です。

潜在期の6年間は、口唇・肛門・男根期よりも長期間であるにもかかわらず、あまり語られていません。それを踏襲した滝川も潜在期の記述がもっとも薄くなってしまっています。

親よりも子ども同士の相互作用が重要であることは以前の記事でも紹介しています。



ピアジェの発達論は意識高い系のASD

一方、ピアジェの理論は発達認知研究のベースになっています。滝川の「認識の発達」にほぼ対応しているといってよいでしょう。ASDをもつひとにも保たれているので、ASD的な発達の側面であるといえます。

ピアジェの発達論/認知発達段階説
  • 感覚運動期  0~2歳
  • 前操作期   2~7歳
  • 具体的操作期 7~12歳
  • 形式的操作期 12歳~成人まで

外の世界に対して、感覚や運動によって相互作用を始める「感覚運動期」、自分と外の世界との境界を認識する「前操作期」し、具体的なものを取り扱う「具体的操作期」、抽象的なものを頭の中で演算できる「形式的操作期」。

生物学者からスタートしたピアジェは「生物の本質は世界に対して能動的に働きかけて変革することである」というコンセプトをもっていたようで、活動性とか能動性への信仰がみられます。

ピアジェは「生物は大きな進化の流れの中にある」という受動的なダーウィンのコンセプトには賛同せず、主体的かつ能動的に活動して環境に適応していくことが発達であるというコンセプトを重視しました。つまり、とっても前向きな意識高い系なのです。


意識高い系による意識高い系のための理論

生涯で観た映画はたったの4本!というピアジェ自身、かなりのワーカホリックでバカンスなしで研究に没頭していたカタブツだったらしく、意識高い系の科学者でASDに親和性の高いひとだったのかもしれません。

ピアジェの発達論は意識高い系のASDっぽいエリート層にウケて、戦後日本における教育指導要領に取り入れられてきました。そのため、ASDに親和性の高い制度設計がなされてきたのかもしれません。

ピアジェの発達論は、まるで子どもを機械に見立てている風にもみえるので「子どもの笑顔がみあたらない」と批判されていました。ですが、それは逆にASDをもつのひとの発達の側面をうまくとらえているともいえるでしょう。

他にも、ピアジェは子どもの能力を低く見積もりすぎているという批判もあって大幅に見直されているところなので、あくまでも参考程度にして個別のケースに当てはめないようにする必要があります。


「関係(社会性)の発達」を説明する理論は?

それでは、タテ軸「認識の発達」はピアジェの発達論をベースにするとして、ヨコ軸「関係の発達」はフロイトの発達論に代わってどんな理論をベースにすべきでしょうか?

というわけで、次回はロビン・ダンバーの社会脳仮説とかマキャベリ的知性についてまとめていきます。


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